第7話 武術の道
暖かい。緩やかな暖気が体を包む。
ふわっとまるで体が浮いてるかのように軽い。心地いい感覚だが、どこか揺れているように感じる。
なんだ? そう感じたとき、私の意識は目覚める。
「やっと起きた。
着いたよ。ヴァイスってホントによく寝るよな。まる二日目覚めないなんてさ。」
重い上体をを起こし、周囲を見渡す。辺りはがやがやと、とても煩い。そしてそれはさっきまでの商業区とも比較にならないほど、混雑した人々が行き交う。
成形された石。上へ上へと伸ばされた建造物。整備された道路。どれをとっても先程まで見ていた景色と違うが、そこは見覚えがあった。
「首都か。」
元の私がいた場所のまんま真下に位置する街。この大陸の中央で、この大陸で最も栄えてる街。
そこは何度も訪れたことがあった。
「俺も巫女様も、期間に違いはあるがこの街に住んでいたことがある。アンタも……あぁ、でもまだ思い出せないか?」
シュラスは心配そうに私を覗き込む。
「そうだな。だが完全ではないが、多少は見覚えがある。」
「そうか。なら思い出すまでは取り敢えず俺の師匠のとこにでも行こうか?
それとも巫女様の元の家でも……?」
シュラスは悩んだようにわざとらしく腕を組む。
「いえ、今日はシュラス様の師匠の所だと助かります。なに分半ば家出のような形で首都を離れてしまった故どうしても心の準備が必要なのです……。」
「そうか。分かった。」
そう言うと、よっ……とシュラスが馬車を降りる。そして、シュラスはレーネの手を取りゆっくりと降ろすとそのまま肩を貸していた。
「叔父さん、ありがとう。」
「おおよ。困った事があったら遠慮なく、連絡するんだぞ。」
彼は私と、ミルラの手を取り馬車からゆっくりと降ろしその場を去っていった。
「いつかとは言ったが、こんなに早く来ることになるとは思わなかったな。
でもヴァイスくらい強かったら、俺の技術なんて必要ないかもな。」
シュラスはどこか恥ずかしそうに笑みを浮かべていた。
「いやそんなことはない。実際私自身にはなんの力も無い、ただの無力な人間だ。
武道の心得も知識も全く持ち合わせていない私にとって、技術を知れるということは何よりも大きいものなのだから。」
シュラスはどこか邪な目でこちらを見ている。しかし、事実私は何千年と生きてきた中で一度も戦闘に関する知識を得ようとしたことは無かった。
私が人間に威厳を示せていたのは、竜でありこの地の神であるからと言うだけで、その付加物を取り除いてしまえば私はただの飾り物に過ぎないのだ。
「ふ〜ん。刀すら砕く鋼鉄の体とあの身体能力が有って、武道の何も知らないなんてやっぱり嘘くさいなぁ。ま、いいか。じゃ着いてきてよ。」
シュラスはゆっくりと歩き出す。ミルラも体力が回復したようで、歩き方に違和感が無くほっとする。
街に入り、大通りを歩く。大きな建物は切り出したブロックを更に加工してある。そして光沢があり所々に施された装飾にはどれも役割があるようで鉱山街には無い技術の高さが伺える。
整備された足元はアスファルトと呼ばれるだろう黒く、薄暗い光沢があるものが敷かれている。砂利や土の上を歩くよりも圧倒的に歩きやすい。
ただ、多くの人々がいるせいで視界はあまり良くない。また、人々が身につけているものは色彩が豊かな衣類でこれもまた鉱山街では見かけないものであった。
ただ見下ろしているだけでは知ることの出来ない情報の数々に、私は下らないプライドで近寄ろうとしなかったことに強い後悔を覚える。
「あそこだ。」
シュラスは立ち止まりすぐ目の前を指さす。指した先は周囲の大きな建物に比べると背丈は低く、赤っぽいブロックで作られた建物だった。
入り口には刀を象った木製の大きな飾りが左右に置かれ、その中央に扉がある。
シュラスはその扉をおもむろに開き中へと入ってゆく。私とミルラは一度目を合わせるが、シュラスに続き中へと入る。
「師匠居るー?」
シュラスが叫ぶ。中は外装とは裏腹に木材が多く使われているようで、壁と天井には板が張られている。
そして、少し進んだ先の床には畳と呼ばれる藁作りの床が敷かれているせいか原っぱに居るような心地の良い草の香りが鼻腔に届く。どこか落ち着くような、不思議な気分だった。
返事のない部屋で、シュラスが叫ぶ。そしてその叫びが三回ほど響いたとき、ドタバタと床を揺らして一人の男が走ってくる。
「シュラスか!
