ちゃんねる操作
わたちょ
第1話
それは暑い夏の日の始まりの日に始まった。
蒸し暑い部屋、扇風機の風の音が低く聞こえてくる。じっとりと汗を掻きながら彼、秋比奈世夜(あきひなせいや)はパソコンの前にへばり付いていた。六月○○日火曜日、十一時四分。学校では授業が行われている時間だった。彼の年は十六歳。中卒で働いているわけではない。家の中からでる事のない彼は引きこもりの引きニートだった。
日がな一日パソコンをつつく。特に目的もないただの暇つぶし。パソコンの前で眠ることなどよくあることだった。と言うか、一日の約半分はパソコンの前で眠っていた。それも電源をつけたままで。
今もパソコンの前で起きたばかり。暗くなっている画面を寝る前の状況に戻し、インターネットの画面を開く。検索したい言葉も特になく、暇つぶしの履歴をぐるぐると巡りだしていた。一つのサイトでその流れは止まる。彼の深い隈の上にある死んだ魚の眼がちょっとだけ生き返った。
「○ちゃんか」
小さく掠れたぼそぼそとした声が漏れる。
「久しぶりに冷やかしてみるのも良いかもな。でも、面白いものあるか? まあ、でもどうせ暇つぶしだし、見るのも良いか」
一人ぼそぼそと話し終えると画面の中のタイトルを適当に押した。
白に変わる画面。一番最初にタイトルが現れたかと思うと画面が真っ黒に塗りつぶされた。
「……え?」
いきなりのことで目を丸くして見つめる。二、三度瞬く。画面が戻る様子はなかった。
「……え?」
彼の口から再度同じ音が漏れた。嫌な汗が伝う。
「え?……まさか、壊れた? いや、そんな分けないよな。俺大事に使ってるし」
無駄に早口でまくし立てながらがくがくと震える手でマウスをつつく。変化は訪れない。必死になってキーボードもつつくが無意味。愕然とした世夜は床に着きそうになるのを何とか堪えた。
一体真っ黒な画面のままどれくらいの時間が進んだのか。焦っている彼にはかなり長く感じたのだが、実際には約二、三分程度だろう。時間が過ぎた頃画面に一つの変化が現れていた。
色々な色が画面の中に現れ、そしてぐるぐると混ざり、まだらな模様を作っていく。真ん中に茶色が集まったとき、そこからぼこりと画面が浮き出た。ぼこぼこと凹凸ができた画面は、真ん中から一つの形が飛び出してくる。それは人の頭だった。人の頭から首が、首がら肩が、さらに胸が。
徐々に画面の中から人の形がでてくる。ついに上半身が出来上がった。その閉じられた瞳が開かれる。
「ひぅ」
妙な声が世夜の口からでる。
世夜はもうパソコンの前にはいない。パソコンから遠く離れた部屋の扉に背を預けて震えていた。後ろ手でドアノブを探すが震えて上手くいかない。後ろを向こうにも、人の形をした何かを前に背を向けることは恐くてならなかった。怯えた瞳で彼が見つめる中、何かはゆっくりと部屋の中を見、そして彼を見付けた。
何かは彼を見るとその無表情に笑みを浮かべた。目を細め、口を大きく開いた満面の笑みみたいに。
「やあ」
声を掛けてくる何かに世夜は本能的な恐怖を感じ始めていた。それは生死に関する物ではない。何かもっとおぞましいもの。例えるなら自分が全く知らぬ未知のもの。想像もしなかったような、いやそもそも想像することから恐怖してしまうような、そんな理解したくないものが近付いてくる感覚に近かった。だが、それはあくまで例えだ。
実際のことではない。
今目の前にあるのは、それよりまだ薄く、もっと別の恐怖があり、また、もっと別の感覚がある、恐怖。
彼が長い間恐れてきた何かが近付いてくるような気が、その中に渦巻き余計に恐ろしかった。
震えている世夜を何かはにっこりと見つめている。
「やあ、こんにちは」
平坦とのんべんとした声。口元だけが上がっている。
「おんや~~、何でそんなに怯えてるんだい?」
表面上は楽しげで不思議そうに何かは問う。画面の中からするりと抜け出して何かは足を床につけた。うわずった声が漏れるのを加虐心たっぷりの笑みを浮かべて近付いてくる。
「何ですか、その声。炭酸でも振ってかけますか」
「何で!」
震えていた彼だが何かの発言には反応を返す。さっと彼が目に移したのは机の上、まだ一回も開けていない炭酸のジュースが置かれている。その視線の先に気付いた何かがニヤリと笑う。
「やりましょうか」
「いい! いい! やるな」
世夜は必死に言い募るが何かは炭酸を手に取る。その後、拍子抜けた様に肩を落とした。
「ぬる」
そう言われ彼は思い出した。そのペットボトルは寝る少し前に冷蔵庫から出していたのだ。ホッとしながら彼はドアからそっと背を離した。足は細かく震えているが、それでも何かと対峙する。
「お前、なんなんだよ」
「さあ? なんだろう。君は?」
「いわねえ奴に名乗る名はない」
「そうですか」
にらみ合うふたりと言いたいところだが、何かはすぐに世夜から視線を逸らした。パソコンへ向かった瞳。画面に手を伸ばした何かの無機質な瞳は色鮮やかに染まっていた。ぐるぐると赤、黒、青、黄、緑、オレンジ、紫、灰。様々な色が瞳の中で混ざり合っていく。それに合わせるように画面もめちゃくちゃに動き、ぴったりと止まったときにはいくつかのタブが開いていた。
何かはそれを覗き込む。
「ふーーん。秋比奈世夜君か。十六歳。あれ? 学校は」
目をまん丸く見開いたは彼。口を金魚みたいにぱくぱく開けて震える指で何かをさした。
「な、何で……」
ニヤと何かの口元が釣り上がる。
「さあ? なんでかな?」
「お前は一体……」
「妖怪」
「へっ」
「妖怪です」
以後お見知りおきをと続けられたのに疑問の音が漏れる。
「妖怪?」
「はい、妖怪です」
「信じられねえ」
世夜は何かの言うことをなかなか信じられなかった。口に出して否定するのに、何かはどうして良いのか分からないように笑っていた。
「なら、なんなら信じます」
「……宇宙人なら信じられる」
「……」
世夜の言葉に何かは首を傾げるが、すぐに吹いた。
「宇宙人なら信じるんだ」
「当然」
「その心は」
「宇宙は地球の何十万倍も広い。その広い宇宙に地球人以外いない方が不思議だ」
「なるほど。まあ、でも僕は宇宙人ではなく、妖怪。そこはもう信じて貰うしかないんだけど、僕は妖怪で君に助けて貰うために来たんだ」
「助け……」
「そう。丁度君が僕のいたスレに新しく来てくれたんだよ。」
「スレ?」
「そう。ほら、これ」
何か、本人曰く妖怪が画面に触れると一度まっ暗に変わり、一呼吸後には何かが現れる前の画面に戻っていた。
「ほら、ここに座って」
促されるのはパソコンの前の椅子。決して動こうとしない世夜にしびれを切らしもう一度。何かは椅子の背もたれを強く手で叩いている。
「ほら、ほら」
にこやかに笑い手招きをするように椅子の背もたれを叩く(もう少しで壊れそうだ)姿は愉快ではあるが恐くもある。なかなか足が進み出せないが、何かは行くまで椅子を叩くのを止めそうにない。嫌々、足を踏み出す。
「早く座って」
押し込まれるように座り、手にマウスを握らされる。
「説明はこれを見てからね」
彼の目は画面の中の文字を追った。
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