第3曲目 第64小節目:ごめんね

「ちょっと、ついてきてもらってもいぃ?」


 バカ女のその言葉に、ひい……っと教室から息を呑む声が聞こえる。




「うわあ、呼び出しだ……」「え、波須はすさん大丈夫かな?」「いやでも、波須さん強そうだし……」




 方々ほうぼうから、ヒソヒソ声。


「いや、なんなの」


「……いぃから」


 バカ女はうちの袖口そでぐちをつまんでくいくいっと引っ張る。


 ……もう、どうでもいいか。


 そのか弱そうな手は、振り払いさえすればいとも簡単にがれるだろう。


 だけど。


 つかんだ手を振り払うのは。どういった形であれ自分が求められたのを拒否するのは、今の自分にはためらわれた。……それこそ、バカみたいだけど。



「分かった」



 立ち上がると、うちよりは小柄こがらな彼女は、少しおびえたようにうちを見上げる。



『エリナちゃん3年生の先輩に彼氏いるらしくて、その人に目つけられると大変だって……』



 昨日の、クラスメイトの女子の助言じょげんが頭をかすめる。


 うちは、3年生の先輩に『お叱り』を受けるのだろうか。……殴られたり、するんだろうか。




 もう、そんなことすらもどうでもよくなっている自分に少しだけ驚く。いっそ、学校なんか来られないくらい、誰もが『仕方ないね』と思ってくれるくらいに、めちゃくちゃにされてしまったっていいとすら思っている自分に。




 そうしたら……、心配とか、してくれるだろうか。同情くらい、してくれるだろうか。




 袖口そでぐちを引っ張られたまま、廊下ろうかを通り、階段を3階分降りていく。




「つーか、どこいくの」


「……ちょっと人がいないところぉ」


 バカ女は焦ったように、きょろきょろしながら、『人がいないところ』とやらを探しているらしい。


 

 そうして結局やってきたのは、食堂の裏。


 登校時、一番人が少ないのは、たしかにここかもしれない。



 バカ女はまたきょろきょろして周りに人がいないことを確認したあとに立ち止まって、こちらに向き直る。


 ……先輩はいないみたいだ。



「……で、なに」



 とはいえ、このあと彼氏とやらが登場するのだろうと、諦め半分覚悟半分でいると。




「昨日はごめんなさい!」




 バカ女が突然深く頭を下げた。



「……はあ?」




 突飛とっぴな行動に、つい、語尾が上がる。


 なにこれ? 謝られてんの? 怖い先輩は?


 理解の追いつかないうちにバカ女は続ける。



「えりな、さこっしゅがビートルズきだって知らなくって、やなことっちゃってごめんなさい! 誰だって好きなもののこと、悪く言われたらやだよねぇ? えりなだってやだもん……」



「……ちょっと待って」



 バカ女の意外な行動への動揺どうようとともに、それ以上に意味不明な単語をうちは聞き逃すことができなかった。



「何、その、『さこっしゅ・・・・・』って……」


「ほぇ? だってさこっしゅ、沙子さこって名前なんでしょぉ? あ、名字みょうじ波須はすだから『はすかっぷ』の方がいい?」


「いや、それは絶対いやだ……」


「じゃぁ、さこっしゅだねぇ!」


 この女は何を言ってるんだ? サコッシュってそもそもなんだっけ? ハスカップって? 果物くだもの? つーか、この女、うちに謝るつもりなんじゃないの? なのになんで変なあだ名つけた? 失礼なのか? 殊勝しゅしょうなのか? どっちだ?


 疑問符ぎもんふの数がキャパを超えて、もはやどんな顔をしたらいいのかも分からなくなったうち。その手に、ギュッと握られる感触が走った。




「ねぇ、許してくれるぅ……?」




 上目遣いで訊いてくるバカ女に毒気どくけを抜かれ、あれだけ浮かんでいたハテナマークも霧散むさんする。




「いや、別に……。うちも、なんか、やな言い方したかも、だし……」



「そっかぁ、良かったぁ……!」


 

