レイト・ハッピーバースデー【切なめ・約3300字】
お題
・交通事故
・映画
・ゲーム
・誕生日
私、一人で映画を見ることが多くなった。
一人でご飯を食べることが多くなったし、一人でお買い物に行くことが増えたし、カラオケに行く回数は減ったし、漫喫やネカフェにいる時間は短くなったし、家にいる時間は増えたし、あと、太ったし、新しい服もあんまり買わなくなったし。
違うな。全部まとめて言ったら。
私、一人になったな。
うん、一人になったんだ。
その日も、私は映画館に居た。映画は良いと思う、何もやることの無い私に、行き帰りとお昼ご飯と、それに本編。合わせて5時間分の、それなりに意味のある時間消費を与えてくれる。見る物は別に何でも良くて、アメリカンヒーローのアクションものを、4Dとか3Dじゃない、普通のバージョンで見ていた。何でもいいのは、別に投げやりにそうしているわけじゃなくって、何だって、まあそこそこに楽しめるから。可もなく不可もなく、まあ、そこそこに。
Sサイズのポップコーンとジンジャーエール。明滅するスクリーン。それを静かに見守る観客。飛び回る。目まぐるしいカメラワーク。英語と字幕。ビルとビルの間をすり抜ける。車と車の間を駆け抜ける。
ヒーローは、当たり前のようにくだらないジョークを落としながら。そりゃあ、そうなんだけど。
私たちはヒーローじゃないし。いたって普通の人間だし。
明滅するスクリーン。
しょっぱいポップコーン。
気泡の無い、終盤のジンジャーエール。
明滅するスクリーン。
稲妻がかっと切り裂いて。
一瞬、君の顔が視界の端にフラッシュバックした気がした。
私ははっとして、左隣の方に振り向いてみて。
それで、ああ、と思わず息が漏れた。
「や、久しぶり」
君が――ユウコが、当たり前みたいに、私のSサイズのポップコーンに手を伸ばした。そのモノクロ映画の女優みたいに白い指先が、気のせいじゃないぜって字幕を書いて見せた。
「……うん、久しぶり」
No Speaking。私語厳禁。
私は映画を見ていたはずで、それも、アメリカンヒーローのアクションものだ。こういうんじゃなくて、センスの悪いジョークが挟まるやつだ。
お涙頂戴の感動作品の、それも、登場人物になったつもりはなかったんだけど。
映画館を出ても、まだ日は高い。交差点を雲一つない快晴が焼いている。
スーツを脇に抱えたサラリーマンも、白いブラウスに短いスカートの女子高生も、私も、ユウコも、みんな夏の入口に立っていた。それなのに、ユウコは厚手のベージュのコートを着ている。
「暑くないの、それ」
私が尋ねると、ユウコは首を振る。
「全然」
そう言ってから、ユウコは不意に私の方に手を伸ばした。
「ほら、死体って冷たいでしょ?」
彼女の手を取ると、確かに冷たかった。何というんだろうか、水や氷とは違う。
……そう、土に触れた時の、あの冷たさだ。幼い頃、土を手で掘ってすくった時の、ひんやりとした心地よさが、ユウコの体温そのものだった。
それはとてもおかしなことで、同時に、とても当たり前のことだった。
ユウコは微かに手に力を込めて、私の手を握った。私はその力強さを確かに感じる。ユウコはそのまま歩いていく。
私もその隣を同じ歩幅で。あの頃と同じように。
あの頃と、同じように。
私は思わず立ち止まった。
手がほどけて、一歩だけ前へと出たユウコが振り返る。
耐えて、堪えて、声を絞る。
「どうして、かえってきたの?」
尋ねる声が、どうしても震えてしまう。
もしかしたら「どうやって」と訊いた方が、適切だったのかもしれない。いや、そんなことはどうだっていい。そもそも、訊くべきではなかったのかもしれない。
私には、求めていた答えなんて、最初から無かったんだから。
「さあ、どうしてでしょう?」
そう、彼女が笑う。
ユウコは、去年の冬に車に撥ねられて、確かに死んでしまったはずだった。
「じゃあ、ゲームね」
「……ゲーム?」
うん、とユウコが頷く。
「どうして還ってきたのか、当ててみてよ」
そうユウコは、ちょっとした思いつきを自慢するみたいな口ぶりで言った。
あんまり、気の進まない提案だった。でも、ユウコはそんなのは気にしない。
「ちょっと歩かない? 久しぶりに。ほら、シンキングタイムだよ」
こういう時って、何か思い出の場所とか、昔行った所を回ったりとか、そんな感じにコースを取るもんだと思っていた。けれどユウコはそういうノスタルジーにはお構いなしで、あっちにこっちにとあてどなく歩いた。昔通ったことがある道もあったし、記憶にない道もあった。
その間ユウコは、私に他愛のない世間話を向けた。
最近はどうなの?
