第37小節目:I’m GoingLeft

 スネアのふちだけを叩くトレーニングをめいっぱい続けたあと、10分程度の休憩を挟んだ神野じんのさんは、


「右手と右足の接続を行う」


 と謎の一言を発する。


「接続、ですね……!!」


 おれは神野さんの言ってることは正直何も分かっていない。のだけど、もう、この時には神野さんは素晴らしいアイデアばかり発信する素晴らしき存在だと思っているので、これから何をおっしゃるんだろうか、と期待に胸を膨らませていた。


「どのようにすればいいのでしょうか……!」


「お前、入部したての時のゆりぼうみたいな顔してんな。アタシを崇拝すうはいすんなよ? ぶっ飛ばすぞ」


「は、はい……!」


 なぜか結構本気で怒られて、一瞬たじろぐおれに、神野さんは続ける。


「まず、右手でフロアタムを四分しぶ音符おんぷで叩く。それで、裏拍うらはくでバスドラムを踏め。そして、フロアタムを両手で叩いているのと変わらないような音を鳴らすんだ」


「はい……!」


 フロアタムというのは一般的にドラムセットの一番右側にある太鼓のことで、手で叩く太鼓の中では一番低い音を出す。そして、バスドラムとは右足で踏むドラムセットのいしずえになっている一番大きい太鼓だ。


 今回の指示は、フロアタムとバスドラムを交互に叩いて八分音符を刻めということで、そんなに難しい内容ではないので、やってみる。


 だけど……。


「こっちもか……」


 おれは自分の出来てるつもりで出来てないことの多さに苦虫を噛み潰す。


 ドドドドドドドド……という連続したフラットな音が鳴らないといけないにも関わらず、実際には、ドッドドッドドッドドッド……と跳ねたように鳴ってしまう。


「難しいものですね……。なんでこんなの出来た気になってたんでしょう……」


「まーな。右手と右足はこうして連続で鳴らすことが少ないから意識が向かないことが多いんだ。実は、こんな風に連動してないことが多いんだ」


「それは、どうしたらいいんでしょうか……?」


「とにかく練習だ。さっきみたいな発想の転換では上手くいかない」


「なるほど……」


 練習に勝る近道なし、と言ったところだろうか。


「右手と右足が接続されて、自由に動かすことが出来るようになると、自然とドラム全体に締まりが出てくる」


「分かりました。ちょっとやってみます」


「……あと、お前は、」


「なんでしょうか?」


 おれが首をかしげると、ちょっと照れた風に言う。


「……腰を振りすぎだ」


「こ、腰を……?」


 なんですと?


「お前、右足でバスドラムを踏むたびにその反動で腰がちょっと浮いてるんだよ。そんで、元に戻って、また踏んで腰が浮いて……。腰を振ってるようにしか見えない」


「そんな……!」


 すげえ恥ずかしいこと言うじゃん!


「腰っていうのは据わってるのがかっこいいんだ。丹田たんでんに力を入れろ。体の重心を意識しろ。そしたら出来るようになる」


「わかりました……!」


「ほい、分かったら繰り返しだ」


* * *


 ……と、そんな練習をそれから2時間程度続け、結局最後に、「成長とまだ足りない部分を知るために、ちょっとだけ叩かせてやるよ」とのありがたいお言葉を頂戴ちょうだいした1分間以外は、存分にドラムを叩くことはなかった。


 だが、その1分間がすごかった。自分の凄まじい成長を感じた。


 巫力ふりょくとか戦闘力せんとうりょくみたいな具体的な数値があったり、空中に青透明のウィンドウが出てこないことが悔やまれるが、実感としては、OSがアップデートされたくらいの大きな変化である。


 師匠ししょうにやらされた理不尽に思われる特訓が実は役に立っていた、というのはありがちな話だが、それを1回目のレッスンから体験させてくれた神野さんには頭が上がらない。


 師匠と共に、エレベーターでビルの下まで降りる。


 エレベーターが開くと、すぅっと、冷たくて透明な空気が肌を刺す。


「寒いっすね……」


「早朝は冷えるなー。んじゃ、アタシは始発で帰るけど、タクトはどーすんだ?」


「ああ、おれは……」


 ……どうしよう。沙子さこに借りた寝袋を持ってきてはいるものの、これをどこで使えばいいんだろう。


「あの、スタジオって……」


「スタジオは6時に一回閉まる。それまではロビーで寝ててもいいだろうけど、1時間で起きてどこにいくんだ?」


「ですよね……」


「もしアレだったらうちに……」


 と、神野さんが言いかけたその時、綺麗な声がした。


「小沼くん!」


「い、市川……!?」


 そこには、黒い髪をポニーテールにって、ウィンドブレーカーを羽織はおった市川いちかわ天音あまねが立っていた。

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