 にこぱっとした笑顔は本当に晴れやかで、可愛いとすら感じてしまう。



 うちも、こんな風に、『ごめんなさい』とたった一言素直に謝ることが出来ていたなら、何かが変わっただろうか。


 これからでも、それが言えたなら、許してもらえるのだろうか。


 ……いや、そんなことで取り返せるはずがない。十年来じゅうねんらいの友情を壊すほどのことをしてしまったのだから。


 ただ、それでも。



 しっかり謝ることのできるこの人は、少なくともうちよりはバカじゃないな、と思った。




「それじゃぁ、さこっしゅ!」


 女は両手で握ったうちの手を胸元むなもとまで持ち上げて、笑う。


「えりなのことは『英里奈』って呼んでね! 昨日説明したでしょぉ、英語の英に……」




「いや、呼ばないからいい」




「えぇー!?」


 その女は心底しんそこ意外そうに目を見開く。すっかりけたとでも思ったのだろう。


「なんでなんでぇー? 友達になろーよぉー?」


「嫌だ」


 ぶんぶんと手を振るな。もげる。


「なんでぇ!?」


 理解出来ない、といった感じだ。うちからしたらあなたのほうが理解できないけど。


「別に……」


「別にじゃ答えにならないよぉ、ねぇねぇ、なんでなんでぇー?」


 握った手を今度はブランコを揺らすみたいにゆらゆらと振り始めた。


「うっさいな……」


「いやいやぁ、うっさいとかじゃなくて、さこっしゅのってること全然意味わかんないからぁ!」


「つーか、手離せよ……」


「教えてくれなきゃやだよぉ! なんでぇ?」



 そのあまりのしつこさに。





「友達なんか、本当は友達でもなんでもないから」





 言わなくてもいいような本音ほんねがこぼれ出る。


 すると、振られていた手がしゅん、とろされる。 



「どぉゆぅことぉ……?」



 それでも、その手は握られたまま。


「……なんでもない。その、別に……うちなんかじゃなくても、あんたなら友達なんかいくらでも作れるでしょ」


「『うちなんか』ってぇ?」


「なんつーか、うち、金髪だし、誰も話しかけてこないよ。別に、昨日のことはもういいから、気遣わなくてもいいっつーか迷惑っつーか……」


「えぇ? その金髪、すぅーっごくきれいじゃん!」


「……は」


 眉間みけんにしわを寄せる。


「ほらぁ、えりなイギリス帰国でしょぉ?」


 いや、知らないけど……。


「だから、『金髪だからなにぃ?』って感じってゆうか。どっちかっていうと、それくらい目立ってくれてたから、えりなもさこっしゅのこと見つけられたのかもしれない!」


「いや、別に目立ちたくて金髪にしてるわけじゃないんだけど。つーか、見つけるも何も、あんたがうちのことを知ったのは席が隣だからでしょ」


「えぇ、でも、反対の方の隣の人のこと、えりな知らないよぉ?」


「それはひどいんじゃないの……」


 女は頬を膨らませた。


「えりなのことも知らなかったさこっしゅに言われたくはないですぅー」


「何その自信……」


 うちが呆れていると、またあざとく首をかしげてくる。


「でもぉ、どぉしてさこっしゅは金髪にしたのぉ?」


「それは……」


 答えかけた、いや、言いよどんだ瞬間。


 


 キーンコーンカーンコーン……。




 

 グッドタイミングかバッドタイミングか分からないけど、予鈴がなる。


「戻ろう」


「あ、うん、そぉだねぇー?」


 うちは手を離して、歩き出す。



「そぉだ、さこっしゅ」


「なに」



 とことことついて来ながら、その女は、質問して来る。



「えりなの名前、ビートルズのなんて曲から取ったのか分かるぅ?」


「いや、自分の親に聞けよ」


「パパはイギリスにいるしぃ、ママは知らないってぇー」


「あっそ」


 じゃあ、電話でもなんでもすればいいだろうが。


 無視して教室へと歩みを進めると、後ろで「むぅーん、さこっしゅだったら知ってると思ったのになぁー」とか言ってる。



「……Eleanorエリナー Rigbyリグビー





「ほぇ?」


 自分から聞いて来たくせに、意外そうに首をかしげる。



「だから、『Eleanorエリナー Rigbyリグビー』って曲」


 この女の両親に聞いたわけじゃないけど、その名前でビートルズが由来だったらその曲以外ありえないだろう。



「どぉゆぅ曲ぅ?」


「自分の名前の由来なのに、聴いたことないわけ」


「うぅーん、多分、聴いたことはあるけど」


 その曲は歌詞も暗いし、メロディも暗いし、登場人物のEleanorエリナー Rigbyリグビーは曲中で息を引き取って、埋葬まいそうされてすらいる。


 なんでこんな曲を自分の子供につけるんだろう、同じビートルズなら『Julia』だっていいじゃんって思うのに。




「あっそ」




 だけど、この女の言動げんどうにかろうじて共通する要素があるとすれば。





「……曲の間中、ずっと孤独な人の居場所を考えてる、お節介せっかいな曲だよ」

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