師匠、シュラスが来てますよ!」
男……と言うより少年はシュラスを確認するとバタバタと、また奥の方へと走っていった。
「シュラスか、どうした急に。」
少年が連れてきたのは一人の女性。彼女は驚いたのか目を丸くしてシュラスの方を見ながらこちらへと近づいてくる。細身の体に携えられた長刀はあまりにも不釣り合いで、彼女が達人であるとは到底思えない。
「シュラス!ひっさしぶりだな!
急にどうした?
元気にしてたか?ん?
というかお前怪我してるんじゃないか。
大丈夫なのか?
ところでそこのお客人さんは何方だい?」
彼女は怒涛のペースで話を始める。私はその余りの迫力とペースに完全に飲み込まれていた。
「あー、これはちょっとね。元気って聞かれると少し困るけど、大丈夫だよ!
この人達は俺の知り合いでそこの白いヤツ、ヴァイスって言うんだけど武芸の技術を学びたいとかで師匠に剣術を教えて欲しいって言うから連れてきたんだ。
今大丈夫だったら、早速稽古つけて欲しいんだけど。」
シュラスは慣れているようで、飲まれることなく会話をする。彼女は少々心配そうな表情をしていたが、シュラスの様子に安心したのか張っていたような表情が少し穏やかになったように感じる。
「ヴァイス……君か。
アタシはソウガミズキ。
新陰流って流派の剣術指導をしている所謂師範って言われる者さ。まぁ元々は父が受け持っていた道場なんだけど、拳術を極めたいって言って私に師範を押し付けて南の大陸に渡っちゃったんだ。
そんなことはどうでもいいとして、君が剣術を覚えたいのはどうしてなんだい?
見たところ細身だけど、何か術技の経験とかはある?」
背丈は私より少し上。かなり細身で、黒い髪を後ろに一つで束ねていて凛とした黒く少し切れ目なのが特徴なのだが……まさかそんな女性にまで細身と言われるとは思っていなかった。元々戦闘には特化していないとはいえ、少し残念だと思ったのは事実だ。
「私は武道に関する知識も心得も一切持たない。
剣術は、シュラスが持っている技術をその一端でもモノにしたいと考えた為ここに参った次第だ。」
「ふ〜ん、そうなんだ。
シュラスを見て……ね。いいよ、弟子を見て憧れてくれるなんて流派を広めようとしてる者にとっては充分すぎる理由ね。指導して上げようじゃないか。
誰か、木刀を一本持ってきな!」
ミズキが叫ぶと、先程の少年が一本の木刀を抱えて走ってくる。ミズキはそれを受け取ると、私へと放り投げた。
一瞬驚きながら私はそれを受け取る。
「アンタがどれだけ動けるか試してあげるからかかってきな。
な〜に、心配しなくてもアタシはアンタの攻撃をいなすだけでアタシからは攻撃しないから。」
「承知した。それでは宜しくな。」
私は受け取った木刀を両手で持ち上段に構える。ミズキの木刀は私の物より長いようで、構える両手の間にはかなりの間があり一方の手は刀の鍔ギリギリ、もう一方は柄のギリギリという素人目でも異質な持ち方で体に対して斜めに構えていた。
私は、上段で構えた状態でゆっくりと距離を詰め一気に振り下ろす。
木刀は、ミズキの木刀により受けられる。
カッという音が鳴る。そして私の体は前方へと体重を掛けるものがなく泳ぐ。
ミズキは言葉の通りいなしたようだ。手応えは無かった。確かに木刀には触れていたはずだというのに、驚く程手応えがない。
私は体制を整え、雑に刀を横に振るう。かっという乾いた音が聞こえるが、またもや手応えは無く振るった刀に振り回されるように上体が振れる。振り回されていては仕方が無いと私はゆったりと構え、横に軽く振るう。
パキッ。先程とは違う乾いた音が聞こえた、と思うと振るったはずの刀は私の方へと跳ね返ってきていた。私は驚き、何とか木刀を静止させもう一度上段へと構える……が。
「もう良いぞ。大体分かった。」
ミズキの声が聞こえ、私は構えた木刀をゆっくりと下ろした。何度か木刀を振るっただけ。
しかし分かる。私には今いくら振ったところで一回ですらも彼女には届かないだろう……と。
「筋自体は悪い訳では無いけど、アンタはあまりにも無知すぎるね。
まずは基礎から覚えていくべきだろうね。」
ミズキは呆れた様に言ったが、直ぐに柔らかく笑った。
「ミズキは何故そのような長い刀を使う?
