四話 裏道

 目を開ける。窓から夕日が射し、わたしの部屋をオレンジ色に染めていた。わたしは電池カバーを胸に抱いたまましばらくぼうっとしていたけど、ちらりと流し見た壁時計にはっとして、勢いよくベッドから跳ね起きた。


 もう塾の授業が始まっている時間だ。今日はずるしたから塾もお休みしたけど、わたしには他にやることがあるんだ。

 朝方に着替えた地味な服装のまま家を飛び出す。

 駅のロッカーを開け、クーラーバックを出して肩にかける。重かったけど、急いである場所へと走った。


 奈緒ちゃんはいつも塾から自宅まで歩いて帰る。一度奈緒ちゃんの家へ遊びに行ったとき、彼女がある裏道を教えてくれた。ちょっと危ない裏道である。


 商店街に到着する。背の低いビルと文房具屋さんに挟まれた小道を通ると、そこではひっそりとしたスナックや民家が建ち並んでいる。民家といっても、そこら一帯はほぼ空き家となっているようだ。スナックは十一時から営業と玄関に書いてあるけど、そもそも営業しているかも怪しい廃れ具合だった。

 路地の突き当たりを右に曲がり、奈緒ちゃんの教えてくれた穴場スポットへと入る。


 右手にはビルの背中があった。灰色の壁はすすけていて、触ると手が汚れてしまうので気をつけて歩いた。左には錆びたフェンスが続いており、道に合わせて十メートルくらい伸びている。フェンスから見下ろすと、すぐ斜め下には廃墟の一軒家がそびえていた。大邸宅といっていいほどの家だったが、朽ち果て、全体的に茶を帯びていて、見るも無惨な様相だった。

 フェンスがなくなる。そこから、廃墟の門へと続く下り階段があった。四十段くらいはありそうな、長くて古い石の階段。廃墟の門は南京錠で施錠されているけど、この階段だけでも邸宅の名残りを感じることができる。


 この裏道をさらに進んで右に曲がると、また普通の街道に出られる。奈緒ちゃんはよく、塾の帰りにここへ寄り道に来るそうだ。一度だけ、奈緒ちゃんにここに連れてきてもらったことがあった。


『今までこの場所で他の人と出会ったことはないし、私にとっては秘密基地みたいなものなの』


 この階段で奈緖ちゃんと一緒に腰掛けていると、奈緒ちゃんがそう言った。


『勉強やお稽古で疲れると、毎回、ここに癒されに来るのよ。いわば私の聖地ね。実はこの場所を紹介したのって、小夜ちゃんが初めてなの』


 あのときの奈緒ちゃんも、照れ臭そうに笑っていた。わたしはうれしさのあまり奈緖ちゃんに抱きついて、奈緒ちゃんもわたしのことを抱き返してくれた。

 わたしはそのときのことを深く反芻しながら息をととのえる。階段に腰を降ろし、クーラーバッグをかたわらに置く。そこはビルからのボイラー音に包まれ、あたりの空気を轟々と揺すっていた。


 すっかり日は沈み、廃墟は暗黒に満ちている。和洋折衷をあしらった変わった邸宅で、ずっと眺めていると心が不安定になってしまいそうなアンバランスさがあった。


 ふいに、割れた窓の奥で何かがうごめく。わたしは目を凝らした。うごめく何かはたしかにこちらを見ていた。

 赤い眼だった。血走ったような、屍肉を欲する粗暴な眼。鬼だ、とわたしは悟った。普通に考えれば犬か猫だろう。でもわたしには、あれが鬼だという確信があった。

 鬼は赤い両眼をしばたき、黒い影をうごめかせる。しきりにこちらを見つめていた。

 わたしは優越感に浸る。あの鬼は、自分を表に出せないのだ。わたしのように上手く鬼の姿を隠せないから、ああやって廃墟の家に身をひそめている。鬼はわたしのことを羨んでいる。だって、わたしがこれからする行為は、きっと周りの人間たちにばれることはないのだから。


 ポケットに手を入れ、携帯の電池カバーを確かめる。一辺一辺を指でなぞり、最後にカバーの裏に触れた。そこに貼られた奈緒ちゃんとのプリクラの感触をうっすらと感じ取る。

 自然と口元がほころんだ。

 わたしはいま、奈緒ちゃんの手とつながっている。


「小夜ちゃん?」


 ゆるんだ頬を固くして顔を上げる。

 学生鞄を両手に抱えながら、奈緒ちゃんが小首を傾げていた。

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