授業一 幼なじみのお姉さんは変わらない

 「専属先生ってなに!? 俺そんなの頼んでないよ!」

 手帳には青姉の写真が添付されていて、その下には鈴屋すずやりん担当青山あおやまあお先生と書かれている。

 「な、なんで青姉が俺の担当なの? というかそもそもなんで青姉は先生なの? 勉強できたの?」

 意味がわからない。すっごい不良だった青姉が俺の先生!?

 「ちょっと鈴君酷いよ! 私、ちゃんと頭良いんだよ! ひきこもり専属先生だって私が主導で推進してる国のお仕事なんだよ!」

 青姉はぺしぺしと俺の胸を叩く。

 全く痛くない。昔はデコピンでも相当痛かったのに、これが青姉のパンチなんて嘘みたいだ。

 「日本中の学校滅ぼしてやるとか言ってグレてた青姉が先生なんて……。ううっ。立派になって俺は嬉しいよ」

 指を目元に当てて涙を拭う素振りをしてみせる。

 「あんまりバカにしてると怒るよ!」

 頬を膨らませた青姉に睨まれてしまった。

 昔の青姉に睨まれたら身動きできないぐらい怖かったけど、今は全然怖くない。むしろ可愛いとさえ思える。

 けど、なんというか話し方も仕草も――「無駄にあざといな」

 「なっ!」

 「あっ」

 つい口に出してしまった。

 青姉も目を見開いて固まってるし、これは言ったら駄目なやつだったかもしれない。


 「り、鈴君? いい、今何か言った?」

 「い、いやぁ? なな、何も言ってないよ?」

 互いに声を震わせて首を傾げ合う。

 「そそ、そうだよね。あ、あざといだなんて、鈴君が言うはずないよね」

 青姉は激しくまばたきをしながらひきつった笑みを浮かべた。

 こ、この人必死で聞かなかったことにしようとしてくれてるよ。

 「そ、そうだよ! おお、俺が青姉にそんなこと言うわけないじゃないか! あはははは」

 そんな人に本当のことを言えるはずもなく、俺は必死で嘘を吐く。

 「そうだよね。うん。そうだよ……」

 嘘を信じようとしてなのか、青姉は何度も頷いている。

 しかし最終的には俯いて黙り込んでしまった。


 「……」

 「あ、あの、青姉? 大丈夫?」

 「……」

 沈黙する彼女に声をかけるも返事はない。

 「ね、ねぇ。だ、大丈夫?」

 今度は肩を揺すってみる。

 すると青姉は予想外の方法で沈黙を破った。

 「……嘘吐いてんじゃねぇぞ、このすかたんがぁぁ!」

 怒鳴り声を上げ、がら空きだった俺のボディに拳を突き刺したのだ。


 「ぐふぅっ!」

 もろにダメージを受けて後ろへ吹き飛ばされる。そのまま床の上をバウンドしながら滑り、階段の角へ後頭部をぶつけた。


 「ぬぉぉぉぉぉおぉ!」

 右手で後頭部を、左手で腹を押さえて床の上でのたうち回る。

 「や、やっちゃった。てへ!」

 「んあぁぁぁあぁ!」

 青姉が舌を出してウィンクする。

 やっぱり青姉は良いパンチ打つね。なんて言葉は出てこない。出てくるのはうめき声だけだった。


 「だ、大丈夫?」

 なぜか青姉は若干引いた様子で聞いてくる。

 誰のせいでこうなった。誰の!

