慈悲深き王と災いの眼

 王は十二代目の王だ。

 歴代稀に見る名君であると誉れ高く、民から絶大な支持を得ている。

 それは王が良政を用いて国を治めていたからに他ならない。

 他国とは戦争をせず、寧ろ交易を積極的に行っていた。

 民に高い税を強いることもない。

 貧しい民には救済措置すら取った。

 民は貧困に喘ぐことなく、日々発展する国で心豊かに生活を営むことができた。

 王自身の人柄も非常に温厚で朗らかだった。

 罪を憎んで人を憎まず。

 動物や子供を愛でる慈悲深い王だった。

 音楽を嗜み、芸術に対する審美眼も備わっていた。

 故に国の音楽や美術は発展し、金細工の伝統工芸は世界最高峰と称された。

 他国の民が皆一様に羨む豊かな国だった。

 そんな国に唯一足りなかったものは教会だ。

 この豊かな国は神を持たない。

 だから国教が無い。

 他国の文化として宗教に関する学問は存在した。

 だが、神へ対する信仰心というものは建国当初から生まれていない。

 他国から宗教が伝来することがあっても根付きはしなかった。

 むしろこの国の信仰対象は王だった。

 人々は神を奉るが如く、王を心から敬愛していた。

 そんな非の打ちどころの無い王に非劇が起こったのは数年前のことだった。

 なかなか子を授かることができず、やっとのことで生まれた待望の王子。

 その王子の眼が深紅だったのだ。

 この国の民は皆、金色こんじきの瞳を持って生まれてくる。

 たまに生まれる鳶色とびいろの瞳は金色の成り損ないである。

 よって、どちらも深紅の瞳とは似ても似つかない。

 深紅の瞳は生まれるはずの無い色なのである。

 加えて、この国には深紅の瞳に纏わる不吉な言い伝えが存在した。

 それは『災いの眼』と呼ばれる言い伝えだ。

 深紅の瞳を持つ子供は、何故か王族にしか生まれない。

 そして彼らは必ず国に災いを巻き起こす。

 実際に記録がいくつか残っている。

 深紅の瞳を持つ王族が起こした災いの記録が城の蔵書の中にしっかりと。

 一番古い災いは、今から遡ること五百年前に起こった。

『災いの眼』を持つ王子がちちを殺し、王座を奪って他国と戦争を始めた。

 隣国全てを打ち滅ぼし、ついには海を渡って戦争を始めて。

 他国の王の髑髏を十三個並べた頃になってやっと、狂気の王は暗殺された。

 次に古い災いは、その百年後に起こっている。

 今度の『災いの眼』を持つ子供は姫だった。

 彼女は国中の若い娘を城に集めて惨殺した。

 娘たちの血を全て抜き、大きな浴槽に流し込んではそれを沸かして入浴して。

 国から娘がひとりもいなくなると、最後は自らの血を用いて入浴した。

 そうして彼女は文字通り、血濡れの生涯を閉じた。

 他にも凄惨な記録が数々残っており、どれもが狂気染みていた。

 王族も民も深紅の瞳を持つ子供を『災いの眼』と呼び、その誕生を恐れた。

 二百年前からは、『災いの眼』を持つ子供を死産と定めて間引くようになった。

 故に『災いの眼』を持って生まれた王子も間引かれるはずだった。

 ところが王子は殺されなかった。

 他ならぬ王が殺すなと命じたからだ。

 王は瞳が深紅であるというだけで間引くのは悪しき習わしだと考えていた。

 それに、やっと生まれた美しい王子をどうしても諦められなかったのだ。

 王は王子が災いに転じた暁には自らの手で殺めると宣言した。

 名君である王の言葉には重みがあった。

 民は王の慈悲深さと強い決意に感涙し、賛同して。

 最後まで渋っていた家臣たちも最後には折れてしまうほどであった。

 そうして王子は『王の非劇』、『王の慈悲』などと呼ばれ、生存を許された。

 ただ、城の外へ自由に出入りすることは禁じられた。

