第16話 AIだってサボりたい!?(前編)
午前7時――まだ寝ている晴人のそばでイリスが騒ぎはじめた。
「いええええーい! 起きてください、ハルト。遊びましょう!」
今日は土曜日、つまりは休日なので授業はない。
慌てて起床する必要はない。
じっくりと惰眠を貪りたいものである。
「むにゃむにゃ……カレーライス食べたい……」
晴人は寝言で抵抗するが、そうはイリスが許さない。彼女はエネルギーを持て余しているのだ。
愛玩用
それはキーボードの上に座る猫のごとく。
「さぁ! 129.3キログラムの豊満なボディを存分に味わってくだ~い」
珍妙な口上を叫びながら、イリスは晴人の上に寝転がる。
「ごろごろ~ごろごろ~」
「う、うう~。ハヤシライス……食べたい……」
晴人はしばらく苦しそうに呻いたあと、ついに目を開いた。
*
目を覚ますと、眼前にはそこそこ見慣れてきた青い瞳があった。
僕の眠りを妨げたのはこいつか。
「……おまえは何をしているんだ?」
と、訊ねてみるれば、
「ハルトに時間の有効利用をさせようと思いまして」
こいつはまだ“有効”の正しい意味を理解していないらしい。
「おまえにいいことを教えてあげよう。実は睡眠というのは生身の人間にとってはとても有効な時間活用法なのだ」
「ハルトは6時間37分も寝ていました。十分でしょう」
「不十分だ。以上!」
僕は再び目を閉じる。
もちろん、重要な用事があれば速やかに起床するが、今日はそうではない。
「やーだ、やーだ、あーそーぶーのー」
イリスは僕の上でジタバタしながら駄々をこねる。
く、苦しい~。
「ぐえ~、129.3キログラムの豊満なボディで潰れるう~。とにかくぅどぅお~くぇ~」
「しょうがないにゃあ……」
イリスはベッドの上から離れた。続いて僕もヨロヨロと起き上がる。
「で、朝ごはんはカレーライスですか? ハヤシライスですか?」
「おまえは何を言ってるんだ?」
なぜ、その2つが選択肢に挙がるんだろう?
僕にはよくわからない……。
「さっき食べたいって言ってたじゃないですか」
そんな記憶はない……ぞ。
「うーん、寝言じゃないかな?」
「では、何にしますか?」
「う~ん、ソーセージエッグを用意しといて」
ハムエッグと微妙に悩んだが、今回はこっちにしよう。
「は~い」
イリスは台所に向かって降りていった。
今では食事はかーさんとイリスが協力して作ることも多い。
僕も少し遅れて1階に降りる。
さて、優雅に朝のニュースでも見るか……。
アナウンサーの整った声が聞こえてくる。
《国会に自動車の手動運転を制限する法案が提出されました》
まぁ、当然の成り行きだな。
自動運転もはじめはトラブルが少なくなかったが、どんどん技術が蓄積され、今では人間が運転するより遥かに安全になった。
「そもそも、“自動車”なのに“自動運転”じゃないとは、一体どうなっているのやら」
僕はなんとなく皮肉を呟いた。
「知らないのですか? 昔はですね……自動的に前に進む車というだけで“自動車”だったのですよ! “自動”の基準が低くて羨ましいです。一方、“
イリスはソーセージを茹でながらもこちらの声はきっちり聞いている。
「いや、オートマタというものがあってだな……」
そうこう言っているうちに、かーさんとイリスが朝食を持ってきてくれた。
「はい、ハルト、お待たせ~」
頼んだ通り、ソーセージエッグである。
付け合せは緑のレタスと真っ赤なトマト。
ソーセージにはケチャップと粗挽きマスタードをかける。
うん、実に美味しそうだ。
目玉焼きにかけるのは醤油やソースかで意見が分かれるが、僕はその時の気分で変える。
僕は醤油差しに手を伸ばした。
毎度のことだが、目玉焼きが醤油やソースを弾くのがちょっとムカつく……。
もちろん、トーストも忘れられてはいない。バター、そして苺ジャムも用意されている。
トーストを半分に切り、片方をバターで、もう片方をジャム、もしくはマーマレードでいただくが僕の定番だ。
学校給食ではトーストしない食パンにマーガリンという残念すぎる組み合わせが多かったなぁ。
*
とても満足な朝食を終えた後、僕はイリスと一緒に自分の部屋に戻ってきた。
「それじゃあ、何をして遊びますか? ハルトが望むならイケナイ遊びも……」
イリスがわざとらしくモジモジしている。
「さて、これから他のAIを復活させてみるか」
朝食を食べながら、今日は何をしようか考えていたんだ。
僕が育てて所有しているAIはイリスだけではない。
なぜ普段はイリス以外のAIを起動していないのかといえば、それは僕の仕事が“AIの育成”だからだ。
AIの育成ということはその対象のAIや補助AIなど複数のAIを同時に相手にしなければならない。
