七十二話 キーマ工業

 翌日、僕はピカピカの身体に洗濯済みの服で宿を出た。

 久しぶりのベッドでもぐっすり休めて大満足だ。これで五千ベルトは安い。否、安すぎると言っていいだろう。村にある宿でも七千はとるのだから洗濯にお風呂付きでこの値段は格安と言っていい。

 ただ、倹約しなければならないので何度もは使えないだろう。


「さて、どこから仕事を探そうかな」


 きょろきょろ見回し興味の引く店を探す。

 キーマは人口が多いだけあって店の数も数え切れない。

 ついつい仕事探しを忘れて商品を眺めてしまう。


 魔界は見慣れない物が多い。そのほとんどは人間界では聞いたことも見たこともないような物ばかりで、一見では使用方法が分からない物も数多くあった。

 未知の世界に僕は興奮してしまう。


「坊や、お金があるならあたしとイイことしない?」

「初回は安くするわよ」


 布面積の少ない服で二人の女性が僕を誘う。

 どちらも信じられないほどの美人で谷間をこれでもかと強調していた。


「ひぃ、け、けけ、結構です!」


 僕は怖くなって逃げる。

 別の意味で食べられる気がして怖くなった。

 好きな人に捧げると決めているんだ。


 ゴミの散乱する小道を抜けて広いエリアへと出る。

 この辺りにも店はあるが、お世辞にも繁盛している感じはしない。

 目に付いた店に入れば暇そうに本を読んでいる店主が見えた。

 どうやらここは本屋らしい。


 比較的新しい本と古そうな本がごちゃ混ぜになって棚に収められ、僕でも分かる文字で書かれている物もあれば、まったく何を書いているのか読み取れない未知なる言語で書かれたものもある。

 本の裏には値札らしき小さな紙が貼り付けられ、どれくらいの値段で販売しているのかが一目瞭然だった。


 僕はカウンターへ近づく。

 店主は茶色い肌に二メートルはあろう身長だった。服がはち切れんばかりの筋肉質で腕が四本ある。坊主頭に鼻の下には切りそろえられた髭があった。

 厳つくて恐ろしい見た目だ。睨まれただけですくんでしまいそうな気がした。


「ここで雇ってもらえませんか」

「あん?」


 店主が本から目を上げる。

 やっぱり怖い。


「お前を雇えって?」

「はい。できる限りなんでもします」


 目を細めた彼は僕をじっと見る。


「その目……お前元人間か」

「え」

「普通は赤く光るものなんだが青藍せいらんとは変っている。異常種の中の異常種とは面白いな」


 店主はパタンと本を閉じてカウンターに置く。

 僕は人間であると言い当てられて後ずさりした。


「怯えるな。とって食いはしない」

「…………」

「ウチで働きたいと言うことだが、見ての通り繁盛していない本屋だ。給料は大して出せないぞ。せいぜい月五万ベルトだ」

「そんなにもらえるんですか」

「常識も教えないといけないみたいだな」


 恥ずかしくて小さくなってしまう。

 でも一ヶ月で五万ももらえるのはかなり嬉しい話だ。

 無一文から始まった僕には充分魅力的だった。


「見たところ力はあるが使いこなせていないんじゃないか」

「ええまぁ」

「給料は少ないがその分俺が直々に指導して鍛えてやる。それと寝泊まりする場所がねぇってんならここを使ってくれてもいい。どうだ悪い条件じゃないだろ」


 ええっ!? もしかして寝る場所も提供してもらえる!??

 しかも鍛えてくれるって――なんて良い人だ!


 僕は感激した。正直、宿はもう泊まれないとか思っていたので、これからは町の外で野宿するつもりだったのだ。渡りに船というかタイミングの良い話に感極まった。目がうるうるしてくるのが自分でも分かる。


「おいおい泣くんじゃないぞ。本屋つっても結構ハードな業務内容なんだからな」

「はい」

「うし、そんじゃあ契約だ」


 店主はカウンターに同じ内容が書かれた二枚の紙を出す。

 それには働く上での条件が詳細に記載されていた。具体的に言えば商品を壊したら弁償しろとかそう言うのだ。


「俺達悪魔は契約を交わすことで相手を信用する。逆に言えば交わしていない相手に裏切られても自業自得ってことだ。悪魔に情なんぞ期待するな。ここは力の強い奴が正義の魔界だ」

