第五話 確執と問題


「ナベ。お前休んでいるのか?」


 呼び出された会議室で、昨日まで倒れて休んでいた篠原が真辺に言い寄ってきた。

 そう言われるのも当たり前だ。

 6月から始まったデスマーチ。9月に入っても収束していない。


 6月はまだ良かった。

 7月から残業時間がおかしな数字になり始める。

 7月の残業時間、280時間。勤務時間ではなく、残業時間だ。

 8月はもっと酷くなる”残業320時間”国が定める過労死の時間を、4倍した時間と同じになっている。


 9月は、前月の半分位になる計算だ。


 それもそのはずだ。

 元々請け負った業務以外に、テストの為の作業が入り。請け負った業務がことごとく炎上した。それらを鎮火させる為に、部下を配置した。普段なら余裕があるが、今回は余裕がない為に高圧的な態度で対応した。

 高圧的な態度での対応になってしまった為に、作業が真辺の所に集中する結果になった。これが、作業時間残業時間が伸びてしまった原因だ。


 また、通常この手の現場のときには、昼過ぎから対応を行えばいいので午前中は休む事が出来る。

 しかし、この現場は並行して従業員への教育を行わなければならない。昼間は従業員への対応を行い。夕方から、開発チームの進捗を確認しつつ、客との打ち合わせを行う。

 そして、テスト部隊がテストを終えてから、インフラ周りの調整や、その日のトラフィックからネットワークの調整やハードウェアの配置場所を変更していくことになる。実運営に合わせた、ハードウェアのメンテナンス計画の策定も行っていかなければならない。


 会社にも家にも帰らず現場で寝泊まりする生活が続いている。

 幸いな事に、現場は病院施設でベッドや風呂がある。客と交渉して使わせて貰っている。それがなかったら、倒れていても不思議ではない。


 中旬になって、リリースが見えてきた。

 幾つかの問題はあるが、客に話をして、運営対応で逃げる事が出来る所まで持ってきた。


 現場を知らない人間の”善意”ほど、面倒な物はない。


 真辺はこの言葉を実感する。

 今までネットワークの設定やサーバの設置は、臨時で用意された部屋で行っていた。

 サーバを納める部屋は、施設がある程度出来上がってきてから、内装を整える事になっていた。内装が完了してから、サーバを移動する事になっている。


「ナベさん。サーバ移動させて、動作確認ですよね」

 部下の山本が真辺に声をかけてきた。


「あぁ今日の研修が終わったら、移動して、朝まで使えるようにすれば・・・。概ねインフラ周りは終わりかな?」

「了解。何時くらいから始めますか?」

「研修が終わるのが、16時だから、余裕を見て、19時位からかな。開発の進捗に寄っては、もう少し後ろにずらすかもしれないけどな」

「う~ん。了解。ひとまず、あがって寝ますね」

「わかった。近くになったら連絡する。おやすみ」

「頼みます。仮眠、いただきます」


 施設柄、仮眠室が確保できたり、給食が確保出来たり、薬の調達が出来るのはありがたい。真辺も一度酷い倦怠感に悩まされて、ドクターに相談して、点滴を入れてもらった事がある。


 冗談で、「ここなら倒れても、病室に端末持ち込んで仕事が出来る」と、部下と笑った。


 山本が仮眠室に飲み込まれていくのを見て、開発を見ている石川に連絡を入れる。

『19時にサーバダウン。起動はテッペンを予定』

『今日は、バラします』

 開発のスケジュールに問題ないようだ。新しく入れたモジュールが機能してくれているようだ。俺と井上の傑作品を入れるのだ、上手く使ってもらわないと困る。


 次に、小林に連絡を入れる。

『19時にサーバ移動する。そっちの作業に差し支えなければ、救援に来てくれ』

『了解。予定通り16時には終わります。食事後。そちらに伺います。差し入れが必要なら食事前にお願いします』

『小林夫人の笑顔での出前を頼む』

『無理です』


 従業員へ研修も問題ないようだ。


 井上から電話での連絡が入る。

『ナベさん。大変です。ヘルプです』

『解った。今から向かう。どこだ?』

『幼保園の園長室です』

『で、何が有った?』

『ロットバルトがやってくれました』

『居るのか?』

『いません。今呼びに行かせています』


 SIerの担当である。白鳥が何かやらかしたらしい。ロットバルトとは、井上命名なのだ。『白鳥→白鳥の湖→白鳥に変えられるオデット→唆す悪魔→ロットバルト』ということらしい。隠語にしては洒落ている。


