第3曲目 第62小節目:おだやかな暮らし

「じゃあ小沼おぬまくんはこのまま学校に残るってことだよね? 私は帰ろうかなあ」


 立ち上がった市川いちかわが、んー、と伸びをする。


「本当は英里奈えりなちゃんの部活終わる時間まで一緒にいたいところなんだけど、私も練習しないとだし。本番近いもんね」


「そうなあ……。あれ、じゃあ、今日は学校のスタジオは空いてないってことか?」


 だとするとどこで過ごしたらいいだろうか。当たり前だけど、市川同様おれも本番近いから練習したいんだよなあ……。


「あー、うん、スタジオは一応予約は入ってるけど……」



 そこで市川は、へへ、と笑う。


「まあ、小沼くんなら大丈夫じゃないかな?」


「ん……?」




 ということで、教室の前で市川と手を振り、スタジオに向かう。


 扉についた窓から覗き込むと、中でしゃがみこんでスマホをいじっている人と目が合う。


「あ」


 そこにいたのはamaneうちの作詞家だった。


 ねえさんは少し顔をしかめてから、ちょいちょいと小さく手招きしてくる。入る許可が出たらしいので、扉を開けてそろーっと中に入った。


「おう、吾妻あずま。何してんの?」


「おつかれ小沼。歌詞書いてんの」


「わざわざスタジオで? ていうか、なんの歌詞だよ? 吾妻が書かなきゃいけない歌詞ってまだあったっけ?」


 疑問符が頭の上に浮かびまくる。


「ん。天音あまねが1人で作ってる方の新曲あるでしょ? あれの歌詞、あたしの方でも確かめたくて。思考停止して受け入れるのが一番ダメだから」


「さすがだなあ……」


 吾妻は三歩進んだら二歩下がらず、進化し続けている。そういうところは本当に感心するし、尊敬出来るところだ。


「はいはい、どうもありがと。そんで、最初に天音があの曲を歌った時、ここのスタジオだったから。その時のエモの残滓ざんしを感じられるここで歌詞書きたくて、ロック部の部長さんに言って予約したんだよ」


「エモの残滓ざんしって……」


 楽器を演奏しないのにスタジオに入るなんてやや贅沢ぜいたくな使い方だなとは思うが、部長に話して予約を取っているなら問題ないだろう。


 市川の『まあ、小沼くんなら大丈夫じゃない?』の意味も分かった。というか『おれなら』というよりは、他の歌詞が耳に入ると気が散るから、市川とは一緒に入れないっていう話だろう。


「あれ、でも、吾妻ってロック部入部したのか?」


 さすがに部員じゃないと部室は1人では借りられないんじゃ、と思って質問する。


「したよ」


「まじか、いつのに……」


「あんたが『ロック部入れば?』って言ってくれた次の日」


「結構前じゃん」


 行動力もあるな、吾妻は……。吾妻にかなう部分が一つもない。


「だからあたしと小沼は同じ部活だよ。卒アル、一緒に写れるね。バンドメンバーってだけじゃ、卒アル一緒に写れないでしょ?」


「なんだそれ……、別にどっちでもいいだろ。卒アルにらなくても写真くらい撮ってもらえばよくないか? それこそ、このあいだ小佐田おさださんに撮ってもらったアー写とか」


「卒アルに載りたいの。そういうの大事なの、あたしは」


「……そうか」


 おれには共感は出来ないけど、青春部部長の考えることだから理解は出来る。


「ていうかあんたは何してんの? 天音は?」


「いや、今日は沙子と英里奈さんがだな……」




 おれは、かくかくしかじかと、このあとの作戦について説明する。




「ほーん……」


「おい、相槌あいづち


「あはは、ごめんごめん」


 いつも指摘してくることをおれが指摘すると、吾妻は笑いながら続ける。


「いや、なんか、小沼がいつの間にか一丁前いっちょまえに人の役に立ってるなあって思って。成長してるんだなあ、小沼も……」


「なんだそれ……」


 まじでおれのねえさんにでもなっちゃったのか吾妻は。


「いや、姉だなんて言わないけどさ。天音のために色々するのはある意味当たり前かもだけど、さこはすのためとか、英里奈のためとかも奔走ほんそうしてるの、普通に偉いっていうかすごいなって思うよ」