 人々から『災いの眼』に対する恐怖心を完全に拭うことができなかったからだ。

 中には未だに表立って否を唱える者も存在していた。

 王は王子の心身を案じた。

 自分の目が届くところで護ってやろうと考えて。

 故に王子は城での軟禁生活を余儀なくされていた。

 とは言え、城の中でさえ軋轢は生じていた。

 城に住む、古くからの慣習や歴史を重んじる家臣たちは王子を危険視し続けた。

 女中や兵士たちは皆一様に優しく振る舞ったが、その目は決して笑っておらず。

 水面下では王子を恐れ、疎み、できるだけ関わらぬようにと避けた。

 王子に対して露骨な態度を取る者はいない。

『輪を乱す者』として仲間内から煙たがられたから。

 だが、本心では皆が皆、王子に不安感を募らせていた。

 王子はそんな風潮をとっくに、それも十二分に理解していた。

 自分は王の慈悲――父親の愛でのみ生かされているに過ぎない。

 皆が敬愛して止まない王が愛している存在だからこそ、皆、本心を抑えている。

 誰もが自分を恐れ、疎み、避けているという隠しきれない真実を痛感していた。

 それ故に、王子にとっても父である王は絶対的な存在だった。

 王の発言には絶対服従。

 その行いは全てが正しいのだと信じていた。

 だから夜な夜な寝室に忍び入られて、身体中をまさぐられても。

 未熟な性器を口に含まれても。

 果ては王のものが王子の中へ押し入ってきても。

 王子は王が自分へ強いる行為の全てが愛と慈悲に因るものだと信じていた。

 王は夜毎、王子の耳元で囁く。

 お前を誰よりも愛している。

 わしの可愛い子。

 愛しい子。

 これからもずっと、わしが傍で護ってやろう。

 何も怖いことは無い。

 悲しいことも無い。

 世界で一番、愛しているよ、ベリアル――……

 王子には、王の言葉を信じ、よすがにすることしかできなかった。

 自分は愛されている。

 こんなにも愛されている。

 王は『災いの眼』を持ち、生まれて来た私を殺さずにいる。

 そればかりか城の中で大事に護り、寵愛すら与えてくださる。

 私は返しきれないほどの愛を与えられているのだ。

 ――けれど、寝台に転がしたままの身体は酷く軋んで動かない。

 そのまま朝を迎え、定刻通りにやってくる女中に世話をされる惨めさ。

 光溢れる広い食堂に着席する頃には、胸が張り裂けんばかりに痛んだ。

 何食わぬ顔をした王から朗らかに朝の挨拶をかけられると両手が震えた。

 テーブルの下でぎゅうっと上着の裾を握る。

 双子の妹たちは元気良く王妃とお喋りを楽しんでいる。

 今朝は珍しい蝶を見ただとか、午後には町へ西からの商人が来るのだとか。

 どれもこれも他愛の無い話だ。

 王妃は決してこちらを見ない。

 例え顔を向けたとしても、まるでそこに王子が存在していないといった態で。

 自分を認めてくれるのは、愛してくれるのは王だけなのだと思い直す。

 そんな朝食から解放されると、王子は決まって中庭へ駆け込んだ。

 黄金の薔薇が咲き乱れる中に身を隠し、何度も何度も心の中で繰り返し唱える。

 自分は愛されている。

 自分は愛されている。

 自分は愛されている……。

 それでも堪えられないときには深紅の双眸から涙が溢れた。

 もっと酷いときには朝食を全て吐いてしまった。

 嗚咽が漏れそうになれば両の手で口を塞いで。

 そして心の中で縋るように繰り返し、繰り返し唱え続ける。

 自分は愛されている。

 自分は愛されている。

 自分は愛されている――……

 王子は必死に、祈るように唱え続けた。

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