ELdorado

松本蛇夢

【継承】

とある一室の風景

「またここにいたのか」

 年老いた執事が言った。

 執事はもう敬語を使わない。

 必要が無いからだ。

 執事の主。

 敬うべき相手は眠っている。

 眠り続けている。

 俺は持ってきた金色こんじきの薔薇を一輪、そっと寝台の上に置く。

 寝台の上には無数の薔薇が置かれている。

 全て金色だ。

 この薔薇は枯れない。

 これは黄金でできた薔薇だ。

 故に枯れるという概念が無い。

 白や赤や黄や黒をした薔薇はすぐに枯れてしまう。

 だから、俺は金の薔薇だけを刈り取ってくる。

 薔薇の中心には少年が横たわっている。

 両手を腹の上に乗せ、指を組んだまま身動ぎ一つしない。

 両腕は絹でできた白く長い手袋に覆われている。

 手袋の上から金の指輪を嵌めている。

 指輪に嵌る石は大振りの金剛石ダイアモンド

 これはこの国と城を治めている者だけが持つことを許される指輪らしい。

 昏々と眠り続ける少年はこの国の王子だ。

 その瞳は、とても美しい深紅をしているという。

 この国の民ならば誰もが知っていることだと執事は言った。

 だが、今となっては俺と執事以外に知る者はいない。

 民は皆、ひとり残らず死んでしまった。

 この城で動いている者は、もはや執事と俺だけだ。

 執事は王子の寝室で俺の姿を見つけるたびに言う。

 またここにいたのか、と。

「これは俺なりの祈りだ。この城には礼拝堂が無い。――いや、そもそも祈るべき神がいない。だから俺はこいつに直接、祈りをぶつけにくるんだ」

「神など当てにしても無駄だ。奴らは何もしてくれやしないし、何をしたとしても王子は目覚めない。然るべきときが訪れるまで、決して」

「分かっている。あと八百六十五年、四百九十七時間、三十六分、五秒必要だ」

「ならば何故、そのような無駄を続ける。俺はお前を合理的に設計したはずだ」

 年老いた執事が続ける。

「庭の薔薇は枯れない。お前が首を刈った薔薇も、すぐに復元する。問題は無い。だが、この部屋はお前が飽きもせずに薔薇を持ち込むせいで薔薇まみれだ。部屋を薔薇で埋め尽くす気か」

「足の踏み場が無くなったら、そこの窓から捨てる。薔薇は地に還るだろうさ」

「……」

 執事は黙った。

 俺の答えが合理的だったからだ。

「もうじき俺は死ぬ。お前の起動が間に合って良かった。だが、お前は俺の記憶を引き継ぐまで未完成のままであることも事実……。俺の心配はただ一つだ。俺が死んで、お前が完成したときに、果たしてお前はこれまでのように、王子が目覚めるまで待ち続けることができるのかどうかということ――この国はすっかり金色こんじきに支配され、民はひとり残らず白い骨になってしまった」

 年老いた執事はそろそろと長い溜め息を吐いた。

 本人が言う通りで、死期が近いのだ。

「なあ、どうやって記憶を俺に移すんだ? 人の記憶ってのは、心臓や目のように取り出せるものじゃあないだろう」

「なに、心配は要らん。人は皆、骨になる。だが、俺は別の物になる。記憶を読み取ることが可能な代物にな」

「一体、何になるって言うんだ?」

「それはそのときのお楽しみだ。そして、それを壊すも取り込むも、お前の好きにしろ。――だが、壊せばお前は未完成のままだ。修復の方法だって俺の記憶の中にしか残っていない。記憶を継がねば、お前はいつか必ず壊れて、俺と同じく滅びゆくだろう」

「……とっととくたばれよ」

 俺は執事のほうを向かずに吐き捨てた。

 執事は何も言わない。


 

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