雨天休校【日常・ノスタルジック・約4000字】
お題
・日常
・長靴
・滅びの爆裂疾風弾
カナが学校に来なくなったのは、だいたい一年前――小学四年の夏のことだった。カナの母親は「ちょっと疲れちゃったみたい」と言っていた。
ちょっとって、こんなに長いもんだったっけ、と俺は思うけど、カナにとってのちょっとと、俺にとってのちょっとは、多分違うんだろうし、なんというか、本人にしか分からない、センサイなさじ加減、的なものなのかもしれない。
カナは近所に住んでいる幼馴染みで、幼稚園の頃からずっと一緒だった。小学校に入って、学年が上がるごとに少しずつ、俺とカナは離れていった。男女の幼馴染みって、俺たち以外にもそんなもんだったと思う。俺には俺の友達がいて、同じように、カナにはカナの友達がいたように見えた。
けれど、雲一つなくカンカンに晴れた――これは、俺はよく覚えているんだけど、退屈な授業なんか放り出して丸一日サッカーボールでも追いかけていたら本当に気持ち良さそうな夏のある一日に、カナはふらっと学校に来なくなった。
最初は、暑いし体調が崩れたんだろうと思った。けど、カナは次の日も来なかった。
次は夏バテかなんかかと思った。けど、その次の日もカナは来なかった。
けっこう厄介な夏風邪かもしれない。けど、その次の次も、次の次の次も。
次の週の月曜日になっても、やっぱりカナは学校には、来なかった。
それで、俺はやっと、ああ、そういうやつじゃないんだな、って気づいた。
多分、無視とか、いじめらたりとか、そんなんでもなかったと思う。クラスの人間には、本当に心当たりが無かった。
何で来ないんだ、って、いつだったか、直接聞いてみたこともある。
「小学生男子の、単純な脳みそじゃ分かんないよ」
あいつ、そんな風に笑った。
梅雨が来た。開けたら、今年も夏休みは目前だ。
国語の先生の朗読を聞きながら、教室の窓の外に降りしきる雨を眺めていた。鼠色の空の下、グラウンドに水たまりが無数に出来ている。田舎の爺ちゃん家にあったひょうたんみたいな形をした奴があったり、姉が中学校の家庭科実習で焼いたへたくそなハンバーグみたいな形をしたやつもあった。
雨は嫌いだ。雨が降るとサッカーが出来ないし、自転車も漕げない。
実際にはそんなことはなくても雨の日は、何もできないし、どこにも行けないような、そんな気がしてくる。
そんな雨ばかりが続く、梅雨はもっと嫌いだ。
嫌いだな。
もしかしたら、カナのカレンダーはあの日から、ずっと梅雨を続けているのかもしれない。
ふと、そんなことを考えてみる。俺は将来詩人になって本屋でサイン会を開けるかもしれないな、と思った。
今日も雨だった。
昨日の帰り道、明日も雨だったら試してみようと思ったことがある。
「行ってきます」
そう言って、古い方のスニーカーを履いて家を出る。雨降りに長靴を履くのは去年やめた。クラスじゃ粘って長靴派を貫いた方だったけど、さすがに大部分が履かなくなってきていたから、皆に合わせた。
門扉を抜けて、いつもの通り左に曲がる。そこから今度は右に行くのが学校への近道だが、今日はもう一度左へ。
何でそんなことをしてみようと思ったのか、よく分からなかった。でも、しようと思ったことは、物は試しだ。
今年の夏は、雨の日は学校へ行かないことにした。
友達に、体調が悪いから休む、と担任に伝えておいてくれとは言ってある。が、親からの連絡はないから、律儀に家に電話をよこすかもしれない。そうしたら叱られるか、少なくともどうしてこんなことをしたのかと問い詰められはするだろう。
まあ、面倒だな。だけど、やってしまったものは仕方ない。今から遅刻していくのはそれこそ馬鹿らしい。まあ、なるようになれだ。一回さぼるくらい、人生においては誤差にもなりやしない。
そう決めて、雨の下を俺はずんずんと歩いた。塀に咲くアジサイが綺麗に濡れている。地区でなんちゃら賞を貰った優等生の去年の自由研究によると、アジサイの色は酸性雨が降っていると変わるらしい。
晴れた日には、よく友達とサッカーをしにくる公園を横切った。入っちゃいけないと書いてある存在意義の分からない芝生があるから、俺たちがそれを有効活用している。大人が見ていない間に、俺たち子供はそうやってちゃんと社会の役に立っているのだ。
ざあざあと音を立てて、芝生に露が弾けた。音楽のテスト。かえるの歌の輪唱、あるいは、猫ふんじゃったの連弾。
先客が居た。無数の雨粒が作るプリズムの向こう側、おぼろげに見えた白いワンピースの背中に、見覚えがあった。
「カナだ」
ぽかんとした声で名前を呟いたら、背中がくるりと振り返った。
「や、久しぶり」
「……ああ、久しぶり」
「学校は?」
まるで、自分には関係ないって風に、カナが訊いたから、俺は答えた。
「さぼった」
「何で?」
「雨が」
「雨?」
「雨が、降ってるから」
「ふうん」
そう呟いて、カナは足元の水たまりを蹴った。ぴしゃん、と音を立ててしぶきが上がった。カナは青い、夏空みたいな色の長靴を履いていた。
