セミダブル2 地中とコンビニには何でもある
シーンーグールベーッドでゆーめとおまえー抱いてたころー。
まだわずかに冬の冷えが残る夜の公園、酔いどれのご機嫌な歌声が風とともに星空を駆ける。
「近所迷惑だから止めな。ってかあんたら世代じゃないだろ」
「え!? お姉さんはもしかして世代なんですか!? うそー!? まさか年上だったなんてー」
「ゆかりさんゆかりさん、沙夜さんはとーーーっても年上ですよー。青春の歌と言えば和歌とか漢詩なんですからー」
「きゃーすごーい不老不死―」とはしゃぐ私達を置いて、沙夜さんはスタスタと先を行く。出会ったのはほんの数時間前、私とゆかりさんはいつのまにか意気投合していた。滾々と語られる婚活女子の戦歴に耳を傾けること数時間。所々挟まれる痛々しい自虐ギャグに苦笑いしつつ、明快な語り口で流れ出る逸話の数々に共感や同情を憶え、あれこれ語らう内に終電の時間を過ぎていた。いつもなら私が泥酔する前に沙夜さんはお勘定を済ませてしまうのに、今夜は最後まで何も言ってこなかった。岩西さんといくつか言葉を交わしつつも、ゆかりさんの相談に乗る訳でもないし、そこはかとなく不審だ。
前を行く沙夜さんの足がふと止まる。早足気味に彼女の元に追いつくと、満開の桜が街灯と月の光を受けて艶やかに佇んでいた。
「わぁー綺麗ですね……」
沙夜さんはぶっきらぼうに黙ったまま。でも普段より少しだけ雰囲気が柔らかい気がした。ちらりと表情を窺うと、心の中の熱がじんわりと滲んでいるような微笑を湛えていて、あまりの美しさに私は思わず花より彼女に見惚れてしまう。
そんな私の様子に気付かぬまま、ゆかりさんも隣で「満開ですねぇ」と感嘆している。「ありふれた風景も特別に感じてしまいますよね」
「当たり前だと思っているものにこそ価値がある。そう感じる心はいつまでも忘れちゃいけない」
「そう、いつまでも」と自分に聞かせるように沙夜さんは呟く。そして沸々と泡立つ感情の器へ、一抹の寂しさを零すかのようにフッと小さく笑った。
「なぁ……蝉が好きな木って知っているか?」
ゆかりさんは「蝉?」ときょとんとした表情を浮かべた。「いきなり何の話?」と言いたげだ。私は「おや?」と心中で構える。何が琴線に触れたのかわからないけど、沙夜さんが「与える」つもりなのは察せた。
「種類によって好きな樹木が違っていたりして面白いんだぜ? スギやヒノキのような針葉樹が好きな奴、マツがひたすら大好きな奴、街路樹でお馴染みのケヤキやイチョウ、山にぼこぼこ生えているブナ、リンゴやナシといった果樹、それぞれよく止まっている蝉が異なる。一番メジャーなアブラゼミなんかは何でもいける口みたいだけどね」
「へぇー……じゃあ桜が好きな蝉もいるんですね」
「桜はむしろ皆大好きだな。身近だから自ずと蝉の目撃数も増えるってだけなんだろうけど」
季節の風物詩という点では桜も蝉も共通している。どちらも私達にとって身近な存在で、通りすがりに桜を眺めない春を想像できないし、蝉がいない静かな夏も想像がつかない。
今は年がら年中、店で蝉に囲まれているけど、店内で飼育しているものは「ジジ……」とか細く呻くくらいで、夏を迎えても一般の蝉のように喚き散らさない。沙夜さんによると、力を発揮する時だけ思いっきり鳴き喚くらしい。聞いてみたいけれど、私の能天気な人生で今後、蝉の力が必要になる状況に至るなんてあり得るのだろうか。
「へー、じゃあ春だけじゃなくて夏も桜に注目しないと」
