第三話 夕暮れのあいつ

 意地悪されているような毎日だった。

 ソフトボール部の隣で、大翔たち陸上部員は遅くまで練習をしている。彼は相変わらず、足をバーに引っ掛けていた。一七〇センチを跳ぶのは難しいらしい。嫌だけど、部活が終わるころ、その光景を目にする。帰ろうとすると大翔が跳ぶ。失敗すると悔しそうな顔をして、走る練習に戻っていく。あいつの背中を見送るまで、そこから動けない。

 どうしてそんなにがんばるの、と聞かなくても知ってる。


 ――朱里さんのため。


 でも、わたしにはわからない。振り向いてもらえない相手のために、がむしゃらに練習することに、どんな意味があるのだろう。ひょっとしたらと、万に一つの期待をかけて挑む姿は無謀だ。そんなのただの妄想に過ぎない。幻想に幻滅したとき、あいつはどうなってしまうのだろう。

 そう思うのが嫌だった。邪推でしかないけど、嫌で嫌でたまらなかった。がんばるなら、彼自身のためにがんばってほしい。朱里さんのためではなく……。

 でも、その気持ちには、「どうしてわたしのためにはがんばってくれないの?」という嫉妬が含まれていることを知っていた。

 大翔だって、跳ぶことがあんなに好きだったのに。そんな彼の姿をみるのがどれだけ大好きなのか、彼はもちろん知らない。跳べないバーを跳び越えた姿に目を奪われたあの日のことを、忘れることができない。

 小学校のとき、友達の間で大翔は、かっこいいと評判だった。そういうの聞くと腹が立って、見た目はよくても中身はエロしか頭にないバカだって、悪口ばかりいっていた。中学に上がって、しばらくたったころ。友達につきあって入部したソフトボール部の筋トレのきつさに、辞めようかと考えながら隣のグラウンドをみたとき。

 きれいだった。

 小さいころからずっとみてきた大翔なのに、はじめてみた。自分の意志で、自身の力で軽々と跳んだ彼を、きれいだと思った。跳べたことへの無邪気な笑顔とはしゃぐ姿もかっこよくみえた。友達はすぐ、恋とかそういうのに結びつけたがるけど、そんなんじゃない。ただ、みていたい。一秒でも長く、ただ……それだけだった。

 あのときからずっと、彼の跳ぶ姿は特別だった。それはいまも変わらない。そんな自覚があるからこそ、余計に嫌なのだ。

 そんなに必死になって、なにが面白いの?

 大会のため?

 陸上部のため?

 ううん、なにより朱里さんのためだなんて。

 どんなにがんばっても、がんばってもしあわせになれないことだってあるんだよ。

 大翔だって、わたしだって……!

 わたしの気持ちに気づくことなく、彼は練習に没頭している。

 よその部活のことはよくわからないが、陸上部の練習は、種目がなんであれ、走る練習が圧倒的に多い。大翔も例外ではない。息を切らし、汗を流す。呼吸を整え、また走り出す。たまに跳ぶこともあるけれど、目標にはたどり着けていない。

 正直、いたたまれなくなる。

 もういいじゃん、といいたかった。嫉妬で胸の中がどす黒くなりそうだよ。そんなことしなくたって、わたしがいる。わたしがそばにいるのに……。

 それでも彼が跳ぶ瞬間、どうしても祈らずにはいられなかった。

 バーを落とさないで。そのまま着地して、お願い!

 祈りの甲斐なく、彼はバーと一緒に落っこちた。


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