「悪魔に情けはないってことですか?」

「そうは言ってねぇ。要は人間よりは冷たいっていいたいんだよ。それに悪魔ってのは契約を守るのが大好きな種族でな、契約書を突きつけられると言葉が出なくなるんだよ」

「律儀なんですね」

「契約に関してだけは人間よりな」


 書類に目を通してからサインをした。

 これで僕はまずは半年間ここで働くことになった。なぜ半年かと言えば契約の更新が半年ごとに設定されているからだ。

 サインした二枚の契約書の内一枚を貰い契約は成立する。


「俺はバッカス。このバッカス書店のオーナー兼店主だ」

「僕はロイ・マグリスです」


 バッカスさんと握手を交わす。


「ところでお前、本当に元人間なんだよな?」

「はい。でもどうして分かったんですか」

「その目だ。俺は読書好きが高じて本屋を開いたんだが、その手に関する本も読みあさっていてな、お前を見た瞬間にピンときた」

「その手の本とは?」

「人間を題材にした関連書籍だ。その中には人間の悪魔化を記載したものもあって、一部界隈では注目されているんだ」


 へぇ、もしかしたら人間に戻る方法も分かったりするのかな。

 重要なことなので記憶に留めておくことにしよう。


「それで仕事の話だが、とりあえず明日から働いて貰う。詳しい話は明日するつもりだ」

「分かりました。それで今夜からここに泊まってもいいですか?」

「構わない。言っておくが商品を汚したり破いたりするなよ。契約通り弁償して貰うからな」

「はい」


 バッカスさんは店の奥に入り毛布を一枚持ってきた。

 それからカウンターに鍵を置く。


「これは寝る際に使え。鍵は外に出る時に使用しろ。戸締まりはしっかりしろよ。強盗が入って商品がなくなった場合もお前の責任だ」

「はい」


 強盗が入っても僕のせいか……容赦がないな。

 それもこれも旅の資金を貯める為だ。魔界を出るまでの間はどんな理不尽にも耐えてみせる。


「あ、そうだ。遺跡に関連した書籍って置いてますか?」

「遺跡ねぇ、お前が知りたいのは魔界に落ちてきた原因となった建造物のことだろ」

「そうです。アレのことが分かれば人間界にも帰れると思うんです」

「ぶふっ、ぶははははっ!」


 なぜかバッカスさんは腹を抱えて笑い始める。

 落ち着いたところで本棚に行き一冊の本を抜き取った。


「これを読め。ああ、やるんじゃないからな貸してやるだけだ。傷とか付けるなよ」

「何の本ですか?」

「遺跡のことが書かれている本だ。俺から事実を伝えてもいいが、それじゃあお前は納得しないだろうからな。これで学んで理解しろ」


 受け取った本は分厚い。

 ぱらぱらとめくってみたが、みっちりと文字が敷き詰められて目眩がしそうだった。これを読めなんて無茶だ。僕は読み書きは得意じゃない。


「あの、辞書も借りてもいいですか」

「勝手にしろ。夜が明けるまでにはちゃんと元の場所に戻しておけよ」

「ありがとうございます」


 バッカスさんは強面だが優しい人だ。

 僕はこうしてバッカス書店で働くことになった。



 ◆



 キーマ工業本部――。

 一室で二人の悪魔が会話をしていた。


「ピスターチの野郎をぶっ殺したガキが来ているってのは本当なんだろうな」

「ええ、噂通りの外見だからほぼ間違いないわシュルル」


 デスクに足を乗せるライオンの顔をした男は、口角を鋭く上げて生えそろった牙をむき出しにする。一方の無数の蛇が生えた美しい女性は無表情で淡々としていた。


 ライオンの姿をした男はガオン。

 蛇の頭を持つ女はヌーラ。

 二人はこのキーマ工業の現在の支配者である。


 キーマは元々製鉄工業で有名な町だった。しかし退いた先代の後に座ったピスターチは大幅な改革を実行し、町に風俗業を大量に引き込んだのである。そしてその結果、キーマは現在の姿となった。