一粒も興味がないだろうに話を合わせてくれる辺り、ゆかりさんの社会人力の高さが窺える。これでどうして良縁に巡り合えないのだろうかと無礼な感想を抱く。口に出しても笑って流してくれそうではあるけど、心にしまっておくに越したことはない。
「別に夏でなくてもな……」
沙夜さんは徐に桜の根元でしゃがみこみ、指先で地面をトントンと叩き始めた。
「おーい。出てこーい」
私とゆかりさんは「いやいや」と苦笑いを浮かべるも、その後すぐに沙夜さんが手招きしてきたので「マジで?」と顔を見合わせる。二人してそそくさと木の根元に腰を落とすと、蝉の幼虫が地面からぼこっと半身を生やしていた。成人女性三人(うち一人は成人どころではない)が木陰に寄り集まって屈んでいる様は周りからしたら奇妙な光景に映っただろう。
「わぁ……。蝉の生涯は大半が地中ですし、そりゃ今の季節はいますよね」
「私達が立っている地面の下だって生命のゆりかごだからな。トカゲ人間もいるし古代文明人もいる。ナチスの生き残りにマントルを泳ぐ竜もいる」
「いや、さすがにそれはないです」
私と沙夜さんが漫才する傍ら、ゆかりさんは幼虫をまじまじと見つめていた。
「当たり前だけど街中でもちゃんといるものなんだ……。そもそも抜け殻じゃないのは初めて見たかも」
「指出してみ?」
「え? 噛まない?」
「かまへんかまへん」と沙夜さんはゆかりさんの袖を引いて促す。人間社会の陰ではたくさんの小さな命があちこちで蠢いているものの、大人になるにつれてそれらに触れる機会は乏しくなる。彼女が躊躇うのも理解できた。ゆかりさんは恐る恐る左手を幼虫に近づけていく。化石を掘り起こすかのように慎重に童心を呼び戻す。
蝉は土からモゾモゾ這い出て、差し伸べられた指に足を掛けた。
「わわわっ! 来た来た」
「じっとしてな」
蝉は指の腹に乗っかり、ぴたりと身を預ける。その時、私はようやくこの蝉が普通の蝉ではないことに気付いた。商品じゃなくて現地調達だけど良いのだろうか?
「沙夜さん……?」
店主は目でそれとなく制してきたので、私はこれ以上尋ねなかった。ああ、店に案内するのが面倒なんだろうなと思ったが、即座に「ちげーよ」と頭の中で声が響いた。酔いでくらくらしている所に念を飛ばしてこられると、頭痛がするから止めてほしい。
「……うん。あんたのことを気に入ったようだね」
「えっ……? ああ、ははは」
ゆかりさんも愛想笑いするしかないようだった。胡散臭い流れになりつつあると感じ取って警戒心を滲ませている。見慣れた展開だ。
「そいつを連れて歩くと良い。きっと良い相手が見つかる」
「はは…………はぁ?」
笑顔を引きつらせている客をよそに、沙夜さんは「さ、帰るか」とさっさと立ち上がった。例の如く雑な仕事だけど、今回に至っては契約どころか説明すらしていない適当さだ。
「ちょっと!」
「もう電車もないから静羽の家に泊まるんだろ? だったら後はそいつが説明してくれるから」
「え?」と私が聞き返した時には沙夜さんの姿は消えていた。桜の木の下で女二人はぼけーっと立ち尽くす。蝉の幼虫はゆかりさんの左手薬指にしがみついたままだ。
「とりあえず、うちに帰りましょっか」
「……そうね。せっかくなら飲み直さない?」
狐に化かされたかのような釈然としない気持ちに整理をつけるべく、私達はコンビニに向かった。あそこでは現実だって売っている。煌々とした照明、スカスカなホットスナックの什器、死んだ眼をした店員の雑な挨拶、この趣深い世界に浸りつつ、私達はつまみとお酒を吟味するのだった。
次回に続く。
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