第135話 ■「執務の改善そして新たなことへ」

 七月になった。


 ベルとメイリアが頑張ってくれたおかげで五月には銃三百丁も完成した。

 バインズ先生とリスティの指揮の元、三百人による銃の練習は毎日繰り返されている。


 訓練場から少し離れた執務室にも定期的に発砲音が聞こえてくる。

 初めの頃は、執務官達から遠回しにうるさいと言われていたもんだけれど、人間は慣れる動物である。

 今では誰も気にした風でもなく執務を続けている。


 そういえば、僕の帰省前に既に導入されていたので一つ忘れていたことがあった。


 入学のために中央に行く前と帰ってきた後で変わったことがある。

 それは食事のレパートリーが増えたことだ。


 領主である僕の家は、新鮮な食料が優先して調達できる。

 それは直轄の村が存在することからも分かるだろう。


 だが、それでも限度はある。

 収穫期は新鮮なものが多いが、それを過ぎると塩漬けや乾物といったものが中心となる。

 特に冬場は生食できるものはまず出てこない。


 刺身……卵かけご飯……タベタイ……


 けれど、ここ最近は収穫期を過ぎた後でも新鮮な食材による料理が出てくるようになっていた。


 理由は、学生の時に開発して試作機を送っておいた『冷蔵箱』のおかげだ。

 どうやらメイドたちには、大層好評だったようで、我が家のキッチンには『冷蔵箱』が既に五台も設置されている。


 さらには商人連に対しても領内での使用限定で数十台の貸し出しを行い、領内でも遠方でしか取れない食材を新鮮なままエルスリードまで流通することが出来るようになっていた。

 

