第2曲目 第54小節目:ブレーメン

「えっとえっと、自分、波須はす先輩のおっしゃっていることがちょっと飲み込めないのですけれど……?」


 平良たいらちゃんが、目をしばたたかせる。


「じゃあ、もう一回、言う。平良さんが許せないっていう、amaneにひどいツイートをしたのは、うちなんだ」


 沙子は、覚悟をきめるように、息を短く吐く。


「『こんな曲、この世界に生まれなければ良かったのに』ってツイートをしたのは、うち」


「そんな……!」


 ふるふると、拒否するように、拒絶するように、首を振る。


「さこはす、なんでわざわざそんなこと言うの……?」


 吾妻が眉間みけんにしわを寄せる。


「うちも、この子と同じ意見だから」


「さこはすと、つばめが?」


 沙子が、そっとうなずく。


「うちも、許せないよ。amaneにひどいツイートをしたやつも、ゆりすけにひどいことを言ったやつも、それに……」


 沙子は一瞬おれのことを見て、その顔をゆがめてから、


「だから、うちに、言いたいこと、全部言っていい」


 平良ちゃんに向き直る。


「それで、前に進めるなら」


「さこはす……」


 吾妻が声を漏らした。


「……ふざけないでください」


 わなわなと震える声で、平良ちゃんが静かに口火くちびを切る。


「つばめちゃん……」


「何が、同じ意見ですか。何が、前に進めるならですか。自分は、あなたとは違います! 才能を摘み取るようなことを出来てしまうあなたとは!」


 平良ちゃんが沙子の腕につかみかかる。


「……そうだね」


 にらみ上げ、あらんばかりの大声を出す。


「なんであなたが! amaneさんを傷つけたあなたが、ここで、のうのうと一緒に音楽なんかやってるんですか!? 今すぐ、amaneさんに返してくださいよ! 時間を! 才能を! この3年間で、作られたはずの曲を! 作られたはずの歌詞を!」


「……ごめん」


 謝る沙子は、しかし毅然きぜんとした態度で。


「だけど、うちには、そんなこと出来ない」


「はあ……!?」


 くしゃっと平良ちゃんがまゆをひそめる。


「何回も、自分を責めた。何回も、後悔した。平良さんが言うように、うちが奪ってしまった、存在したはずの何かがあったんじゃないかって。戻ってやり直せたらどんなにいいだろうって何回思ったか分からない」


「当たり前です! まだ足りませんよ! そんな反省じゃ足りません!」


 激昂げっこうする後輩と、それでも表情を変えない沙子。


「でも、タイムマシンはないから」


「タイムマシン……?」


 沙子はうなずく。


「過去はもう変えられない。つぐないきれない、消えてしまいたい、逃げてしまいたい、と思ったうちに市川さんが言ったことは、」


 いつかの、屋上への階段のシーンがよみがえる。


「『逃がさないよ、沙子さん』だって」


『あんなことつぶやいたその指を切り落とす代わりに、私が歌う歌のベースを弾いてって言ってるんだよ』


「だから、うちは、amaneでベースを弾く。身ぐるみ剥がされたって、amaneの未来のために。それしか、出来ない」


「そんなの、勝手です、ずるいです……!」


 平良ちゃんのトーンが少しだけ落ちる。


 感情が行き場をなくしているのだろう。


 納得したくない、でもしそうになっている。少なくとも理解をしてしまっている自分とのせめぎあい。


「つばめ……」


 吾妻が心配そうに見やる。 


「amaneさんは、本当にそれでいいのですか……?」


 やがて、平良ちゃんは、すがるように、市川に問いかけた。 


「ねえ、つばめちゃん、」


 水を向けられた市川は、優しく語りかける。


「つばめちゃんは、7月のロックオン、観てくれた?」


「はい……もちろんです」


 憧れであるはずのamaneの前でも少し憮然ぶぜんとした表情を見せる。


「どうだった、かな?」


「すごく……感動しました、それはもう、ものすごく」


 それでも、素直を捨てきれない後輩に、市川は、姉の様に笑う。


「ありがとう。それなら、それが、答えだよ」


「答え、ですか……?」


 市川は自信満々にうなずく。


「つばめちゃん、手拍子してみて」


「はい……?」


「いいから」


 優しくも強い市川の視線に気圧けおされて、平良ちゃんはパチン、と控えめに一度手を鳴らした。


「うん。なんで今、音が鳴ったんだと思う?」


「はい……? 手と手が、ぶつかったからですか?」


 ……おれも市川が何をしようとしてるのか分からない。吾妻も首をかしげている。なに、禅問答……?


「それは、最後しかみられてないかも」


「じゃあ、なにが……?」


 市川は演技がかった感じで人差し指を立てる。


「つばめちゃんが腕を振り上げて腕を振り下ろした、その結果、手がぶつかって、音が生まれるんだよ」


「はあ……」


 それでも話が見えない。


 平良ちゃんはいぶかしげに市川を見上げた。


「つばめちゃん。音は、音楽は、結果なんだよ。今、鳴った音は、これまでの人生の全ての結果なんだよ。かけられた言葉、付けられた傷、付けた傷、苦い思いも、今日食べた朝ごはんなんかも含めて、」


 市川は笑う。


「過去を全部ひっくるめて、未来に向かって鳴らすのが、音楽だと、思うんだ」


 息を呑む音がする。


「だから私は、痛い傷も、苦しい過去も、全部、音楽にする。つばめちゃんが『すごく感動した』って言ってくれたあの日の演奏は、あのツイートに傷ついて、それを乗り越えた、それまでの私の全部なんだ」


「それって……」


「沙子さんのあの言葉がなかったら、あの『わたしのうた』はなかった。それが答えだよ。それが私たち・・の、amaneの音楽だよ」


 堂々と笑って、彼女はそう言った。


 おれの頬から、ふっと笑みがこぼれる。


 久しぶりにamaneを見たような気がした。


 そうだ、おれが憧れたのは、こういう人だった。


「かっこよか……」


 吾妻も信者の顔をしてる。


「……さすがに、かないません」


 平良ちゃんの顔にも、いつの間にか笑みが戻ってきていた。


 平良ちゃんは、沙子に向き直った。


「波須先輩……すみませんでした」


 そして、頭を深々と下げる。


「いや、別に平良さんが悪いことは何もないんだけど……」


 沙子が珍しく戸惑っている。


「いえ」


 そんな言葉を遮って、


「自分、あと一歩で、波須先輩を傷つけて、一生後悔するところでした。まだ、……飲み込みきれてはないですが、自分も、頑張ります。未来のために」


 そう、まっすぐに言い放つのだった。


「いや、ていうか……うちはどちらかと言うと市川さんに謝ってもらいたい」


「「へ……?」」


 沙子の発言に市川と平良ちゃんが同時に首をかしげる。


「この話、市川さんのターンじゃないでしょ。なんなの、いいとこ持ってかないと気が済まないの。そういう病気なの」


「えっ!? そんなの知らないよ! ……あ、ほっぺはやめて? あ、いたい、さこさん! いたい!」


 いつも通りほっぺを引っ張る沙子と引っ張られる市川。


「えっとえっと、おふたりが信頼し合っているのか仲悪いのか分からないのですが……」


「「それな」」


「あっ、師匠まで」

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