第2曲目 第62小節目:陽と陰

* * *


「チッ……」


ゆりすけ『さこはす、小沼が天音とケンカしたらしいんだが』


 ダンス部の練習着に着替えている時のこと。


 不躾ぶしつけに振動したスマホの画面に表示されるメッセージに、うちは舌打ちする。


「さこっしゅ、どうしたのぉー?」


「いや、別に」


 下着姿(薄ピンクの可愛いやつ)で首をかしげる英里奈からの問いかけにそう答えつつ、うちはソッコーでゆりすけに返事を打つ。


波須沙子『新小金井駅前の公園で待ってろってうちのバカ幼馴染に伝えておいて』


「別にってぇ、こわぁーい顔してるよぉー?」


「なんでもないって」


「たくとくんのことぉー?」


「だからなんでもないっての」


「当たったぁー!」


 何も言ってないのに、英里奈は勝手にキャッキャとはしゃいでいる。


「たくとくんなら、えりなが教室出る時は、机で寝たふりしてたよぉー」


「ふーん……」


「ほんと、たくとくんは、自分のことになると、なぁーんにも分かってないんだよねぇ」


 英里奈に分かったような顔をされて、そしてその『分かったような』が結構本当に分かってて。それを無視して、黙ってうちも着替えを始めた。


 すると、英里奈はTシャツを着ながら、


「んふふ、さこっしゅは、ここ最近、表情が前に出るようになったよねぇー」


 と笑う。


「そうかな」


「そうだよぉー、まぁ、」


 その笑顔の中に一滴いってきうれいを落としたような表情になって、


「泣いた顔はまだ見たことないけどねぇー」


 とつぶやいた。


「……泣かないよ」


「そっかぁー……。よしっ。んじゃ、先行ってるねぇー!」


 そう言って英里奈が更衣室がわりにしている教室を出ていき、一人になる。


 うちはなんとなくスマホを手にとって、真っ黒になった画面にうつる自分の表情を見てみた。


 学園祭前にも関わらず、誰かさん(たち)のせいで身の入らないダンス部の練習を終える。


 すぐにでも新小金井駅の前に向かいたかったけど、


「さこっしゅー、今日の部直はダンス部だってさぁー」


 とのことで、仕方なく学校を回らないといけなくなってしまう。


 ……とはいえ、頭の中に浮かんでいる『とある可能性』を確かめるには、絶好の機会だったとも言える。


「じゃ、うちはロック部のスタジオの方、見に行くわ」


「よろしくぅー」


 二学期に入ってからなぜかいきなり舐めるようになった飴を含んだ口元から甘い吐息を振りまきながら、手を振って違う方向に行こうとする。


「あ、英里奈」


「んんー?」


 振り返って首をかしげた。


「……ちょっと長くなるかもだから、英里奈は健次と先に帰ってて」


「えぇ、ほんとぉー? そぉですかぁー?」


 健次と二人で帰れると分かり、ヘラヘラと嬉しそうに笑う英里奈は、とびっきりに可愛い。


「うん、そうして」


「うっへへぇー、分かったぁー!」


 本人に隠す気があるのかどうかも怪しいけど、英里奈の健次への気持ちはさすがのうちも分かっている。健次が気付いているのかは、よく分からないけど。男子っていうのが鈍感どんかんな生き物なのか、うちの周りにいる男子がそうなだけなのか、どっちなんだろうか。