まあ、普通にやってる。
仕事は?
まあ、それなりに。
友達は?
まあ、ほどほどに。
そんな話。
「そっか、なら安心だ」
昔からそうだ。ユウコは肝心な所で、私のことを全然わかっちゃいない。
「ねえ、どうして死んじゃったの?」
そう訊いてみる。小さく頷いてユウコが答える。
「それは、車に撥ねられちゃったから」
「どうして車に撥ねられたの?」
「それは、私が歩いていた所と、車が走ってきた所がちょうどばっちり重なっちゃったから」
辞書を引いて、意味の説明の中にある言葉をまた引いて、そうやって堂々巡りをして。
その先を見るような。
「どうして……」
そこから先、もう声が出なかった。怖かった、のかもしれない。
ユウコが仕方ないな、と目を細めて、もう一度私の手を取った。ひんやりとして、さらさらとして、気持ちの良い手。
「コンビニ行こうよ、あたし、ケーキ食べたい」
いつの間にかもう、私の家の近所だった。よく行くコンビニが近くにある。生きて
いた頃は、彼女ともよく行った。
「何にする?」
「決まってる、チーズケーキ」
そうだったな、と私も、やっと少しだけ笑えた。いつも二つ入りのニューヨークチーズケーキを買って、私の部屋で一個ずつ食べたものだった。
コンビニを出ると、ユウコの真ん前から夕陽が差した。真っ黒な影が、へたくそな演技でこんな風に喋ってみせる。
「あ、しまった、死体だからケーキ食べられないんだった」
バカ、何がしまっただよ。
そう笑う横顔が、たまらなく綺麗だった。
ぬくもりがもう、そこにはないんだって信じられないくらい。
もう、本当はそばに居ないんだって、信じられないくらい。
綺麗で。
「だから、二つともプレゼント」
私は小さくため息を吐いて答える。
「それ、私のお金で買ったやつだし」
「きみのお金で買ったもの、きみにプレゼントしちゃだめ?」
今度は私が、仕方ないなって、そう目を細めて。
「ううん、いいよ、貰ってあげる」
「ありがとうは?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
ユウコが歩み寄ってきて、不意に、こつんと額をくっつけた。
どうしてだろう、その時だけは温かかった。
「あんまり、強がっちゃだめだよ。ほどほどとか、まあまあとか、嘘ばっかついてさ」
「うん」
「代わりに、もっと強くなってね」
「……うん」
それから、ぎゅっと背中に回した手をほどいて、ユウコが私から離れた。
「じゃあ、時間です」
じゃん、とユウコは口で効果音を鳴らしてから、私に尋ねる。
「私はどうして還ってきたんでしょう?」
私は、用意していた答えを口にする。
「おっちょこちょいで車に轢かれるようなやつだもん、理由なんてないよ、ついうっかりってやつだよ。ばーか」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサーだ、ばーか」
「ばかばかひどいなあ」
「それで……正解?」
さあ、どうかな。そう言ってから、またユウコは笑って。
「でも、それでいいんじゃん?」
「だよね」
「うん、だよ」
「ほら、そろそろ帰れ、うっかり野郎」
「野郎じゃないし、ほんとひどい」
そう笑う。
「……じゃあね」
またね、とは言わない。でも。
「会えてよかった」
「おう、じゃあな」
そう言った後、ユウコが私の名前を呼んだ気がした。突然に強く風が吹いて、思わず目を閉じる。
次の瞬間には、また私は一人になっていた。
袋の中のチーズケーキを見る。
何が死体だから食えない、だ。会ってそうそう私のポップコーンばりばり食ってたくせに。
「ロウソクなんて、うちあったかな……」
まあ、無くてもいい。二つとも食べてやる。
それで明日の仕事終わりには、ずっとしまいっぱなしだった、スポーツジムの会員カードでも使ってみようかと思う。
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