② 最初の生徒
社会人において組織長の「時間があるときでいい」とは「今すぐ来い」という意味である。
「失礼します」
ノックして、すぐに返事があったので入室すると、校長が窓から景色を見下ろしていた。その佇まいはどこかのラスボスのようだ。
「納品書、確認いたしました。さっそくの手配、ありがとうございます。商品も問題なく納品されておりました」
相手の心証を良くするためには、謝辞、謝罪を先んじて行うことだ。
「それは良かった。事務にやらせたが、何分その手のものは扱ったことがないのでな。ずいぶんと心配していてね、さっそく伝えておこう」
校長はそう言うとこちらに振り返る。ちょうどその背中に窓が重なっていて、まるで後光が差しているようだ。間違いなくレベル一○○以上はある。
「君は仕事が早くて助かるよ」
「いえ、そんな。私も楽しみにしていたので」
俺の謙遜に、校長は、「フッ……」と笑った。やだ、かっこいい。
「さて、部員の件だが、さっそく関心を示す者が集まっているようだ」
「それは」
いいですね、は言わないのもポイントだ。
「各担任には志願理由を確認の後、手引きを頼んである。早ければ本日中にでも部室に現れるだろう。部室の準備は順調か? 大変なようなら、言ってほしい」
放つ雰囲気とは裏腹に、部下を気遣う姿勢は上司として素晴らしい。どうやら俺は上司に恵まれたようだ。こんな大人になりたいものだ。ラスボスの雰囲気は抜きで。
「お気遣いありがとうございます。主な準備は既に終えていて、残すところは細々とした部分でして」
「ほう」
「志願した生徒が早めに部室に来てくれるようなら、手伝いをお願いしてみます。PCの構造を知っておくことは、ゲーマーとして大切なことですから。もし何かあれば、改めてこちらから相談させていただきます」
「そうか、うむ、遠慮なく言いたまえ。……ときに斉藤くん」
校長はゆっくりと歩き、俺の前に立った。
近い。
「私は、オリンピックの舞台に立つ人材が、本校から現れることを期待している。……手を焼くこともあるだろう。……特にあの子は……」
「?」
「いや、なんでもない。大変なことだとは思うが、頑張ってくれたまえ」
「ええ、ああ、はい、わかりました。精一杯、努めます。それでは失礼します」
校長の言いかけたことが気になったが、校長室を後にした。
「手を焼かせる生徒、か」
部室へ戻る道すがら、その校長のセリフが脳内でリフレインする。
「ゲームだったら、完全にフラグだよな、あれは」
俺は担任のクラスを持っていないが、その分、授業を受け持つ範囲は広い。記憶を辿るも、しかし特に該当しそうな子は思い当たらなかった。
まぁ生徒の本質や悩みなんて、授業を受け持つだけじゃわからないから、目につくといえば身だしなみくらいだろう。とはいえそれも、本校の校風からか、派手に垢抜けた生徒は見ない。
世間でいうギャルなんて、本校には存在しないのだ。
「ま、なんとかなるだろ。なんせ、ゲームやるだけなんだし」
そんなことを考えながら部室の戸を開けた俺を、あり得ない光景が待ち受けていた。
「―え?」
眼の前に、ギャルがいた。
俺は思わず後ずさりして、教室の札を確認する。間違いなくそこには、視聴覚準備室と書いてある。
俺は黄昏に霞む目を擦って、もう一度その室内をよく見た。
間違いない。女子生徒が椅子の上に体育座りしている。
彼女の前に設置されたモニターには、先程俺がインストールしたゾンビ系ホラーゲームのデモが映し出されている。それを食い入るように見ているのだ。よく見れば彼女が装着しているヘッドホンは俺の愛用品じゃないか。
おわかりいただけただろうか。
つまり俺の前には、勝手に部室に侵入した挙げ句に他人のヘッドホンを断りなく身に着け、椅子の上に体育座りをして綺麗な太ももを見せびらかす、ゾンビに夢中なギャルがいるのだ。俺には全くわからない。
俺はため息とともに頭を掻いた。垢抜けた身なりだが、制服は間違いなく本校のものだ。こんな生徒がいたとは。
「おい、君」
声をかけるも、返事がない。もちろんそいつはただの屍ではなく、ちゃんと生きている。
思い出したが、そのヘッドホンには抜群の遮音性能を誇るノイズキャンセリング機能がついており、おかげで話しかけられても気づかないことも多かったりする。彼女は今頃、没入感たっぷりのゲーム体験真っ只中なのだろう。
「ったく、しょうがないな。おーい」
彼女のそばに寄るが、気づく気配はない。なんだかシカトされているようで悲しい。高すぎる遮音性も考えものだ。
しかしこのまま放っておくわけにもいかない。本校の生徒なら、ちゃんと指導しなくては。
「なぁ君、いい加減に―」
そうして彼女の肩に触れた瞬間だった。
「ひゃっ!」
彼女は悲鳴を上げ、立ち上がった。反動で椅子が大きな音を立てて倒れ、ヘッドホンが吹っ飛んでいく。
「おお、すまん」
あまりに大きなリアクションに俺も少し驚く。ゾンビに夢中だったから驚いたのか、それとも、異性に少し触れられただけでこうなるほどウブなのか。
だがヘッドホンを拾い上げて再び彼女を見たとき、それがいかに軽薄な考えだったかを俺は知った。
―彼女は両肩を抱き、震えていたのだ。
それはまるで、防御体勢。犯罪者と対峙したときのように、恐怖に歪んだ目で、俺を見つめていたのだ。
「お、おい大丈夫か。怖がらせてしまったなら謝る。大丈夫だから」
彼女は俺の胸元の教員カードを見つめて、深呼吸する。徐々に落ち着きを取り戻していき、一旦閉じられたまぶたが再び開いたときには、震えは止まっていた。
そして彼女は一呼吸置いてから口を尖らせ、小声で言った。
「いいところだったのに」
「いいところだったのに、じゃない。部外者立ち入り禁止だぞ、ここは」
いじけてみせる彼女に対し、大人の威厳をもって応戦する俺。しかし返ってきたのは、生意気な視線と、意外な言葉だった。
「部外者じゃないよ、あたしは」
「なに?」
「だってここ、ゲーム部でしょ」
先程までの気弱さは微塵もない。少女は俺の目の前に立ちはだかった。
「一年E組、
茶色のセミロングから覗くそのつり目が印象的な、今風な女の子。
櫻井美月は、挑発的な表情で言い放った。
「あたし、留年しそうなの」
―後の競技ゲーム甲子園で、ある女性プレイヤーが注目されることとなる。常軌を逸したそのプレイは対戦相手を恐怖で震え上がらせ、観衆を熱狂させた。
―ついた通り名は、「FPSのバーサーカー」。
「ね、助けてよ。太センセ」
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