 鼻歌を歌いながらスキップで去っていく英里奈を見送って、器楽部やらミス研やらある棟で、順々に学校から部員を追い出した。


 最後に、うちはロック部のスタジオに向かい、そのドアを開けると。


「あ……!」


「やっぱり……」


 予想通り、ギターを構えた彼女が嬉しそうにこっちを向いてから、


「沙子さん、か……」


 うちの顔を見てすぐにその表情を引っ込める。いや、普通に失礼なんだけど。


「……何してんの市川さん」


 開いたドアに寄りかかって、うちは質問した。


「あ、うん、練習……かな。沙子さんは? 今日はダンス部なんじゃ?」


「部直」


「え、もう最終下校時刻?」


 ショックそうに目を見開く市川さん。


「そう、この部屋が最後」


「ってことは、もう、私と沙子さん以外、学校に残ってないってこと……?」


「そう」


「うん、そっか……」


 市川さんはちらっとドラムの方を見てから、はあ、とため息をつく。バスドラの上に、1セット、スティックが置きっ放しになっている。


「じゃあ、帰る準備しなきゃだね……?」


「そうなあ……」


 そう答えながらうちは、スタジオの中のイスに腰掛けた。


「あれ、帰らなきゃなんじゃ……?」


「市川さんさ、」


 市川さんの戸惑いを無視して、うちは話しかける。


「うちに言わないといけないことあるんじゃないの」


「……!」


 市川さんはうちの目を見て、息を呑んだ。


「えっと……誰かから、聞いたの?」


「それは……」


 ケンカしたってゆりすけから聞いたってこと、言っていいんだっけ。拓人から聞いたことにすると、それも余計面倒なことになりそうだし。とりあえず英里奈から聞いたことにしてみるか。いやいや、英里奈だったらいいわけじゃないか……。


「でも、そうだね、沙子さんには私の口からちゃんと言わなきゃって思ってたんだ」


 うちが逡巡しゅんじゅんしているあいだに市川さんは自分から白状することを決めたらしい。助かった。


「私、実はね、」


 スゥー……と息を吸って、


「歌詞、書けてるんだ」


「そうだよね、学園祭近いんだから今すぐ仲直り……はあ?」


 予想と違うカミングアウトに、ついついノリツッコミ気味に、しかも語尾が上がってしまった。


 顔を見合わせる市川さんとうち。


「仲直りって……?」


「歌詞書けてるって、何」


 そしてお互いにお互いの言葉に疑問を差し込む。


 ……仕方ない、市川さんの質問を一旦解決しよう。


「なんか、拓人とケンカしたって聞いたんだけど」


 うちがそうたずねると、市川さんは唇を噛んで、地面を横目でにらんだ。


「け、ケンカっていうか……あれは、小沼くんがなんかいきなりすっごく嫌な態度でなんか言ってくるから……」


「ふーん」


「っていうか、ハッキリとケンカにしたのは小沼くんっていうか、最終下校までこっちに来なかったってことは勝手に帰ったのは小沼くんっていうか、昼間一回も話さないくらいは普通に今までだってあったっていうか……」


 ブツブツと、モジモジと、市川さんは言葉を続ける。


「なにがあったの」


 興味ないけど、ていうか正確に言うとあんまり聞きたくないけど、なんだか曖昧あいまいにされるのも蚊帳かやそと感があってムカつくので、訊いてみる。


「なんか、昨日用事があるから、もしよかったら待ってて欲しい、ってお願いしようと思って話しかけたら途中から小沼くんの態度が悪くなって、先に帰ってった……」


 ……は。


「……用事って何」


「ん、用事? それは、徳川先輩にスタジオに呼び出されたって話だけど……」


「はあ……」


 頭がクラクラする。二人とも身勝手というか、そういうバカみたいなケンカは付き合ってからやれよとか、前回の練習の時になんか市川さんを応援するようなことを言っちゃったじゃんか、とか。


 色々なことがよぎったけれど、とりあえず。


「……あのさ、明日、練習なんだけど」


 そのタイプのいざこざにうちが巻き込まれるのは我慢ならないから、明日までに決着をつけてほしい。


「分かってるけど、小沼くんが悪いから私は謝りたくない……」


「いや……そういうの、どうでもいいから」


「どうでもよくないもん……」


 子供じみたセリフで口をとがらせる市川さんは、それでもなんだかすごく可愛らしくて、うちは片手で頭をかかえる。ねた顔が可愛いなんて、こんな化物ばけものを相手にしてるのか、うちは……。


「じゃあ、謝んなくていいから、仲直りしてくんない」


 そう言ってジロリと市川さんを見ると、


「うーん……」


 それでも強情ごうじょうに首を縦には振らない。


 市川さんは、ミュージシャンのこだわりなのかなんなのか知らないけど、めんどくさい性格をしている。


「いいから、分かったって言って」


善処ぜんしょします……」


「明日までね」


「善処しまーす……」


 いまだに口をとがらせている市川さん。なんなのマジで……。


 なんだかその可愛い表情に段々ムカついてきたから、崩してやろうとほっぺを引っ張った。


「ちょっと、沙子さん痛い!」


 ……なんでほっぺ引っ張っても可愛いんだろう。


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