私の持つものより些か以上に長く見えるが、何か意味はあるのか?」
率直な疑問。扱いにくいであろうその長刀を指さして私は問うた。
「ここの流派ってのは元々少ない力で如何に大きな力をいなせるかって事が発端なのさ。
その為には支点から長い距離をとれる刀の方がより効率的に戦えるってわけ。
だからよく見てみな。この刀は刀身だけじゃなく柄自体も普通のものよりかなり長くなっているでしょ?
これはただ持ちやすいかってことだけじゃなくて、ここも使うからってことなのさ。」
確かに見てみれば、柄の長さは刀が長いことを加味してもかなり長く感じられる。そこでようやくあの手応えの無さの原因が分かった。
「ウチの流派では効果的な力の使い方と、バランスの取り方を重く見ているからアンタはそのための基礎として最低限のいなし方と刀の使い方を覚えてもらおうかね。」
そう言ってミズキはシュラスを手招きした。
「アンタも一度やって見た方が早いでしょ?
寸止めくらいアタシの弟子なんだ。
出来るだろう?」
シュラスはニヤッと笑うと、ミズキから長刀を受け取り目の前で構える。構えはミズキと同じく独特の斜めに待つスタイル。しかし、ミズキよりも小柄な彼が持つ長刀は先ほどより更に長く見える。
「俺は師匠と違って少し技術は足りないからいなすだけのつもりだけど、もし返しちゃったらごめんな。」
彼は構えると更に小さく見える。しかし、どこか圧倒されるような雰囲気は師匠であるミズキにも劣ってないだろう。
「承知した。」
私は木刀を軽く握る。先程の手合わせで分かったが、早く振るうことに拘ろうとして強く振るうより、少し力感なく振るう方が早く振れるのだ。
私は構えた木刀を横に振るう。今度は両手で。
シュラスが斜めに構えた長刀の先端で受けるのが見える。しかし、想定してた感触ではなく私の木刀は強く弾かれる。思わぬ衝撃に木刀は私の手を離れる。
ダンッという音を立てて私の木刀は少し後方の畳へと転がる。私は驚いた体を鼓舞して木刀を拾い直す。
構え直した先に見据えたシュラスの表情はとても冷やかで、知り合いであるのにも関わらず背筋に汗が滴る感覚がある。
私は握る力を先程より若干強く握り直し、上段から振り下ろす。無知とは辛い……とはこのこともあるだろう。思いつく攻撃手段があまりにも少な過ぎるのだから。
カッという音。しかし、今度は長刀の先端で受けられたはずの刀にあるはずの感触がなく、シュラスの右方向へと流された木刀が虚しく空を切る。
強く振るったせいもあり、私の体が横に流れる……と首元に何かが当たる。
「終わり……だな。」
当たっていたものが長刀の先端だと気づいたのはその言葉が聞こえた後であった。
「勝てないということが分かっていても負けというのはやはり、悔しいものだな。」
「はは、しょうがないよ。
俺達は対処法を知ってるのに対して、ヴァイスは何も知らないんだから。
でも、細い割に結構力はあるのか?
振り自体はかなりいいと思ったんだが。」
「ふむ、シュラスもそう思うか。
何も知らない割にはなかなかいい素材してるじゃないの。いいね〜。面白い、これなら直ぐに上達するさ。
ただ筋はいいとはいえ、男の癖にその貧弱な体ってのはなってないね。
基礎としてまずはこの長刀をその木刀と同じくらいまで振れるように練習しな。」
ミズキはほいっと、長刀を放り投げた。私は両手で受け止める……が、受け取ったそれは二人が軽々しく振るっていたはずだというのに重い。
木刀と比べても明らかに重く、長いために構えようとしても支えるので精一杯だ。
「アッハッハッハ!
ヴァイスそんな端っこだけ持ってたら重いに決まってんじゃん!