 園長室に向かうと、井上と全体の流れの確認をしてもらっている。幼保園の園長先生、及びパッケージを提供している協力会社のエンジニア。それに片桐が居た。


 真辺が園長室に着いた時に、SIerの担当者から井上に連絡が入る。

『白鳥さんは、もう帰宅してしまっていて連絡が着きません』と、言っているらしい。真辺に電話を変わってもらって

『「1時間以内に来なければ、私の権限で全てを決定します」そして「ここで解った事は、上層部に伝えます」そう白鳥さんに伝言して下さい』


「ナベさん。どういう事ですか?」

「あぁ白鳥さんは、まだ会社に居ますよ」

「「「え?」」」

「あの会社で、『連絡が着きません』は『上司や別の会社との打ち合わせを行っている』に言い換えられるからな。本当に、連絡がつかないときには『今連絡を着けています』と、言うからな」

「・・・・」


「それで、何が有りましたか?」


 真辺は、にっこりと笑って、園長先生に話しかける。


 園長先生が言うには、助成金を申請する為に、幼保園の概要や内部の様子が解るような資料とWebサイトが必要になるという事だ。

 園の目玉として、IoT化して園内の状況を保護者に見せる仕組みを導入する事になっている。

 最新技術を使っていますという触れ込みのためだ。実際、職員からの評判もいい。子どもが園内から出そうになったら警告を出すなどの機能も付けているからだ。


 これはパッケージで実現済みだ。

 しかし、園長先生たちから見ると、それが、わかりにくいと言う事だ。当然だ。説明が十分にされているとはお世辞にも言えない状況だからだ。それでも、何度か話し合いをして、Webへの反映や資料を作ってきた。機能充足は出来ているはずである。


 園長先生も申し訳なさそうにしているので、真辺は、園長先生は気にせずにおっしゃって下さ。と話を進めさせる。


 システムが組み込まれた保護者向けのWebサイトは、会員制になっていて、登録された端末MACアドレス認証からしか閲覧出来ないようになっている。園から支給するリストバンドを子供がする事で、脈拍・心拍数・体温・現在の居場所を、保護者が確認する事が出来る。また、近くのカメラで確認する事が出来るようになっている。それらの機能説明と確認を今日行う予定になっていた。


 納品作業で機能が問題ない事を確認して終わりになるだけの簡単な作業だ。


 問題になったのは、そこではない。園長先生や経営者達が、今日それらの機能と同時に、公開する幼保園のWebサイトがあると思っていたらしい。


 議事録を確認してもそんな約束はしていない。それで、井上は片桐を呼んで話しに加わってもらったのだ。片桐も、そんな依頼は受けていないと行っている。協力会社も同じだ。


 それで、園長先生に、『誰と』どんな話しになったのかを説明してもらった。


 前回の打ち合わせ終了時に、園長先生と施設の経営陣が助成金の申請書類の話をしていて、幼保園のWebサイトが必要だという事がわかったのだ。それを、SIerの担当者に連絡した。折り返しで、白鳥から連絡が来て、簡単な物でよければ、作成させますが期限はギリギリになると想います。と言われたのだという。


 その期限が明日なのだ!


「明日・・・ですか?」

「あっはい。ドメインでしたっけ?なんか申請に必要だという事で、白鳥さんから請求書が来て、お支払をしまして・・・」


(あいつやりやがったな!)


「そうなのですか?ちなみに請求額は?」

「すこしお待ち下さい・・・・。えぇと、15万です。なんでも、特殊な方法での取得で、時間的にも厳しい、ドメインらしくて・・・。そのくらい必要なのだと言っていました」


(・・・?ドメイン申請だけで15万?1.5万でも高いのに?)