「そうかあ……」


 なんか吾妻に面と向かって褒められるとなんて答えたらいいか分からず、頭をかきながら視線を逸らす。


 すると、




「……いつか、あたしの番も来るのかな」




 ひとごとみたいに、吾妻がつぶやいた。


「ん? なんだそれ……?」


「いや、あんま深い意味にとらえないでね? あたしもバンドメンバーだし、一回くらい、そういうチャンスがあるのかなって思っただけ」


 おれは少しだけ考える。


「うーん、吾妻はしっかりしてるから、おれなんかの手を借りることないだろ。別に吾妻が本気で何とかして欲しいことがあって、おれがそれに役立つなら全然やるよ」




「え、そうなの……?」




 ほけーっと、無垢むくな瞳でこちらを見つめてくる。


「いや、それこそあんま深い意味じゃなくてな……? 吾妻に助けられてること、たくさんあるし、普通に役に立てるならおれだって恩返ししたいと思うよ」


「へえ……!」


 吾妻は嬉しそうに目を見開いた。


「じゃあ、それ、『いつかあたしのために何かをしてくれる権』をもらったと思ってもいい?」


「なんだそれ。『一生のお願い』みたいなこと?」


「あはは、そんな感じ」


「まあ、別にいいけど……」


 なんかそういう風に改めて言われると妙な言質げんちを取られている気がしないでもないけど……。


「やった! ……ああ、でもあたし、ポイントカードの貯まったポイントとか、なんかもったいなくて使えないタイプなんだよなあ」


「それは使わない方がよっぽどもったいないだろ」


「そりゃそうなんだけど、有効期限が近づかないと、いつまでも『んん、これ使うべきは今じゃないんじゃないか』とか思っちゃう」


 たしかにそれはちょっと分かるな……。


「じゃあ、そうだな……。高2のうちに使わなかったら失効とかにするか?」


「うわ、ケチくさ」


「有効期限欲しいって言ったの吾妻だろうが……」


「いやそれにしても短くない? せめて高校生活全部で、とか……」


「別にそれでもいいけど……」


 もともと回数制限を設けるようなものでもないしなあ、とは思ったが、そんなことを言ったらそもそも話の根幹がずれるし無粋ぶすいとか言われるかも、と思って口をつぐんでいると。


「あ、そういうこと?」


 ああ……これもいつものパターン。吾妻には内心が筒抜けだ。


「心は見なかったことにしてくれ……」


「あはは、ごめんごめん。あ、ていうか長々話しちゃった。練習していいからね。あたしここにいるけど大丈夫? 気、散らない?」


 吾妻が色々と気を遣ってくれる。


「いや、吾妻が先にスタジオ予約してるんだからおれに気を遣うなし……。むしろ、おれドラムでうるさいけど、邪魔じゃないか?」


「いいのいいの、あんたのドラム好きだから」


「そ、そうすか……」


 突然の告白(告白じゃない)に少し動揺する。


「……なあに?」


「『なあに?』じゃねえよ……」


「あはは、その顔、うける」


 うけられてるのが恥ずかしいので、顔をうつむけて、おれはドラムの前に座り、その小太鼓にスティックを打ち込み始める。


 吾妻もイヤフォンをして、スマホを両手で握ってぽちぽちと文字を打ち込み始めた。





 そのあと2人それぞれで練習&作詞をしていると。


「どうもー、部直です! 最終下校時刻です!」


 小佐田おさださんが部屋にやってきた。


「わー小佐田ちゃん! 今日の部直、写真部なんだ?」


「はいそうなんです! なんでこんな弱小部にも部直が回ってくるんでしょうね、学校中回らないといけないから大変です……! ということでわたしはこれで失礼しますね! お疲れ様です!」


 小佐田さんはものの数秒で立ち去ってしまった。写真部は人数が少ないから大変だなあ……。


 なんにせよ、最終下校時刻が近づいて、部活が終わったってことらしい。




「んじゃ、行くかあ……」




 沙子と英里奈さんがちゃんと会うところを見届けるため、おれは昇降口の方へと足を踏み出す。

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