第2話:今の私を見ろ

「でもなんかムカつく」

 その言葉が私の口から漏れ出た時、びっくりした。

 私は理解しているのだ。彼が勉強を頑張っている理由も、私の膝枕を断った理由も。理性では理解している。

 でも、感情が理解していない。

 ムカつくのだ。ムカつく。なんで膝枕を選ばないのだ。なんで勉強を取るのだ。

 なんであるかも分からない未来を選ぶのだ。

「ねぇ」

 ああ、また言葉が漏れ出た。理性がヤメテと叫んでいるのに、感情が私の口を勝手に動かす。

 そして、

「今の私を見ろ」

 私の感情に、彼が困惑している。

 当たり前だと、5W1Hすらなってない言葉なんて理解されないと、理解されても納得はされないと、今すぐ挽回の言葉を吐き出せと、理性が叫んでいる。

 なのに、それを上回る感情が叫び散らす。

「今の私を見ろって言ってんのよ」

「うん! 今見てる! めっちゃガン見してるよ!!」

「違う!」

 自分の意志とは関係なく、右腕が動いてビンタ。

 彼はさらに困惑。困惑を重ねる。何を言えばいいのか。何をすればいいのか分からないようだ。

 それはそうだろう。理性わたしだって分からない。感情が勝手に暴走しているのだ。

「そんな物理的なモノじゃない。そういう問題じゃあないのよ!」

 一呼吸。

「なによ。そんなに私といたいのなら、私が成績を下げて一緒にいてあげるわよ」

 なんとなく言った一言。それは、

「いや、それはダメだ」

 彼の力強い一言によって否定される。

「それは嬉しいよ。嬉しいけどダメだ。それはダメだ」

「……私の成績を下げたくないから?」

「ある意味そうだ。俺がお前のクラスに行くからこそ意味がある」

 真剣な目つきだ。

 それを見て思い出す。そういえば彼は、自分が中途半端な存在で私と釣り合う存在かどうか不安がっている。だからこそ自分は努力しなければならないと。

 素晴らしい精神だと思うし、私が彼を愛す一要因でもある。でも、

「つまんないプライドね」

 感情の私にはどうでもよい事だった。

「貴方が今ここで頑張っても一番上のクラスに入れる確率は0に近いわ。それよりも確実に一緒にいられる方法を選ぶのが良い事だと思うのだけど」

 呼吸を入れずに早口。感情がさらに暴走しているのが分かる。

 ここで理性わたしはやっと気づく。

 ――未来の私に嫉妬しているのか?

 今の、今現在の私を犠牲に、未来の私と手を取る。そのような行為をした彼を見て、感情わたしは未来の私に嫉妬したのか。

 思わず笑ってしまうが、それは頭の中だけの話。現実には表れない。感情が体を支配しているからだ。

「……どうしてそんな事を言うんだよ……!」

「なに?」

「俺の覚悟にどうしてそんな事を言えるんだよっ」

 彼の怒りはもっともだ。プライドに傷を付けて怒らない人間は基本いない。

「なんだよ! そんなに今の俺●●●が良いのかよ! 俺の理想はダメだっていうのかよ!!」

「は?」

 だとしても、彼がこんな変な事をいう人間だとは思わなかったが。

「よくわからないんだけど」

「ああ、そうだよな俺もよくわからないよ! 何が言いたいんだよ!! ああああ!!」

 そう言って彼は頭を抱え込んだ。

 私はどうすることもできない。理性も感情も「わからない」で埋まっている。

 そして、彼は動く。

「……ごめん、もうな、良くわからないんだ。俺が何したいのか」

「……」

「だからさ、しばらく離れようぜ。俺、お前に何かしちまうかもしれんしさ……」

「……え?」

「じゃあ……」

 そういって彼は、荷物を片手に図書館を出ていく。

 私はその後ろ姿を見つめるしかない。

「ははは」

 しばらくして乾いた笑い声が漏れ出た。

 次に涙が流れて、

「う、うぅうぅぅぅぅ……」

 嗚咽が出た。顔を立ててはおけず、机に乗せる。

 幸いなのは朝早い時間帯だったので、図書館に誰もいなかったことだろうか。

 図書館に誰かが来るまで、私は顔を机に置き続けていた。


 @


 そして、私たちはしばらくの間、顔を直接合わせることはなかった。

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