 「こ、これが大丈夫に見える?」

 俺は後頭部を押さえたまま上半身だけ起こして青姉を睨みつけた。

 「み、見えるよ?」

 「なら目を逸らすんじゃない」

 「ううっ」

 指摘すると彼女は渋々こちらを見る。

 俺は生まれたての小鹿みたいに震える足で立ち上がり、彼女の前までよたよたと歩く。

 「青姉、別に無理して良い子ぶらなくて良いんだよぉ?」

 怒りを圧し殺し、俺はひきつった微笑を浮かべる。

 「私は無理なんてしてないもん。足プルプルさせて、無理してるのは鈴君の方でしょ」

 青姉は拗ねた子供のように言い返してきた。さっきこの人が俺をすかたん呼ばわりしながら殴ったとは誰も思わないだろう。

 だけど、俺はさっきのハードパンチャーの方が見覚えも殴られ覚えもあった。

 はっきり言うとあざとい青姉には違和感しかない。殴られるまで本当に青姉なのか疑ってたぐらいだ。

 つまりなにが言いたいかというと、青姉はありのままの方が良いってこと。

 だから本性をさらけ出してもらおう。それとついでに殴られた恨みも晴らしてやろう。


 「青姉、実は昔のままなんでしょ? すぐ手が出る青姉のままなんでしょ?」

 「そ、そんなことない! わ、私、もう良い子だもん」

 「でもさっき俺のこと殴ったよね? 腹、痛かったなぁ」

 「うぐっ」

俺が腹を擦って言うと、青姉はばつが悪そうに目を泳がす。

 それを見て俺はすかさず追い討ちをかける。

 「話し方も昔に戻ってたし、目付きだって鋭くなってたよ。実はどこかに釘バット隠し持ってるんじゃない?」

 「うぐぐっ」

 「そもそも先生だって言うんなら生徒に手をあげたら駄目だよね? ねぇ?」

 俺は目の前にある青姉の顔に自分の顔を近づけて問い詰める。

 「うぐぐぐぐっ」

 青姉は俺の度重なる口撃で悔しそうに下唇を噛んで俯いてしまった。

 よし、次で決まりだな。


 「まぁもし青姉が昔のままだって認めてくれたら俺も国には言わないけど、もう俺の知ってる青姉じゃないなら殴られたこと言っちゃおうかなぁ」

 「うあぁぁもう! わかった! わかったから国に言うのはやめてくれ! せっかく良い子キャラでやってきたのに台無しになるだろ!」

 涙目になった青姉は男口調になって俺の口を両手で塞ぐ。勝った。

 「んーん、んんんーんんんん(ついに、本性現したね)」

 「お、お前のせいだろ」

 俺は口を押さえられたまま喋る。青姉は普通に返事をして手を離した。押さえたままでもわかるんだな。

 「ごめん、ごめん。でも青姉も意地張りすぎだよ」

 「うるさい! お前が余計なことを言わなきゃ完璧に演じきれてたんだよ」

 俺が謝ると、青姉は舌打ちをして眉間に皺を作りジロッと睨みつけてくる。

 うん。これでこそ青姉だ。


 「それより、鈴、理解したのか?」

 「えっ、なにを?」

 懐かしくなって頷いていた俺に、青姉が聞いてくる。唐突に聞かれて思わず聞き返してしまった。

 「ひきこもり専属先生のことだよ」

 もう一度手帳を見せながら青姉は言う。

 「えっ、ああ、う、うん。青姉が俺の担当なんだよね?」

 「そうだ。私が鈴の専属先生だ。わかってるじゃないか。偉いぞ」

 青姉は言い、軽く俺の頭を撫でる。

 「そ、そうでしょ」

 ふいに頭を撫でられて少し恥ずかしくなりつつ、虚勢を張った。

 「そうだな。流石は私の幼馴染で生徒だ」

 青姉は上機嫌そうに笑みを浮かべ、手首に嵌めていたゴムで自身の長く艶やかな黒髪を後ろで結う。目の前で髪が揺れてふわりと甘い匂いがした。

 「それじゃあさっそく授業を始めるか」

 ポニーテールになった青姉は腰に手を当てて言葉を発する。

 「えっ、もう? 今日は自己紹介とかだけで良くない? 初日はどこの学校でもそうでしょ?」

 「私達は元々知り合いなんだから自己紹介は必要ないだろ」

 まさかいきなり授業を受けることになるとは思っていなかった俺は理由をつけてやめさせようと足掻く。

 だが、すぐ青姉に論破されてしまった

 「そ、そうだけど」

 はっきり言っていきなり勉強って言われてもやる気が……。

 「そんなに身構えなくていい。すぐに終わるから」

 青姉は渋る俺の肩に手を置いて微笑む。

 まぁ、すぐ終わるならいいかな。

 「わかったよ。授業、受けるよ」

 「そうか。それじゃあ歯を食い縛ってもらえるか?」

 「あっ、うん。わかった」

 俺は青姉に言われるまま歯を食い縛る。ってあれ、俺なんで歯食い縛ってんの?


 疑問を抱いた直後。


 「幼馴染だからって先生を脅迫してんじゃねぇぇ!」

 「ぐふぁあっ!」

 顎に下からの強烈な衝撃を受け、俺の体は宙を舞う。天井のライトがチカチカと瞬いて見える。

 衝撃の正体、それは青姉が繰り出したアッパーだった。

 「ぐへっ!」

 ドンという音と共に顔から床へ体を打ち付けられ俺はうめき声を上げる。

 体を一回転させるアッパー。

 青姉、あんた世界狙えるよ。


 「ふんっ」

 俺を一瞥してポニーテールを揺らしながらリビングへと入って行く。俺はその後ろ姿を目で追いながら言う。

 「そ、それでも、先生かよ」

 聞こえたのか青姉は途中で足を止めて戻って来ると、俺の目の前で膝を折ってしゃがんだ。

 そして、「それでも先生だ」と俺のおでこにデコピンをしてから立ち上がり、リビングへと向かっていく。

 俺はそのデコピンで意識を失いそうになる。だが薄れゆく意識の中、一言呟いた。

 「す、スカートタイプのスーツだったら、ぱ、パンツ、見えたのに……」

 「寝てろ、バカ!」

 「うがっ」

 今度は高速で戻ってきて蹴られる。その蹴りでとどめを刺され、俺は意識を失った。

 青姉のパンツの色を想像しながら……。

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