第1曲目 第39小節目:約束

「それじゃ、また明後日あさっても練習よろしくね!」


 そう笑顔で言った市川とスタジオの前で別れて、沙子と二人、家の最寄り駅まで向かう電車に揺られていた。


 それにしても、だ。


 さっきの練習で感じた違和感、不足感の理由は、なんだろう。


 市川の歌も、沙子のベースも、おれのドラムも、現状で出来る限りは正しく配置されているように思える。


 だとしたら、パートが足りないのか? もう一本、ギターかキーボードが入ったら変わるだろうか?


「ねえ」


 もしくは、歌にハモリを入れるか? 沙子は昔から歌が正確に歌えるし。


「拓人」


 もしかして、歌詞がもう一歩足りないのだろうか? 吾妻に書き直しをお願いしてみるか? だとしても原因がわからないまま頼んでも吾妻も意味わかんないよな……。


「ねえってば」


 いずれにせよ、この音楽じゃ、


「amaneに全然届かないな……」


 その瞬間、パシーン!! と言う音が響くと共に、ももに激しい痛みが走る。

 

「いったっ!」


 横を見ると、沙子がたいそう口をとがらせている。


 それも、0.数ミリじゃない。


 誰が見てもわかるくらい、沙子が怒っていた。


「どうした……?」


 おそるおそる訊いてみる。


「どうしたじゃない」


「……?」


「拓人、スタジオ出てからずっとうわそら


「そうか?」


 たしかにバンドのことは考えてたけど、別に沙子も全然喋ってなかっただろうが。


「何回呼んでも返事しないし」


 あれ、呼ばれてた?


「やっと口開いたと思ったら他の女の名前、しかも下の名前」


「へ?」


 他の女の名前?


 おれが、『なんのことだ?』と首をかしげると、沙子はキッとおれをにらんで、


「……もう知らない」


 と吐き捨てた。


 しばし、無言の時間が流れる。


 えーっと……なんかとにかくすごく怒らせていることはわかる。


 だけど、怒りすぎじゃない? 市川といい吾妻といい沙子といい、最近よく女子に怒られるな……。あ、英里奈さんも……。


 おそらく、おれの反応が悪かったのが気にくわないのだろう。


 んんー、バンドのことで悩んでるんだけどな。


 おれが悩んでいたことを沙子にも訊いてみよう。共有した方がいいかも知れない。


「えっと、沙子、さっきのスタジオの録音、どう思った?」


「…………」


 ……無視された!

 

 なるほど、意趣返いしゅがえしというやつか。


 沙子は聞こえてませんよーみたいな顔をしてそっぽを向いている。


 そうですね、謝るのが先ですね。


「悪かったよ、気づかなかったんだ。ちょっと考え事してて」


「…………」


 またもや無視。だんまりを決め込んでいる。


 こういう時は……。


 幼馴染スキルを総動員して沙子が反応する言葉を探す。


「……沙子にも関係あることなんだけどな」


「……うちに?」


 かかったぞ!


「そうそう、沙子と、おれと、」


「拓人と、うち?」


 食い気味で差し込んできた! 珍しく文末に『?』付いてるし、これはいける!


「そう、沙子と、おれと、市川のバンドの話だ」


「…………」


 無言。


 あれ!? かかってなかった!?


 結局、完全にヘソを曲げた沙子は家の最寄り駅までずっと黙ったままで、改札を出てからは『じゃあね』も言わずに自分の家の方向へと早歩きで帰っていった。


 あーあ、仲直りしたばっかなのに……。





 翌日。


 夜通し考えてみたが、おれらのバンドに何が足りないのかには全然答えが出ないまま、眠気を引きずって登校する。


 半分目を閉じたみたいな状態で始業のチャイムが鳴るのと同時に教室に入ると、すぐにホームルームが始まった。


 席に座りながら何気なく窓際の席の市川と目があって、おれは軽く会釈えしゃくする。


 すると、市川が奇妙な動きを始めた。


 自分の両目の下を指差してから、両手の指を曲げて前に出している。口パクで『がおー』とかいいながら。 


「……?」


 なんだあれ……?


 おれが首をかしげていると、市川が同じ動きを繰り返す。


 目の下を指して、がおー。目の下を指して、がおー。


 そんなことをしているうちに、


「市川さん、どうかしましたか?」


「はい、すみませんっ!」


 担任に注意されて、シャンと背すじを伸ばす。


 クラス中がくすくすと笑う。


「天音、何やってんのー」


「えへへ……」


 なんかなごやかな雰囲気だけど、市川はまじで何がしたいんだ……?




 朝のホームルームが終わる。


 今日の一限目は移動教室だ。おれは席を立ち、教室を出て行く。


 廊下を歩いていると、トコトコと市川がおれの隣にやってきた。


「ちょっと、小沼くんが分かってくれないから怒られちゃったじゃん!」


「え、あ、いや、は?」


 市川がおれの隣で『もー』とか言ってる。


 いや、もーはおれのセリフだわ。


「で、市川は何がしたかったんだ?」


 分かってあげられそうにないので訊いてみる。


「目の下クマすごいね、って言いたかったの!」


「はあ……? ああ、そういうことか……」


 目の下を指差したあとに、『がおー』か。『がおー』はクマだったのね。ふーん……。


 え、何それ。可愛すぎない?


「反応うすいなあ、寝てないの?」


「ん、まあ……」


 いや内心でもだえてますけどね。


 なんとかアクビとかニヤケとかそういうものを噛み殺していると、市川が声を落として呟く。


「小沼くん、昨日出来なかった約束」


「ん?」


 くすぐったくなるような声で。


「今日、一緒に帰ろ?」

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