フラン -白夜の吸血鬼-
ヒダマル
序章
フラン・トライバルは死にかけていた。
荒い呼吸で夜が曇った。腹から流れる血液が散った。いつから走っているのか思い出せなかった。手足が好き勝手に動いて身体を運んでいるようだった。
ぬかるみに何度も足を取られた。腕で地を掻いて這いずりながら身を起こし、動きを止めないようにもがいた。泥に塗れて転げまわりながら、彼はひたすらに移動を続けていた。
肉体が危険信号を発していた。本能は逃げろと訴えていた。フランは導きに従った。その声は生きていることの証だった。死んでいないことの証明だった。逃げろ。逃げろ。逃げろ。ただそれだけを考えていた。
滑って転んだ。生ぬるい血が泥と混じった。重い土が気管に入り呼吸が止まったがそのまま動いているうちにむせて嘔吐した。気道が空きそこからひゅうっと呼気が出た。暗闇の中から男達の声が聞こえた気がした。
急に視界が暗くなった。動きが鈍り平衡感覚が掻き乱された。全身を締め付けられる感覚がした。何かが肺に侵入した。水中に落ちたのだと理解したが、それは今の彼にとって地上にいることと大差なかった。手足はまだ、勝手に動き続ける。
彼は流された。
水面から顔を出し凍った大気を吸い込んだ。胸が痛んだ。身体が重い。寒い。フランは川から出た。歩いた。
別の生き物のようだった手足は急におとなしくなっていた。獣のように走り続けた過酷な運動によって筋肉が破壊されていた。身体の震えと共に力が抜けていった。やがて力尽きると、彼は膝を折り冷たい土の上に横たわった。
生命が大地へ、夜空へ散らばっていく。
浅い息をしていた。身体を濡らした血と水が冷えて熱を奪い尽くしていた。足の感覚がない。指の感覚がない。怪我の痛みすらない。全身が痺れていた。寒さも感じなくなっていることが恐ろしかった。
男達の声は聞こえなかった。逃げ切ったのだろうか。既に耳も聞こえなくなっているのかもしれない。本当はとどめを刺しに近付く足音が響いているのだろうか。
それでもいいと思った。フランは眼を閉じた。まだ光を感じることはできたが感覚を自ら捨てた。もういい。彼は自分を終えることにした。
音が聞こえた。視覚情報を絶ったために代わりに聞こえた小さな物音だった。始末しようとする者の足音だろうか、死神の足音だろうか。殺してくれとフランは願った。今なら何も感じることなく死ねるだろう。
音の接近と共に、身体の感覚が蘇っていくことに気がついた。微かに熱を感じる。
うんざりした。まだ何か用があるのかと思った。大嫌いでくだらないこの世界でも、最後の頼みくらいなら聞いてやってもいい気もした。
彼がもう一度瞼を開くと、目の前に仄かな明りを見た。それは、
静かで、
暖かい、
光だった。
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