第九話 残された意思


「石川!!!山本でも、井上でも、小林でもいいどういう事だ!俺に説明しろ!!!」


 篠原が、警察病院の霊安室に飛び込んできた。

 切られたと思われる場所には包帯がまかれている。包帯には、血だと思われる物が滲んでいる。


 そして、横たわる真辺を確認した。真辺の横に立ち、顔を覆っていた布を乱暴に払い除けた。


「おい。起きろ。新しい現場だ。お前がいないとダメな現場だ。そうして寝ている余裕があるなら大丈夫だろう?もっともっと俺がお前にふさわしい仕事を持ってきてやる!おい、いつまで寝ている。いい加減にしろよ。おい。ナベ。起きろよ!!!俺より先に寝るやつがあるか!ナベ。真辺ぇぇぇぇ」


 篠原は、横たわる真辺の胸倉を掴んで必死に起こそうとするとが、真辺が反応する事はない。篠原は、流れ出る涙を拭うこと無く、真辺を起こそうとしていた。

 その行為を、止められる者はこの場にはいない。誰しもが同じ思いで居るからだ。


 石川だけは、篠原の行為を是としながらも、自分の心に従った動きをする。

 胸倉を掴んでいた篠原の手に石川の手が重なった。いつまでも、真辺の胸倉を掴ませているのが嫌だったのだ。


「篠原さん。ナベさんは・・・もう・・・」


 篠原は、石川の行為の意味が解っている。

 解っているが、自分の内側から溢れ出る思いがそれを越えてしまっている。


 添えられた石川の手を乱暴に払い除けて、石川の肩を乱暴に掴んでしまっている。

 篠原は、石川の方をまっすぐに向いて、真辺とした約束を、自分の思いをぶつける。


「石川。ウソを言うな。ナベが俺を置いて死ぬはずがない。それにな、こいつは俺と約束した!!10月01日に、納品後に飲み会をする約束をした!なぁそうだろう。ナベ。お前言ったよな。それ以外も、俺と約束したよな。倉橋さんのように死なないって約束したよな!俺よりも先に死なないと言ったよな!山本!井上!小林!石川!石川答えろ。ナベが約束を破るか?破らないだろう。だから、ナベが死んだなんて嘘だ!さっさと起きろ!いつまでそうしている!こんな綺麗な状態で・・・寝ているなんて・・・俺は・・・俺は・・・真辺!絶対に許さないからな!嫌なら起きろ!!!真辺!!!」


 篠原は、石川だけではなく、山本、井上、小林に嫉妬していたのだ。

 なぜ自分が一緒に現場に出ていなかった、真辺の最後を看取る事ができなかったのか?

 なぜ自分が・・・。そんな思いが頭の中を支配していた。


 警察で真辺の死を聞かされた時に、なにかの冗談だと思った。

 信じなかった。信じたくなかったのだ。


「篠原さん。ナベさん。疲れたって言っていました。そろそろ休ませてあげないと・・・。それに、すこしだけ寝るって言っていました。そのうち起き出すと思います。私が待っています。後は、私が、私たちがやります」