「はぁ、なんとなく状況は解りました。ちなみに、そのドメインの資料とか手元に来ていますか?」

「いえ、ただ、申請書類に、ホームページのアドレスを書かなければならない所に、記載してほしいと言われて、書いた物ならあります」

「拝見できますか?」

「コピーをお持ちします。しばらくお待ち下さい」


 園長先生が部屋を出て、事務の所に行ってなにやら指示をしているのが解る。


「ナベ」「ナベさん」


「最悪だな。ドメインの申請がされていなければ・・・。こちらで取得してしまうこともできる。大きな問題は回避できる」


 園長先生が戻ってきて、書類を持ってきてくれた。


 そこには、URLが書かれていた。『.jpドメイン』だ。これなら即時発効も可能だ。白鳥が何もしていない事を期待しよう。


「ちなみに、園長先生。ホームページなのですが、簡単な物があればいいのですか?」

「はい。あぁ前に、片桐さんが作ってくれた幼保園のパンフレットありますよね。あの内容であれば大丈夫です。後で直せるのですよね?」


「はい。何度でも修正出来ます。パンフレットですか、ありがとうございます」

「それなら、パンフレットの内容でお願い出来ますか?」


「解りました。白鳥さんに確認が取れ次第。どうするのか決定します。園長先生は、本日は何時位までこちらにおいでですか?」

「私ですか?入園者への案内を書いておりますので、19時位までは居ると想います」

「わかりました。それまでには、対応を協議してご連絡致します」

「あっよろしくお願いします。真辺さん。井上さん。ありがとうございます」


 現場で働いている人間たちは、真辺たちが奮戦しているのは知っている。

 仮眠している時でも、すぐに駆けつけてくれる。協力会社で来ている人間たちも、真辺たちが家に帰らずに、施設に詰めているのを知っている。

 真辺達は、それをひけらかす事はしない。遅れているのは、システム屋全体の問題で、『なんとか間に合わせよう』と、しているだけ、という立場を最初から貫いている。倉橋が居た時からの伝統だ。一番困っているのは、顧客であり、現場で働く事になる従業員なのだ。

 従業員や現場に居る人達からの些細な質問や雑談にも気楽に応じている。


 仲間だと認識させる事に成功しているのだ。


 幼保園の園長先生の部屋から出て、近くの会議室を借りて話をする。


「片桐。パンフレットのデータは?」

「イラレだよ」

「そうか、井上。ドメインは?」

「まだ取られていない」

「あの馬鹿。何していたのだ。前回の打ち合わせから、1週間は立っているぞ。井上。ドメイン取ってしまえ。俺のアカウントでいい」

「了解」

「協力会社さん。申し訳ない。こんな事に巻き込んでしまって・・・」


「いえ、私達はそれほど大変じゃありませんでしたから、何かお手伝い出来そうな事があったら言って下さい」

「解りました。ありがとうございます」


 協力会社は完全に一歩下がった事になる。

 面倒な事に首を突っ込みたくないのだろう。協力会社の人間が、スマホを取り出して、なにか慌てている様子を見せる。


(あぁ帰るな・・)


「真辺さん。井上さん。片桐さん。申し訳ない。会社からの呼び出しで、今日の報告をする事になってしまいました」

「あっそうなのですか、解りました。本日はありがとうございます。何か有りましたら、ご連絡致します。お疲れ様でした」


 戦力にならない人間と長々話すのも疲れるので、そうそうに帰ってもらう事にした。


「片桐。イラレなら。HTMLに保存できるよな?」

「あぁでも、デザイン崩れるぞ。それに、ブラウザによっては表示が出来ないかもしれないぞ」

「気にするな。まずは見られる事が大事だからな」

「解った、流石に無調整は俺が気になるから、調整はさせてくれ。サービスしておく」

「すまん。篠原の旦那に言っておく。この前の鉄板焼きでいいか?」

「いや、お前の居酒屋でいい」

「そうか、俺の名刺をだせば、ボトルが出て来るし俺のツケになる。勝手に使ってくれ」

「あぁそれで、時間的な制約は回避できるかもしれないが・・・。どうする?」


 真辺には、片桐が言っている『どうする』が複数の意味を持つ事が解っている。

 解っているが、あえて業務の内容だけにとどめて話をする事にした。


「サーバは、こっちで用意する。ここ外部からの接続は特定ポートと認証端末だけにしているからな」

「そうだよな。解った、HTML一式送ればいいか?」

「あぁ頼む。テッペン位までにあると助かる」

「園長に見せるのなら、早いほうがいいだろう?」

「そうだな。頼めるか?」

「大丈夫だ」

「井上。いつものレンタルサーバに向けてドメイン設定して、反映が終わったら、片桐に、SFTPのアカウントを発効して連絡しておいてくれ」

「イエッサー!」


「俺は、園長先生に明日の朝イチ午前9時までには準備出来ますと連絡する。その後、サーバ設置の準備をする。片桐。悪いけど、明日の朝イチに来てくれ。園長と見ながら間違いがないか確認する」

「了解」「あぁ解った」


 井上が端末を操作して、片桐となにか話しているのを見ながら、園長室に向かった。園長先生に、『パンフレットの内容でホームページを開設する準備が出来ているようで、本日の会議に間に合わずに申し訳ありません』と謝罪して、『遅くても、明日の朝10時には確認できます』と、伝えた。

