Interlude 4:Any

「ずいぶん寝てたね? ずっと待ってたよ、もう」


 そっと薄目を開けると、そこは夕暮れ色の教室のすみっこ。


 おどけたように、だけどどこか心配そうに、市川いちかわ天音あまねがおれの顔を覗き込んでそう言った。


 目をこすりながら、のっそりと身体を起こす。


「すまん……えっと、どれくらい寝てた?」


「2時間くらいかなあ」


「2時間!? 起こしてくれよ!」


「私、小沼おぬまくんのお母さんじゃないもーん」


 肩をすくめる市川。


 昨日は久しぶりにゾーンに入ってしまって、徹夜で曲を作ったのだが、デモ音源を送る前に力尽きてしまった。


 今日の放課後のスタジオはチェリーボーイズが予約していたため、2年6組の教室で集まることになっていたamaneのメンバーに、音源の入ったスマホを託して、


「みんな聴き終わったら教えて」


 と机に突っ伏して仮眠を取っていたのだった。ずいぶんと、長い間。


吾妻あずま沙子さこは……?」


「あー、起きてすぐ他の女の子の話する」


「いや、そんなこと言われても……」


 片頬を膨らませる市川は眼福の限りではあるものの、バンド内でいちいちそんなことを言ってる場合でもない。


「なんてね、冗談冗談。冗談じゃないけど」


「どっち……?」


「さて、どっちでしょう? とりあえず、2人はひと段落したからって売店行ってるよ」


「そっか……」


 まだ売店が開いている時間で良かった。


「小沼くん、夢見てた? 寝言ねごと言ってたよ」


「え、なんて言ってた?」


「うーん、あんまり聞き取れなかったけど、他の女の子の名前を言ってたのは確実だね。つばめちゃんとか先輩後輩の名前とかは言ってなかったけど」


 何その呼んでない人までカウントするの、普通に怖いんだけど……。ていうか。


「寝てる時は無意識なんだから仕方ないだろ……」


「無意識だから問題なんだよ?」


 市川は唇を尖らせてから、ふふっと微笑む。


「……まあ、最後は私の名前だったからいいけど」


「そうですか……」


 ああ、それでチクチク言いながらも割と上機嫌なんだ……。


「良い夢だった? 悪い夢だった?」


「うーん、どっちもな気がする」


 まだ、夢特有の、記憶が混濁こんだくしている感覚を引きずっていた。実際にあったことと実際にはなかったことが妙なバランスと妙な納得感で訪れるあの感じ。


 よく覚えてないけど、随分と長い夢だった気がするし、随分とドラマチックな夢だった気もする。


「市川って風邪引いたことあったっけ?」


「ん、小沼くんと出会ってからは無いかなあ」


「だよなあ……」


「そういう夢を見たの?」


「うーん、どうだったかな……そんな気もする」


「あはは、曖昧だね。まあ夢ってそうだよね」


 と、そこに。


「あ、小沼、起きた!」「拓人たくと、身体大丈夫」


 吾妻と沙子が戻ってきた。


 沙子のこれは語尾が上がってないけど疑問文だろう。その顔には0.数ミリの心配が浮かんでいる。


「もう、あんた糸が切れたように寝てたから……はい、缶のカルピス。缶の」


「おお、ありがとう……。いや、起こしてって言ったじゃん」


 俺は青春部部長に容器を強調されながら渡されたカルピスのタブを開ける。寝汗をかいていたのか、身体に染み渡る感じがした。(これ、おごりかな……?)


「あたしは起こそうとしたんだけどね? そっちの小沼ガチ勢2人が『そっとしておこうよ由莉ゆり。小沼くん気持ちよさそうに寝てるし』とか『うちは幼馴染だから知ってるけど拓人はこうなってる時に無理やり起こすと不機嫌になる』とか言って甘やかす方針だったから、仕方なくバンドの方向性に従ったの。音楽の方向性の違いならまだしも小沼の方向性の違いで解散とか勘弁だからね」


「小沼の方向性の違いってなんだよ……」


 あと微妙にツッコミづらいけど『小沼ガチ勢』っていうのも謎ワードだし、別におれは寝起き悪くないからな?


「えーでも、さこはす、小沼は寝起き悪いんでしょ?」


「どっからの『でも』なの。まあ、寝つきも寝起きも悪いよ。寝つきが悪いのはうちもだけどね」


「……沙子さん、一緒に寝ることがあったみたいな言い方だね?」


「うん、幼馴染だからね」


「うほお……」


 バチバチと火花を散らす2人の間で、吾妻が変な声を出しながら肩をすくめる。いや、あなたが導火線を用意したんだろうが。


「ま、それはともかく! 歌詞書けたよ!」


「もう!?」


 おれはガバッと前のめりに身体を起こす。ほら、寝起き悪くないじゃん。


「もう、ってほど早くもないから。あんためっちゃ寝てたんだっての」


「だね。うちもベースライン出来た」


「私も全部覚えた! それは小沼くんの曲がキャッチーでいい曲だからだけど。えへへ」


 うーん、市川さんがマジ天使なのはありがたいんだけど、よほどおれは眠りこけていたらしい。


「そういえば、さっき英里奈からLINEあって、チェリーボーイズ練習終わったらしいから、スタジオいたって」


「そうなの? じゃあ合わせてみる?」


 沙子と吾妻がそんな提案をする中。


「……ごめん」


 おれは手渡された歌詞を見ながら、そっと謝罪の言葉を呟く。


「ううん、寝てたのは全然いいんだよ? 昨日頑張ってくれた分だから!」


「うん、本当にやばかったら起こしてるし」


「だね。さっきはああ言ったけど、どうせ歌詞書く時間は必要だったし。……って、あれ?」


 吾妻は何かを察したように首をかしげた。


「……そうじゃなくて」


 おれは、3人のこの数時間と達成感をふいにしかねないことを告白する。


「……この曲、まだ未完成みたいだ。まだ合わせられない」


『みたいだ』なんて、他人事みたいな言葉を使ったのは、未完成だということをおれ自身も今知ったからだ。


 どうやら、眠りこけている間に、ずいぶんと心に色々なものが積もってしまったらしい。


 まだ音に出来ていない感情とか、まだ曲に出来ていない想いとか。


 まぶたの裏の真っ暗な世界で出会った悲しみも、悔しさも、裏切りも、絶望も。


 そして目をひらいてやっと見えてくるはずの希望も。


「……まだ、全然終わってないんだ」


 おれは深々と頭を下げる。


 寝てたくせに何を言ってるんだ、と自分にほとほと呆れる。




「じゃ、これまでのどの曲も超えていくしかないね?」




 頭上から不敵な声が聞こえた。


 ハッとして顔を上げると、


「ほら、小沼」

「ほら、拓人」

「ほら、小沼くん」


 3人は期待するような笑顔を浮かべて、おれの手を引いて立ちあがらせる。




「名曲、作りに行こうよ」


============

<作者コメント>

ご無沙汰しています。

色々整理がついてきたので、彼らをもう一度指に馴染ませるリハビリに1つ短編を書きました。

日常の一幕、みたいなものを想像して書き始めた割にちょっとなんかポエムじみた感じになりましたが、結局こういうのが好きなんですね。

想いが溢れて止まらないので、サイカイまで、もう少しだけお時間をください。

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