片方の手は鍔のあたりを持って、そこを支点にして回すように振るうんだよ。」
シュラスは私の姿がよほど面白かったのか、膝を揺らすほどに笑っていた。
ふむ……と、左手を鍔のあたりへと持っていく。すると右手の軽い力でも簡単に刀身が動く。
「基はそこさね。
アタシとシュラスがやったのは、アンタの攻撃に合わせて柄の手を操作して軌道をずらしつつ引いたのさ。
そして、シュラスがやったアンタの刀を弾いたのは逆にアンタの刀がぶつかった瞬間に柄を一気に引いて先端を加速させたのさ。
結果として力負けしたアンタの刀は弾かれたって訳さ。基礎だけどそれだけでも充分違うだろう?
そこら辺は感覚的なものだから、アンタはとにかくしっかり振るえるようになりなさいな。」
ミズキは身振り手振りを加えそう説明してくれる。私は試しに長刀を振るう。
重い……が、コツの一端は掴めたような気がした。
そしてそれは……楽しかった。知らない知識、知らない世界。私はそれが、森から拓けた草原を見るような清々しい気持ち。兎に角心が踊っていた。
「別に、争いごとは好きではないのだがな……。
武術というものは実に興味深いな。」
私の独り言をミズキは何処か嬉しそうに聞いていた。それから目をそらすように後方へ目を向けるが、そこに映るミルラも何処か温かい目でこちらを覗いてるようで堪らなく恥ずかしくなった。
「聞かなかったことにせよ……。」
私は小さく呟いた。
「そんなことより、ヴァイスの防御術も教えろよ。」
私の呟きを打ち消すように飛び出した声。そして同時に、私の肩を少し低い位置から掴まれる。
「あぁ……そのことか。
説明すると少し長くなるが……。
シュラス、ここでは不味い。少し外に行こう。」
私は肩を掴むシュラスの腕を解き、外へと歩く。シュラスはキョトンと、驚いたような表情をしつつもゆっくりと私の後を歩いてくる。
外へ出ると建物の直ぐ奥の方から小道へと続く道があった。
私はそこに入り、シュラスが近くにいることを確認しゆっくりと話すことに決める。
「あまり驚かないでくれ。ただ、既に薄らとは知っているかもしれないが私は人間ではないのだ。」
「え。」
案の定シュラスは驚きからか表情を失っている。やれやれと、彼の平静が戻るまで私も歩みを止める。
「もしかして、龍神様って言うのは.......。」
「そうだ。理解が早くて助かる。
私はこの地の竜神だ.......元をつけた方が正しいのかもしれぬがな。ただ、ここから話すことになるとまた長くなる故そういうものだと考えてくれ。」
「な、なるほど。龍神様.......龍神様だったのかアンタ.......ぶ、ぶれいを働いてしまったのかもしれないですかも.......。」
「あぁ、普段通りで良い。これからもこれまで通りで良い。」
シュラスの反応に、危うく笑ってしまいそうになる。しかし、私は対等な関係というものに憧れを持っていた身であることもあり今の関係が心地よいとすら思っていたのだ。
「そ、そう……か。
じゃ、ヴァイス……さま……あの鋼鉄のような体も龍神様としての力ということなのか?」
「あぁ、そうだ。本当に理解が早くて助かる。
私はこのような石を探している。これにはそれぞれ竜としての力が封じられているようで、私の硬化はこの石の力であると考えてくれればよい。
つまり、私以外には使うことも出来ぬし教えてどうとなるようなものでは無いということであるな。
申し訳ないが。」
私は、袖口から淡く光を放つ欠片を取り出す。周囲どれを見渡しても同じようなものは無いそれをシュラスは不思議そうに眺める。
「そうか.......アンタのあの力、正直俺は羨ましいと思ってたんだ。傷つかなくちゃいつも戦えない.......だから、俺は傷つかないように師匠に教わったというのに、結局はあのザマだ。
心配はさせたくない。だから、最低限傷を抑える力が欲しかったんだ.......ないものねだりってやつか。
でもアンタを見てて思ったよ。俺ももう一回師匠から学んでもっと強くなろうって。」
シュラスはたまに分からない。少年っぽい容姿、言動のはずだと言うのに纏う雰囲気はどこか長い年月を重ねたような。
面白いものを見せられてるようで私は声もなく笑っていた。
「そうか。なら一緒に鍛錬を積もう。」
私はシュラスと共に元の建物へと戻った。
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