 踏まえて園長先生には明日の朝の都合がいい時間に、ホームページを一緒に確認しながら見ながら修正箇所がないか確認したい旨を伝えた。


 園長室を出て、サーバが仮置きしている所に向かう。

 白鳥からは連絡が入らないが、真辺から連絡する事はしない。その代わりに、篠原に連絡を入れておく


(こりゃ今月の携帯代。5万を超えるな・・・)


『おぉどうした?』

『”お耳”に入れておきたい事があります』

『なんだ?また副社長か?』

『そうなる前に止めて欲しい事です・・・・』


 篠原に、現在発生した事を詳細に話した。


『そうか、園長先生に言って、その請求書を抑えられないか?』

『あぁそうですね。井上に言っておきます』

『頼む。噂だけどな・・・・』


 白鳥が、諸々の事が会社に伝わって、減給処分になっているらしいという事だ。もしかしたら、他でもいろいろ無茶しているかもしれないから、注意してくれという事だ。


『了解。こっちは、それどころじゃないから、篠原さん。営業をこっちに置いておく事出来ませんか?情報収集させるだけでいいのですが?』

『あぁ解った。すこし考える。ナベ。無茶はするなよ』

『いつものことですよ。ありがたい事にね』

『すまんな。こんなつもりじゃなかったのだけどな』

『いいですよ。解っていますよ。終わったら、おごってくださいね』

『あぁチームメンバーの全員連れて、飲みに行くか』

『いいですね。篠原さんおすすめの焼鳥屋に行きたいですね』

『わかった。1001の1800から予約入れておく。だから、しっかり終わらせて帰ってこい』

『わかりましたよ。死なないようにがんばりますよ』


 他愛もない話しをしてから、電話を切って、井上に園長先生にお願いして、ロットバルトからの請求書のコピーをもらうように指示をだした。

 理由は『ドメインの支払い状況確認の為』とした。


 真辺が、サーバ室に着いて一息着いた時に、井上からメールが届く

『請求書。ゲットだぜ!ついでに、振込用紙もゲットしました。後で持って行きます』


 添付された画像には、『見積書 兼 請求書』となっている。


(やっぱり、やりやがった。白鳥宛になっている。横領、それに特別背任か・・・。でも、まだわからないな。言い逃れは十分出来る。ドメインが取得出来ないと慌てればいい。そうだ、片桐にすこしおちゃめなイタズラを依頼しよう。)


『片桐』

『なんだ?』

『白鳥、やらかしたぞ』

『・・・。やっぱりな』

『どういうことだよ。何を知っている?』

『先月分の請求書を発効する時に・・・。白鳥さんから相談があると言われて・・・・』

『バックを要求されたか?』

『あぁ』

『金額は、15万』

『ビンゴだな。断ったのだろう?』

『平時だったら良かったけどな。今はまずいだろう』

『そうだな。証拠はあるのか?』

『勿論だ。なんか雰囲気がやばかったから録音してある』

『あとで廻してくれるか?』

『・・・・。わかった。すまんな。真辺』

『いいよ。あぁそれで本題だけどな・・・』


 片桐にお願いしたのは、SIerからのアクセス時には、レンタルサーバ側で、500になるようにするから、何か連絡が有っても知らないと言って欲しいということだ。それで、時間があったら、500と404と301用のページを何か作って欲しいという話をした。あと、白鳥が使っている端末のMACアドレスは解っているから、それはループバックアドレスに飛ばすようにすると説明した。


『ハハハ。そりゃぁ慌てるだろうな』

『あぁまずドメインが取られていて、サイトの表示が出来ていない状況じゃ何も出来ないからな』


 イタズラの話をして電話を切ったら、片桐から音声ファイルが届いた。電話の録音の様だ。


(あぁ終わったな。今外すか・・・?それとも、終わってからにするのがいいのか・・・)


 証拠となる物を、篠原に転送した真辺はサーバを仮置きしている部屋でくつろいでいた。

 小さな問題はでるが、これで大丈夫だと考えていた。終わりが見えてきた。


 この時、オープンに支障がありそうな事は見当たらない。

 残り2週間。問題が発生しなければ、1週間で終わる予定になっている。今が金曜日の午後10時すぎ。このサーバの移転で問題が出ても、この土日でリカバリー出来るだろう。


 すこしだけ仮眠するか・・・。パソコンチェアに座って、足をもう一つの椅子の背もたれにかけながら、動く椅子の上で器用に寝る。


 システム屋は、パイプ椅子を3つ並べて寝られて半人前。キャスタが付いた椅子3つで朝まで落ちないで寝られたら一人前。肘掛けが付いた椅子二つで熟睡できたら独り立ち!


 そんな事を笑いながら話していたのを思い出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る