 石川は、目に涙を浮かべながら必死に真辺からいわれた『辛い時ほど笑え』を実践している。

 他のメンバーも全員笑おうとしている。


 篠原は、石川から向けられる笑顔の意味がわかった。石川や山本や井上や小林の目の中に映る自分が笑っていない事が解る。

 自分たちが笑っているのに、付き合いが長い篠原が笑えないのはおかしい。


「そうだな。すまん。すこし頭冷やしてくる。石川。掴んだりして悪かった」

「いえ、大丈夫です」


 篠原は、ヨロヨロとした足取りで、霊安室から出ていった。

 ドアが乱暴に閉められて、廊下から何か蹴ったのだろう、大きな音が響いてきた。


 石川はさっきまで篠原が居た所に立って、真辺を上から見下ろしている。


 石川は、篠原が乱暴に払い除けた布を床から拾い上げて、篠原が乱した服装を整えている。


「ねぇわがまま言っていい?」

「なんだ?」


 石川からの願いは山本も井上も小林も想像できている。

 一番付き合いが古い山本が石川に答える。


「今だけ、30分。ううん10分でいいから、ナベさんと二人だけに、してくれない?」

「わかった、井上。小林、ちょっと付き合え。篠原さんを見に行こう」


 山本が2人を連れて、部屋から出る。篠原を見に行くというのも嘘ではない。心配するほどの取り乱しようだ。

 石川は大丈夫だろう。笑えている。篠原は、真辺の死を現実として受け入れていない。自分たちは、篠原と違って真辺の死を看取っている。そんな思いも有ったのは間違いない。


 ドアが閉まる音がした。

 石川は、満面の笑みを浮かべて、真辺の顔に優しく触れた。


「ナベさん。知っていました?自分は『もてナイ』って散々言っていましたが、部下だけじゃなくて、他の部署や、他の会社にもファンがいたのですよ。その気になれば結婚できたのですよ。みんな、ナベさんの生活が想像できないと言っていましたが、ナベさん。ズルいですよ。私にこんな気持ちを植え付けた状態でいなくなっちゃうなんて・・・・。どうしてくれるのですか?」


 真辺が答える事が出来ないのは解っているが、石川には真辺の越えがはっきりと聞こえる。幻聴だとしても、石川にとっては、それが事実かどうかなんて関係ない。真辺が答えてくれているのだ。


「・・・・」


「そうですよ。『すまない』じゃないですよ。システムもまだなのですよ。悪いと思っているのなら、気合で生き返って見て下さいよ。やってみたら出来るかもしれないですよ。ナベさん。ほら、早くいつもみたいに笑いながら適当な事を言いながら、起きてきて下さいよ。一度だけなら許しますよ。そうだ、ナベさん復活の呪文とかどっかに作ってないですか?生き返ってきたら、今度は死なせませんからね。私が一生一緒に居て、私が死ぬまで死なせません。だから、早く生き返って下さい。お願いします。真辺さん」


「・・・・」


「『無理いうなよ』じゃないですよ。まったく解っているのですか?これから、私たちはどうしたらいいのですか?」


「・・・・」


「そうですね。『自分たちで考えろ』ですね。そうします。まずは、今の施設の稼働を確実に行う。その後は、また相談に乗って下さい」


「・・・・」


「ありがとうございます。ナベさん。真辺さん。いろいろ聞きたい事が多いです。まだまだ教えてもらわないと私は使えないですよ。真辺さん。他の部署で問題を起こした私を拾ってくれたのはなぜですか?いつも笑って教えてくれませんでしたよね。『お前は根性がある』『なんとなく』そんな答えばっかりでしたよね。それに、なんで私を主任にしたのですか?部署には私よりも出来て、年上の人も沢山いたのに・・・。なんで私だったのですか?ネットワークとハードウェアの山本さん。言語知識が豊富な井上さん。運用やサポートの小林さん。私だけ何にも出来ませんよ。いつでも、真辺さんの後ろについて回るだけで精一杯だったのに・・・」


「・・・・」


「ほら、また教えてくれない。そろそろ教えてくれてもいいと思うのですよ。私は、何も知らないで会社に入って、7年。ナベさんの下に着いて、5年。貴方を好きだと認識してから3年。今は、その3年が心を圧迫します。苦しいです。でも、でも、真辺さんと出会えなかった事に比べたら、すごく幸せな5年間でした。あ!言い忘れていました。『真辺さん。お誕生日おめでとうございます。今年一年。よろしくお願いいたします』もう一つ有るのですよ。毎年、今年こそ・・・と思って言えなかったセリフが・・・『真辺さん。大好きです!』うぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・ダメですね。泣いちゃダメですよね。笑わないと、真辺さんに怒られちゃいますね。いいですよ。怒りに来て下さい・・・。真辺さん。お疲れ様でした。今まで有難うございました。これから、私は真辺さんの部下だった事を誇りに思って、この業界で生きていきます。今まで本当に有難うございました!そして、お疲れ様でした」


