第1曲目 第37小節目:Understand

「別に、私抜きで小沼くんと由莉が2人で帰ってたっていいんだよ?」


「はい……」


「別に、私は小沼くんの彼女でもなんでもないしね?」


「まあ、はい……」


 あれ、今『しね』って言った……?


「ていうか、小沼くんは私の彼氏でもなんでもない、しね?」


 あ、言ってる、『しね』って言ってる……!


 いやまあ、市川が意識してそんなこと言うはずはないんだけど……。


「だけどさ、『今日先に帰るね』くらい言ってくれてもよかったんじゃない?」


「はい、そうですね……」


 情けないやら恥ずかしいやらで変な汗をかく。


 おれは、高校の最寄駅、新小金井駅を少し通り過ぎたところにある公園のベンチの上に正座させられて、怒られていた。


 ベンチの上に正座だよ? そんなことある? むしろこれ、行儀悪いって怒られるやつじゃない?


 そして、靴のまま正座しようとしたら、『いやいや、靴は脱がないと、小沼くん』とか言われて、靴を脱いだんですよ。


 ん、だから行儀悪くないのか? もう分からん。


 ああ、足がしびれてきている。あたりもちょっと暗くなってきた気がするぞ……。


『あたしバイトだから行くね、天音ごめんね……』

 と手を合わせて言い残して店内に消えていった吾妻の顔がちらつく。


 あいつのことだから今も気に病みながらバイトに励んでいることだろう。かわいそうに……。


「小沼くん、聞いてる?」


「あ、はい」


「あ、って何。あ、って」


「あ、すみません」


「だから、もう……」


 正面に座った・・・・・・市川があきれたようにため息をつく。


 そうなんです。


 何が恥ずかしいって、市川さんも靴を脱いでベンチの上に正座してるんですよ。


 二人で靴脱いで、ベンチの上に正座で向かいあわせ。あぁ やだ…涙が出る。


 おれは頭の中でaikoが歌っているのを聴きながら、なんでこんなに怒られているのかしら、と考えていた。


 さっき市川も言っていたように、おれと市川は別に、つ、付き合ってるわけじゃないし、おれの記憶では一緒に帰る約束もしていない。


 当然、市川がおれと一緒に帰りたいと思っているはずもなく。


 むむむ……? と、内心首をひねっていると、


「はあ……、なんで私、こんなに怒ってるんだろ」


 と市川が小さくぼやいた。


 あれ、市川さんもわかんないんですか。


「なんか一通り怒ったらよくわかんなくなっちゃった」


 そういうこともあるんですね……。


 でも、可能性があるとしたら……


「なんか、バンドのことで話したいこととか、あったのか?」


 おそるおそる聞いてみた。


 すると、市川は口をほんの少しだけあけて、頬に人差し指をあてて、小首をかしげる。


 市川的考えるポーズだ。


「えーっと、そうだねえ……」


「うん……?」


「んんー……」


 鼻からため息をついて、


「ないかな……」


 とそう言った。


「そ、そうか」


 そうおれが言うと、

 

「ちょっと変だね、私」


 と大きく息をついて、正座を崩して足を下ろして、ベンチに普通に座り直した。


 靴はつま先にひっかけてぷらぷらとしている。


「小沼くんも、もう、正座大丈夫だよ」


 お許しが出たので、おれも足を下ろさせてもらった。


 はあ、これで普通にベンチに並んで座る高校生の男女の図だ……。


 ん、それ、普通か……?


「なんかさ」


 市川がぼそっと話し始める。


「最近、結構毎日一緒に帰ってたじゃん?」


「ああ、まあ……」


「だから、私、勝手に、今日も小沼くんと一緒に帰るんだと思い込んでたんだよね、多分」


「そう、なんだ……」


 市川は足を静かにぷらぷらさせながら続ける。


「だから、カバン持って、アコギしょってそっち見たら小沼くんの席が空っぽで、びっくりっていうか……悲しいのか寂しいのか、よくわかんないけどそういう気持ちになっちゃって」


 おれは静かに目を伏せる。


「なんていうかね。友達になるときに、『はい、今から私たち友達ね』って宣言とかしないのと同じで、なんだかそういう流れになってたから、自然と約束されてるみたいに思っちゃってたんだなあ」


 ああ、やっぱり友達っていつの間にかなってるものなんだ……。最近のみんなの言動を見てるとそうなのかもとは思っていたけど。


 だから、おれが『知り合い』とかいうと怒られてたんだ。理解。


 市川は両手のひらをベンチに置いて、空を見上げ、


「でも、そんなの曖昧あいまい過ぎるよね。口にしなかった、声にも出さなかった気持ちなんてさ」


 ふっ、と自嘲気味に笑ってから、


「無いのとおんなじだよね」


 とそう言った。

 

「市川……」


 おれは息がつまる。


 口にしなかった、声にも出さなかった気持ち。


 口に出来なかった、声にも出来なかった気持ちが、市川にはどれだけあったんだろう。


「小沼くんはさ、」


 自分のつま先の方を見ながら、


「私が誰かと帰っちゃってても、怒んなかったよね、きっと」


 そう言われて、胸のどこかがチクリと痛むのを感じた。


「それは……」


「私、小沼くんとの帰り道、結構楽しんでるんだろうな」


 おれがおずおずと否定しようとするのをさえぎって、市川が続ける。


 その言葉が、おれにものすごく大きな衝撃を与えた。


「まあ、そんなに回数重ねてるわけでもないんだけどさ」


 おかしそうに笑う市川。


「お、おれは……おれも……」


 なんで、おれはここまで言われても、声が出ないんだろう。


 なんで、言葉に出来ないんだろう。


「よし。ちゃんと、こういうことから、言葉にするようにしよっと」


 そう呟いて、市川が弾みをつけて、ポンっと立ち上がる。


 見上げるおれの方を向いて、


「小沼くん、明日、一緒に帰ろ?」


 と言うのだった。


 そう言われたおれの答えは、ちゃんと決まっている。


 そんなの当たり前だ。


「まあ、明日は、バンド練習だから」


 だって沙子、ダンス部休みだし……。


 すると市川は、少しキョトンと目を丸くしてからぷっと吹き出して、


「そうじゃん、あはは」


 としばらく笑っていた。

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