第3曲目 第31小節目:月光

「ゆず、カレーごちそうさま」


 玄関で沙子さこがローファーをく。


「うん! 沙子ちゃんも一緒に作ってくれてありがとー!」


「ベースも、ありがとうな」


 ゆずと一緒におれも手を振ると、沙子はこてりと首をかしげた。


拓人たくと、送ってくれないの」


「なんで送るんだよ……大丈夫だよ、まだ夜遅くないから。いつも出歩いてる時間だよ。安全だよ」


「ゆず、あんたのおにいちゃん、めっちゃ『だよ』って言ってくるんだけど。……ふーん、利用するだけして、用済みになったら捨てるんだ。へー」


「おにいちゃん、鬼畜きちくだよ……! 鬼のおにいちゃんだよ……! ……僕はキメ顔でそう言った」


「ゆず……!?」


 おれは妹の言い草におののきを隠せない。


「ほら、おにいちゃん、送ってよ」


 沙子までもおれを兄呼ばわりしてくる。


「いや、おれは沙子の兄ではないんだけど……。もう、わかったよ」


 おれはため息をついて、そのままつっかけサンダルに足を通す。


「たっくん、ミスドのドーナッツが買って来て欲しいのじゃが」


「キャラを変えるな」




 そんな経緯で、おれは数日ぶりに沙子を家まで送ることになる。


「さっきの、嬉しかった」


「さっきのって?」


「ベース分かってもらえたやつ」


「ああ……」


 珍しく沙子から話題を振ってくる。


 いや、話題を振ってくること自体はそう珍しいことではないんだけど、だいたい振ってくる話題はおれへの文句が多いから……。


「ゆりすけが今日、amaneに青春をかけるって言ってたでしょ。あのゆりすけが青春をかけるって、命をかけるよりも重い決断かもしれないじゃん」


「そうなあ……」


 たしかに、ただごとではない。そこに込めた覚悟は、並大抵のものじゃないだろうことくらいは、おれにもわかる。


「それで、その……自虐じぎゃくみたいな意味じゃなくて、うちはゆりすけよりも全然ベースが下手でしょ」


 おれは同意することもなく話をうながすように曖昧あいまいうなずいた。


「でもうちはamaneのベーシストでいたいから、そこは誰にも、ゆりすけにもゆずりたくないから、めちゃくちゃ練習頑張んなきゃって思ってる。さっきので、分かってもらえるってことが分かったから、その気持ちも大きくなった」


「……そっか」


 なんだか燃えている沙子に微笑ほほえましい気持ちになる。中学の吹奏楽コンクールの時も、こんな感じだったかもなあ。


 まあ、うちは弱小というかそもそも人数が少なすぎて全国に行く可能性のある部門で出ることすら出来なかったんだけど……。


 懐かしい記憶を掘り返していると、すぅーっと、風が吹いた。


「おお、さみい……」


「拓人、上着着てくればよかったのに」


「いや、沙子を見送るつもりで玄関に立ってたのに誰かさんに強引に送らされてるからだから……。あ、そうだ。沙子、このあいだおれのパーカー着て帰っただろ? あれ返してくれよ、着て帰るから」


 おれが思い出していうと、


「あー、あれ……洗濯せんたくちゅう


 とよそ見をして返事をしてくる。


「ほんとかよ……?」


 怪しい。今家で何が洗濯されているかを把握はあくしているとは思えない。


「なに、洗濯してないの返して欲しいの。うちの匂いがついてるやつ……。それならそれでもいいけど……」


「全体的に何言ってんの?」


 0.数ミリだけ顔をゆがませておれにしかわからない程度にあたふたしている沙子をじっと見る。


 沙子にだけ、ほんの少しだけ使える吾妻あずまの固有スキルを総動員する。(固有スキルとは?)


「なあ、もしかしてなんだけど……」


「なに」


 おれは、実はここ数日気になっていたことを、聞いてみることにする。


「その……ダンス部、あんまりうまくいってない?」


「……そうなあ」


 沙子が0.数ミリ肩を落として答える。


 やっぱりそうか……。


 沙子がこんなに頻繁ひんぱんにうちにくるのも、やけに饒舌じょうぜつなのも、なんだか妙だと思った。


「3人で一緒に帰ったりしてないのか?」


健次けんじはチェリーボーイズとかと帰るし、英里奈えりなはいつの間にか帰ってるし……」


「まじかー……やっぱそういうの、根深いんだなあ……。すっごい希望的な観測というか、勝手に、はざまが沙子に告白した時、一回似たような状況を乗り越えてるから、もしかしたらなんとかなるかもとも思ってたんだけど……」


 それはあまりにも物を知らないおれの本当に勝手な憶測だったということだろう。


「んー、前回は、英里奈がなるべくなんにもないようにって取り持ってくれてたから。今回は……その英里奈に無理させたくなくて。うちらが3人でいようとしたら、きっと英里奈は頑張っちゃうから。だから英里奈がそれを望まないんだったらうちらが止めるのは違うかなって」


「そうなあ……」


 無理するな、というのは簡単だが、それでおれも痛い目を見たばかりだ。そこらへんのことをわかっている沙子(とはざま)は、自然と英里奈さんが頑張らないように仕向けているということなんだろう。


 頭が良く回るというか、相手のことをよく見えているというか……。


「でも、それでいいのか? 英里奈さんもそういうことを望んでるわけじゃない気がするんだけど……。いや、おれにも分かんないけど」


「……それでいいも何も、仕方ないじゃん」


「仕方ない、か……」


 おれはなんとなく復唱して、空を見上げる。10月の綺麗きれいな月が見えた。


「……おれ、月曜に英里奈さんと話そうか?」


 何かの役に立てないかと、口が勝手にそんな提案をしていた。


「なんで。っていうか、何を」


「何をって……何をですかね?」


「何言ってんの……」


 沙子は、あきれたようにこちらを見てくる。


「わかんない。わかんないけど」


 こういうもどかしさを吾妻だったら、なんと表現するんだろうか?


「その……『仕方ない』って、沙子にあんまり言わせたくないんだよな」


「……何それ」


 沙子が不機嫌ふきげんそうにうつむく。何様のつもりだと言いたいんだろう。自分でもそう思う。



 だけど、きっと沙子は、中学のあの時も、そんな言葉で諦めたんだろうから。だったら、その責任の一端いったんはおれにもある。




「そんなこと言ったって、仕方ないことばかりだよ、拓人」


「そうかもなあ……」


 

 つぶやく沙子に、おれはぼやくことしかできない。




「……でも、分かった。ありがとう」



「おう」

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