 石川は、真辺の遺体の前で大きく一礼した。そのまま、遺体に抱きつくように泣き崩れた。

 涙が枯れるかと思う位の時間が経過した。ゆうに1時間は経っているだろう。


 ドアがノックされて、警官が入ってきた。

 真辺のスマホや持ち物を検査していたが、怪しいものは何もなかったといわれた。

 病死と判断して事件性はないという事を告げられた。


 石川は涙を拭いて立ち上がった。

 真辺の死を受け入れて前を向かないダメだと思っている。


 遺体をどうするのかを聞かれたので、家族や親戚の類はいないと告げた。

 もう一人の警官が、夕方に会った西沢と名乗った警官だった。


 西沢が、石川に『真辺の遺書を預かっている』と言っている、弁護士が来ていると告げられた。石川一人では心配だったので、篠原や山本達と合流してから、弁護士に会う事になった。

 西沢は、真辺の本籍住所を調べて、親類縁者を探す事になった。遺体の引き取り先を探すためだ。

 これほど早く『遺書を持っている』弁護士が見つかったのにもわけがある。

 西沢の同期が、真辺の出身地にある警察署に居た為に、同期を頼った。

 その同期が偶然なのか必然なのか、真辺の同級生だったのだ。そして、その警察官の妻が弁護士をやっていて、真辺の遺書を預かっていたのだ。

 真辺の同級生と妻で弁護士の2人は、すぐに職場を出て、真辺の遺体が安置されている警察病院に駆けつけた。


 石川に向かって出された名刺は「森下美和」となっていた。


 真辺は、地元の高校を卒業後、東京に出てきて専門学校に通った。その後、そのまま東京で就職した。


 森下弁護士がいうには、4年前にふらっと地元に現れて、両親と妹さんが眠る墓を綺麗にし直して、他人だが1人の女性が眠る墓に関しても住職に供養をお願いして行った。偶然に居合わせた、森下弁護士の旦那さんが真辺と話をした。森下が弁護士をやっていると聞いて、”頼まれごと”を、して欲しいと言われたのだという。

 頼まれ事は、真辺名義になっている山や財産の売却と譲渡。売却されたお金は適当な団体に寄付するのと、森下桜と美和に預けるという事だ。

 そして、もう一つが遺言書の作成だった。


 森下弁護士は、皆を見回しながら

 篠原・山本・井上・小林・石川。の、5名に関係していると言った。

 丁度、そこに揃っているメンバーなのを確認して、警察官による身元確認が行われた。

 森下弁護士が渡された資料通りになっている事を確認して、遺言書が開示される事になった。


 そこには、5人には見覚えが有る。癖の強い真辺の字だ。お世辞にも美味いとは言えない字だったが、石川だけではなく、皆その字を見て目頭が熱くなるのを認識していた。


『これを読んでいるって事は、俺は死んだのだろう。多分、過労死だろうな。それとも、どっかのシステム屋に恨まれて、刺されて死んだか?まぁそんな事はどうでもいい。

 篠原さん。多分、何か約束をしているでしょう。守れなくて申し訳ない。この埋め合わせは、来世か地獄でする。篠原さんは天国には行けないだろうから、俺もしょうがないので、地獄で待っていますよ。でも、急いで来なくていい。できるだけ再会は遅い方が嬉しいからな。その間、利息も付けるので。きっちり回収してくれよな。

 山本。お前が一番長い付き合いになるな。すまんな。迷惑をかけたな。俺が誘わなかったら、お前はもっと贅沢な道を歩けただろうな。嫁さん大事にしろよ。なんか文句があるのなら、後でゆっくり聞いてやる。まずは、嫁さんを大事にしろよ。

 井上。いい加減ホンダ車の素晴らしさを認めろ。また、お前と言語や開発手法談義をしたいな。向こうで俺も知識を溜め込むからな。待っていろよ。面白い方法を考えておくからな。