 だがピスターチは町と組織を大きくすることには成功したが、予期せぬ火種も内に入れることになった。それがガオンとヌーラだ。


 二人は町の外から入ってきた言わゆるよそ者だった。けれども実力を重んじるピスターチはあえて幹部に引き立て重用した。


 二人が乗っ取りを画策していることを承知で。


 ピスターチはあえて町を離れ二人が尻尾を出すのを待っていた。視察と称し興味のない辺鄙な町へと出向き、二人が暗殺者を差し向けてくるのをじっと待っていた。彼は二人の弱みを掴む為に自らを囮にした計画を立てていた。


 だが彼はちょっとした弾みで町の住人を食い殺してしまう。

 気の短い性格だったこともあり長期間待つと言う事が苦手だったのだ。


 ガオンとヌーラは暗殺者を差し向けようとしていた矢先にピスターチの死亡報告を受けることとなった。幹部での会議はトントン拍子に進み、晴れてガオンは最高責任者へ、ヌーラは次席へと至ったのである。

 だがしかし、会社と言うよりもマフィアに近いこの組織が、長を殺されて黙っているはずもない。組織内の争いならともかく、外部による殺害は組織の看板に泥を塗られているにも等しかった。


 幹部連中は仇をとることに躍起になっており、その苛立ちは日増しに強くなるばかり。

 長になったばかりのガオンではもはや抑えきれない状態だったのだ。


 そこへ舞い込んだロイの目撃情報。

 二人はタイミングの良さに魔界の神に感謝をしていた。


「組織の中で比較的腕の良い奴に始末を頼むつもりだ。ひとまずそいつで様子を見て俺達が出るべきかどうかを判断する」


 ガオンはデスクにあるボタンを押して部下を呼び出す。

 入室したのはカラフルなシャツをだらしなく着た金髪の男だった。


「うぃーす、お仕事ですかボス」

「ロッカク。お前にこのガキを始末して貰いたい」


 ロッカクと呼ばれた男は一枚の写真を受け取る。

 だが露骨に顔をしかめた。


「ガキ一匹ですか。こいつはつまんねぇ仕事だなぁ」

「報酬は弾む。それと魂は必ず持ち帰ってこい。いいな」

「そういうことならいっか。うぃーす、ちょっくら殺してきます」

「返事が軽すぎる。もっと組織の一員としての自覚を持て」

「そりゃあ無理ってなもんだ。これが俺のありのままの姿なんだよ」

「もういいさっさと行け。お前と話をしていると頭痛がする」

「うぃーす」


 ロッカクは軽い足取りで退室する。

 それを見送ったガオンは、革製の椅子に深く背中を預けて小さく溜め息を吐く。

 彼は椅子をくるりと回転させ、背後にあるガラス張りから町を見下ろした。


「ガキを殺せば幹部共は大人しくなり、この町はようやく本当の意味で俺の物になる」

「思ったよりも長くかかったわねシュルル。大国の底辺でくすぶっていた私達がここまでくるのに」

「だが計画は達成した。俺は馬鹿な奴らとは違う、一番になれない場所にいつまでもしがみつくなんてことはしない。どんな奴にも分相応ってのがある」

「それって謙虚?」

「そのつもりだ。俺は慎重と控えめが自慢だからな」


 地上の星とも言える町の明かりを眺めながら彼は頬杖を突いた。

 デスクに腰を下ろすヌーラも同じように夜景を目にする。


「でも一つ疑問があるのよシュルル」

「なんだ」

「その子供はどうしてピスターチをやったのかしら」

「……理由があるのか?」


 言葉とは裏腹にガオンの脳裏には捨てたはずの祖国がよぎっていた。

 彼もヌーラ同様その可能性を抱いていたのだ。


「あの国からの追っ手の線はないかしら。私達をおびき出す為にピスターチ殺しの噂を流した、ってことはあり得ないとは言えないでしょシュルル」

「ガキの背後に奴らがいる可能性もあるってことか」

「ええ、用心に用心を重ねておいた方が良いわ。なんせ私達は脱走兵なんですものシュルル」

「そうだな」


 ヌーラは静かに退室。

 残されたガオンは夜の町をじっと見つめていた。


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