第3話:ぽつぽつと床に水が当たる音

 彼女がジュリエット役。確かに良いかもしれない。彼女は容姿端麗で演劇にはもってこいなのかもしれない。

 だが、しかし。

「ちょっと待って!」

 思わず俺は立ち上がって、そう声を荒げた。

 そのせいか椅子がガタリっと揺れて、後ろに倒れる。

 叫び声と椅子の音。その2つの要因により、周りの音が消える、静寂が訪れる。

 クラスメイトの意識と視線が俺に集まったのだ。

 その中でも俺に一番の視線を与えている人間――副学級長が口を動かす。

「あ? なんだよ?」

 かなり荒んだ口調だった。副学級長は友情に熱くて、気のいい奴。そのように評価を受けていたはずなのに。

「何がちょっと待ってなんだよ!」

「……なんで彼女がジュリエット役なんだよ」

 副学級長の催促に返事を返す。黙っていても仕方が無いし、黙ることが出来そうになかった。正直に返す。

「は? いや、多数決で決まったからに決まってんだろ?」

「だからって、彼女がジュリエット役をやる事はないだろ?」

 彼女の方を見る。困惑した表情でこちらを見ていた。

 自分がジュリエット役に選ばれたことに困惑しているのだろう。かわいそうに。

 再び正面を向くと、これはまた困惑した表情な副学級長が、

「いや、何言ってんだお前?」

「何で彼女がジュリエット役をやらないといけないんだって言ってんだよ。彼女が困惑しているじゃないか!」

「……それはお前に困惑しているだけだと思んだが」

 は?

 あきれた音を出した副学級長に、俺は切れそうになる。いや、切れた。

 その怒りを込めた声を出すべきであった。そんな声を出すために俺は息を吸い込み始めて、

 彼女にワイシャツの裾を掴まれた。

 思わずな感触にビックリして、視線を彼女に移す。

「……」

 とても恥ずかしそうに彼女は俯いていた。

 上から下へ、彼女を見ているためか皮膚が見えない。髪が邪魔だ。だけど頬が、手が、見える皮膚のすべてが赤く染まっていた。

「というか、そもそも立候補者がいないからこうやって多数決を取っているわけ。決めた奴が辞退とかおかしいだろ? それじゃあ、いつまで経っても役が決まらないぞ」

 副学級長の声が聞こえるが、それは下らないノイズだ。俺の意識は、ワイシャツ裾を掴む彼女に向いていた。

 何だこれは。

 これは、副学級長が言うように本当に、彼女は俺に困惑しているのか?

 俺の行動は、彼女にとって恥ずかしい行動だというのか?

 それを止めるために、俺の裾を掴んでいるのか?

 ……なんでだよ。

 何で彼女はジュリエット役を嫌がらないんだよ。ジュリエット役というのはヒロインだ。それすなわち主人公のロミオと結ばれるっていう事だ。ちなみに俺はロミオ役ではない。多数決では1票も上げられなかった。0票だ。無だ。NULL。そしてロミオとジュリエットの1章の終わりには2人は結ばれる。ロレンスの立ち合いの元、極秘で教会で結婚式が上げられるのだ。つまりだ、彼女は俺とは違う野郎と結ばれるという事なのだ。なんでそんな事実が存在しえるルートを否定しないんだよ。俺は彼女の事を大切に思っていた。何回も対立したり喧嘩したりはしたけど彼女の事を嫌いになった事は無かった。どんな事があったとしても彼女を離したくなかった。そして彼女も俺に対して同じような感情を抱いていたはずだ。ならばこの結論に至って俺の行動を嫌がったりしないはずだろう? 「それは一方的な思い込みだ。勘違いするな。お前が考えている物はストーカーと同じようなものだ。他人の感情を自分の都合の良いように解釈するな。ねつ造するな」と思うかもしれないが俺にはある程度の根拠がある。彼女の常軌を逸した嫉妬だ。蚊にすら嫉妬した独占欲だ。何らかの理由を付けて俺に色々と強要してきた愛の重さを感じれば分かる。彼女は俺を離さない。俺から願っても絶対に離してくれない。そう結論付けるだけの自信がある。

 そんな時に、クスクスと、はははと、ぎゃはははと、笑い声が響き渡る。

 周りからの笑い声だ。男女関係なく俺に対して笑っている。目立つ生徒、目立たない生徒、身長が高い低い。そんなこと関係なく。みんな俺に対して笑っている。

 その笑い声を受けるたびに、

「……っ」

 彼女が掴む裾。そこにかかる体重が更に掛かる。

 皮膚が更に赤く染まるのが見える。気のせいか、ぽつぽつと床に水が当たる音が聞こえた気がした。

 それを意識した瞬間——なんてことをしてしまったんだと、後悔が俺の全身を包んだ。

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