 小林。すまん。いつもしんどい役回りばかりさせて、お前が矢面に立ってくれるから、俺は自由に動けた。助かったよ。これからは、自分の好きな事をやれよ。そうそう、小林夫人にも無茶させたな。謝っておいてくれ。

 石川。こんなオヤジのどこがいいか知らないけど、もっと周りをよく見ろ。お前は、何度も俺になんで自分が?と、聞いたよな。教えようかと思ったけど、止めておく。悩め。自分で考えろ。ヒントは俺がお前に頼む仕事を考えれば解るはずだ。お前は、いつもネットワークやハードウェアは山本に敵わない。言語は井上に敵わない。ユーザサポートは小林に敵わない。それ以外にもいろんな面子と自分を比べているよな。そんな必要ない。石川は石川なのだからな。周りをよく見ろ。言語で敵わないと思っている井上にお前はサポートでは勝っている。山本より言語知識がある。小林よりネットワークに詳しい。俺が欲しかったのは、そういう事だ。

 美和。悪いな。こんな事頼んで。お前が、桜と結婚していたとは驚いたよ。幸せに』


 それ以外にも部署のメンバー1人1人に言葉が残されていた。


『美和に俺の財産を調べてもらった。実家の方は、すでに処分して貰って、全部美和に預けた。好きにしてくれ。

 こっちにある財産だが、みんな知っていると思うけど、俺は天涯孤独だ。親戚も探せば見つかるかも知れないが、そんな知らない奴らよりも、お前たちの方が大事だ。迷惑かもしれないが、次のようにしたいとおもう。異議申し立てがある場合には、こっちに来て文句を言ってくれ。それ以外は受け付けない。

1. 俺の家は、処分してくれてもいいし、欲しいという者が居たら、そう処理してくれ。複数の手があがったら、三回勝負のじゃんけんで一番”弱かった”者がもらう事にしてくれ

2.パソコン本体は、山本貰ってくれ。勿論、処分して現金化して嫁さんへのプレゼントにしてもいい。

3.移動が可能なパッケージのライセンスは、井上貰ってくれ。ダブっている物もあるだろうが、あって困るような物じゃないだろう。HDDは山本と相談してくれ

4.タブレットやノートパソコンは、小林貰ってくれ。古い機種もあるが、ユーザサポートで必要になる場合も有るだろうから、有って困るような物じゃないだろう。篠原さんに相談して会社に買い取って貰ってもいい。

5.篠原さん。即物的で申し訳ないのですが、俺の現金や預貯金の処分をお願いします。俺の葬儀や片付けで必要になると思いますので、それらから出して下さい。残りで、5人以外のメンバーに中機能のノートパソコンを買い与えるくらいは残ると思います。多分、まだすこし残ると思うので、それは篠原さんが収めて下さい。いろいろ迷惑をかけて申し訳ない。可愛い後輩の頼みを聞いて下さい。

6.石川。お前に何を残そうか考えたのだが、良い物が思いつかなかった。そこで、一番貰って困る物をお前に残す。俺が今まで趣味で作ってきたアプリケーション一式をお前に託す。公開するなり、しっかり作り直すなり好きにしていい。それと、美和に託してある。書類をお前に渡す。

 以上6項目。財産だと思われる物だ。

 おまけとして、家の中に転がっている家電とかは、欲しいと言った者が好きに持っていってくれ。

 もし、俺の死が何か事件に巻き込まれた結果だとしたら、美和すまん。篠原さんや部下達の力になってやってほしい。

 それともし部下の中から独立して会社を作ると言い出した者が出てきたら、美和。会社の顧問弁護士になってやってくれもちろん美和で問題ないという者が居た時だけだけどな。顧問料は要相談だと思うが、以前に預けた資金内でできるだけやってほしい。


 あっちの世界でも多分”火消し部隊”を設立するが、お前たちが居なくてもなんとかする。いいか、そんなに早くこなくていいからな。でも、来たら連絡よこせよ。

 それじゃまたな。


 真辺真一』


◆◇◆◇


(真辺さん。ありがとうございます)

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