「カナは?」
「何が?」
「どうして、公園に居るんだよ?」
「雨が降ってるから」
「ふうん」
どうして、とは訊かなかった。ここでもう一度訊いたら、また前みたいに単純だ、って言われそうな気がしたから。
代わりにカナがこう言った。
「私たち、やっぱり気が合わないね」
「……ちょっと、俺入って大丈夫なのかよ。学校さぼってんだけど」
「大丈夫。私が家に出入りするの、見ないように気を付けてるみたいだから、お母さん」
カナの家の玄関の前で、そんな呟きを俺たちは交わして、カナはわざと音を立てて鍵を回すと、無造作にドアを開けた。廊下が続いて、奥のリビングに繋がる扉は閉められていた。
「なんで、そんなことしてんだよ。お前の母さん」
「さあ? なんか、カウンセラーとか、そういう人にアドバイスされたんじゃない? 刺激するなとか、自由にさせろとか」
別に、そういうことじゃないのにね。大人になると、物分かりが悪くなっちゃうのかもね。
そう呟いて、カナは靴を脱いで階段に足を掛けると、上がるように俺に促した。
久々にカナの部屋に入った。第一印象は「あれ、こんな感じだったっけ」って風で、なんというか、良く言えばさっぱりしていたし、悪く言えば、冷たい感じがした。でもそれはなんとなくで、もしかしたら、昔からこんな感じだったのかもしれない。俺の見方の方に、なんか別のフィルターみたいなものが、噛んでしまったんだろうか。
「で、なんで部屋に上げたの?」
「理由? なんか特別な理由がないとおかしい?」
「いや、別にそんなんじゃないけど」
「昔はよく来てたじゃん。私もよく行ってたし」
「昔だろ」
「今は違うの?」
「……知らねえよ」
「君、そんな口調だったっけ」
「だから知らねえって」
そんな会話をしながら部屋の小さなテレビの下からカナが引っ張り出したのは、ゲームのコントローラーだった。
「これ、相手して」
「……お前、ゲームなんてやるっけ?」
「やるようになったの」
「いつから?」
「結構前」
カナが選んだのは、見た目のイメージとは全然違う格闘ゲームだった。
「へえ、似合わないの」
「いいから」
とはいえ、それは俺もちょっと友達の家でやったことのあるゲームだった。
どれ、にわか女子に男子小学生のゲームの腕を見せてやるか。そう思ったが……
「お前、強すぎだろ……」
「そんなことないよ」
カナは、めちゃくちゃに強かった。五回やって、ほぼ封殺。完封。パーフェクト。
「私より強い人だって、いっぱいいるし」
「いつも、一人でやってんの?」
「うん、オンラインで」
ちょっと悩んでから、俺は試しにこう訊いてみた。
「……全国何位?」
「三百位くらい」
「いやいや! マジで強すぎるだろ!?」
驚いてそう叫ぶと「まあ、たくさんやってるから」とだけカナは言った。
キャラセレクトの画面をぼうっと見ながら、俺は一頻り考えて、それから呟いた。
「ここがカナの居場所とか、そんな感じなの?」
カナは、あの時と同じように、ふっと笑った。
「小学生男子の、単純な脳みそじゃ分かんないよ」
あの時と同じセリフ。カナがそれを覚えていてわざと言ったのか、俺には分からない。何か言い返そうと思って、やっぱりやめた。
「そうかな」
「そうだよ」
そう言われて、俺は、小学生男子の脳みそじゃ分からないものを見てみたくなった。
コントローラーを手放して、カナに言う。
「強い奴とやってみろよ」
「えっ?」
「カナが戦ってるのを、見てみたい」
「……別にいいけど」
オンラインでマッチングしたのは、二ケタ順位の格上の相手だった。
始まった。
カナの横顔をちらりと見た時、背中がぞくりとした。今まで見たことがないくらい、貫いてしまいそうなくらい、真剣な表情だったから。
こいつ、こんな顔するんだって、そう思った。
カナは無言でコントローラーを操った。敵の攻撃を読んで守り、隙を突いて攻める。相手も同じことをやってくる。そうして、互いにじわじわとヒットポイントが削れていく。俺の目からは、互角の戦いだった。
二回戦って、一対一になった。次に勝った方の勝利だ。
最後の勝負も、中盤までは五分の戦いになった。しかし、少しずつカナの癖を、相手は見切り初めているようだった。
なんだか、自分が戦っているみたいで、しかも、何か重たいものがこの勝敗に掛かっているみたいに、俺は手に汗を握っていた。
「私さ、全部吹き飛ばしてやりたいんだ」
不意に、そんなことをカナが言った。若干、劣勢だった。
「全部、爆弾かなんかで吹っ飛ばしてやりたい」
「へえ」
そう、俺が気の無い返事をした。微妙な勝負だけど、もう、カナは負けそうだった。
その刹那。
「君を、真っ先にこっぱみじんにしてやりたい」
「えっ?」
『……滅びの
超必殺が決まって、ギリギリで、カナは逆転していた。
「なんてね」
大きく息を吐いてコントローラーを投げ出すと、カナは目を細めて笑って見せた。
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