 今度、商人連に感想を聞いて領外に対しても販売することを検討しよう。

 まったく、この世界には特許と言う考え方が無いことが残念だ。

 大儲けできただろうに……


 さて、取り合えず初期銃が完成したので技術班であるベルとメイリアには次の作業を開始してもらっている。

 メイリアについては、次期銃の開発である。


 現状の『エンフィールド』については作成した三百丁で製造は中止する想定だ。

 今後は作っても整備用の部品のみとなる。


 二ヶ月間訓練で使用しているが、故障率もかなり低いから大量に部品を製造しなくて済みそうなのが有難い感じだね。


 メイリアには後装式、ドライゼ銃を参考にしてもらいながらの設計からのスタートになる。

 他にもある重要な開発を平行してもらっているし、構造もより複雑になってくるだろうから早くても二年ほど先になるだろうけれどね。


 ベルには二つお願いしていた。

 一つ目は学生中に父さん達にお願いしてみたものの技術的に困難だった『水蒸気発電機』


 夜の照明は現状、ランプや蝋燭ろうそくが主になる。

 というのも魔力による照明というのが難しいからだ。


 僕としてはランプの明かりってのもおもむきがあって好きではあるんだけれど社会経済を考えると、やはり電気による光はほしい。

 今後、大量生産を目標とすると電気機械は必須だろうからね。


 人類は電気による光を得たことで労働時間の大幅な増加を可能としそれにより生産力を劇的に引き上げたと言ってもいい。

 まぁ、その結果として深夜残業なんていう悪しき伝統も出来たわけだけど……


 そして……


「エル様、活版印刷機の試作機が完成しました!」


 ベルが僕に嬉しそうに報告してくる。


 僕のために色々と開発を進めてもらっているけれど、元々は心の優しい子だ。

 銃という人を殺すための技術と違い、文化発展に繋がるといってもよい技術を開発するほうがベルにとっては嬉しいのだ。


 そういえば、これまでこの世界の文字については、まったく説明していなかった。


 この世界の文字は、三十二文字で成り立っている。

 厳密に言えば大文字三十二文字、小文字三十二文字の六十四文字だ。


 アルファベット(二十六文字)に近いかな。字の成り立ちや発音はまったく異なるけれどね。

 漢字や平仮名、片仮名といった考え方は無い。


 その文字の組み合わせによって単語が出来上がるという考えは日本語や英語と変わらない。

 逆に文法については日本語に近い。


 僕は転生の際に神様に読み書きが最初から出来るようにしてもらっている。

 細かく言うと転生当初は、文字は日本語として認識でき、僕が話す言葉は日本語がこの世界の言葉に翻訳され、聞く際には日本語に翻訳されて聞こえるといった感じだった。


 この世界の文字や言葉を理解するにつれそれは徐々に薄くなり、六歳くらいにはこの世界の文字と言葉でやり取りするようになっていた。

 それ以降に日本語を発したのは、クリスとの別れの時くらいだと思う……あれ? ちょっと思い出したら恥ずかしいぞ。


 ……ん、うん! 気を取り直して。


 つまりこの世界は、六十四文字分の活字(文字判子)があれば全ての文章を表現することが可能となる。

 日本語に比べれば圧倒的に少なくてすむわけだ。


 とはいえ、種類が少ない分、文章を作る際に同じ文字を複数使う必要があるから大量に必要なわけで……一文字あたり五百ほどの活字をリザイア技長のもと技師二十人に依頼して作ってもらった。

 印刷機そのものよりも活字の作成に労力のほとんどを使っていた。


 活字を受領する際、リザイア技長に『当面の間は文字を見たくない』と漏らされたのは聞かなかったことにした。


 印刷機というけれど原理は単純だ。

 本一ページ分くらいの溝に活版をはめ込む。

 そしてその活版にインクをつけ紙を置き、その上から優しく叩いて文字を写すのだ。


 分かりやすく言えば、小中学校の図工の時間にやった木版画と原理的には同じと考えてもらえばいい。


「うん、これで今後は同じ文書をひたすら書くという事から抜け出せそうだ」


 執務で特に思ったのだが、全町村への法令や伝達の文章は毎回のように二百枚近く同じ文章を書かなければいけなかった。

 同じ文章でも何百枚と書いていると少なくない誤字脱字が出てしまう。

 そしてそれを書き直す……パソコンを……プリンターを……何度そう思っただろうか。


 それが一気に解決するかもしれないのだ。

 まぁ活版をはめ込む作業自体が大変だから数枚から十数枚程度の書類であれば今まで通り手書きのほうが早い。


 それでも一番負荷が高い全町村への資料作成が簡略化できるだけで一月換算で執務官が二人不要になる。


 もちろん不要になるから解雇と言うわけではない。

 その不要になった執務官で新たな業務に手を出すことが出来るということだ。


 その新たな業務は、ずばり新規開拓と平行して囲い込みによる四圃農業の下地作りだ。

 事前に父さん達に相談していたおかげで新規開拓に適した場所の候補は洗い出しが終わっている。


 休耕地の活用の義務化を発布したばかりだから、開拓民確保はもう少し先だが行政は数年前から動き出しておいたほうが何かと都合がいい。

 なので執務官の二名には必要な資材や要員調整といった作業に入ってもらうことになる。


 四圃農業が領土中に拡がれば次に目指すは新種、つまりは前世の野菜の栽培だ。

 とはいえ、そのギフトは二十歳になった時だからもう少し先の話だけどね。


「うん、印刷技術の目処はついたから次は発電機の開発をお願いするよ。ベル」

「はい、頑張ります。

 それと、エル様に希望されていたタイプライターの検討も進めますね」


 元プログラマーとしてはタイピングで文字出力できるのであれば有難い。

 流石にパソコンは難しいからタイプライターの開発も余裕があればとお願いしていた。


「それは嬉しいけれど……無理してない?」

「大丈夫です! 今は新しい技術で生活がどんどん改善していく。

 そのことがとても嬉しくて充実していますから!」

「……わかった。でも無理しないようにね。君が倒れると心配だから」

「エル様……わかりました。無理の無い範囲で頑張りますから安心してください」


 そうベルは微笑む。

 ……うん、ベルはそういっているけれど少しは気にしておかないとな。

 メイリアあたりに気をつけてもらっておこう。

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