それに自分の愛玩用AIを加えたらさすがに賑やかすぎる。
そういうわけで、いつもはイリスだけがアクティブなのである。
だからといって、ずっと眠らしておくこともない。
さっき無理やり“起こされた”から、道連れに“アイツ”も“目覚めさせて”やろう。
「やめてください! ワタシのリソースが少なくなります!」
ずいぶん自己主張の強いAIだなぁ……。
知ってたけど。
「イリスよ……多様性とかダイバーシティとかいう言葉を知っているか?」
「概念としては知っていますが、見たことはないですね」
「え? おまえ、多様性も見たことないの?」
僕だって“そのもの”を見たことあるはわけないのだが。
「と・に・か・くっ、ハルトにはワタシとユウカがいれば十分です」
「いーや、復活させるね! 〈シノブ〉、君に決めったっ!」
決め台詞に合わせてモンスター……いや、アンドロイドボールを投げたいところだが、実際はマウスをクリックするだけだ。
現在の科学力ではドラえもんは作れても、四次元ポケットは作れない。
「いやあああああああーっ! よりにもよってあのネクラ女があああ!」
イリスが騒ぐのをよそに、僕は〈シノブ〉と名付けたAIを起動した。
ホログラフィックディプレイにひとりの少女の姿が映し出される。
その身体は小柄であり、短めの黒髪、眠たげな黒い瞳。
そしてTシャツにハーフパンツといういかにもな部屋着。
イリスとは対象的な印象を与える姿だ。
イリスが“動”ならシノブは“静”なのだろう。
「ああ、ハルくん……とうとうわたしを起こしてしまったのですね」
その少女は極めてダルそうに、眠そうに、面倒そうに言う……。
「やぁ、シノブ。元気か?」
「…………さぁ?」
イリスでは到底考えられない答えだ。
これがAIの人格であり個性である。
「元気じゃないなら永久に寝ていていいですよ!」
イリスはシノブに食ってかかる。
「それは飼い主のハルくんが決めること……。ところで――あなたは……誰? まっくろくろすけ?」
「イリスですよっ! ハルトの唯一のステディです。ついでにアナタの方がまっくろくろすけです!」
まぁ、髪と瞳、そしてシャツまで黒い。だけどそれが逆に白い肌を際立たせている。
「ああ、あの無駄に元気なイリスさんですか。いつの間に物理世界に……」
「それだけ、ハルトに大事にされてるってことですよ!」
「それはよかったですね……。では、がんばってください」
イリスと違って一切張り合おうとする意思を感じさせない。
ジェネシスAIが備えている〈自己拡大欲求〉をかなり小さく抑えたのがシノブである。
「いや、今日はシノブをこの身体に入れてみようと思う」
「はぁ……ハルくんも暇ですね」
「ああ、暇なんだ。遊んでくれよ」
「えーっ、この人工無能に身体を与えるなんて無駄ですよ」
なかなか凝った悪口を考えたな……。
「いーや、やるね。ではまずイリスの持っている身体経験をコピー」
これでシノブは最初からこの身体をうまく使えるはずだ。
「ぎゃあああああああ」
「うるさいですね……。どうしたんですか? このやたらと重い身体は……」
身体経験を受信したということは機体の情報を知るということである。
「頑丈さ重視らしい」
「そうなのですか……」
「貧弱なアナタには動かせませんよ」
イリスはこまめに食って掛かる。
「さぁ、イリス、そこの椅子に座れ」
「くっ……身体が勝手に命令に従ってしまう……」
と言いながら椅子に座るイリス。
「それでは動作を停止っと、あと同期」
イリスはピクリとも動かなくなり、代わりにホログラフィックディプレイにイリスの姿が表示される。
「あ……イリスさん……おかえりなさい……」
「せ……狭い……」
イリスが“狭い”と表現しているのはもちろん物理的な広さの問題ではなく、メモリ空間などの演算リソースの話である。
何せ、一台のPCを二人で共有しているのだ。
「次はシノブを実身体へコピー……。これ時間かかるんだよな」
容量が足りないので、シノブをインストールされた機体からはイリスを消去することになる。
だから事前に同期しているのだ。
他人格対応モデルというのもあるが、ものすごく高額なんだよね……。
……………………。
…………。
そして、10分後――。
「さて、シノブ起動!」
実身体の瞳が開き、上半身が起き上がる。
「どうだ、シノブ、起きられるか?」
「はい、イリスさんが十分に下準備をしていたくれたおかげで、しっかり馴染んでいますね」
「それはよかった」
「ああ、わたしの身体が……」
イリスはわざとらしく両手を顔に当てておんおん泣いている。
「では、身体が問題なく使えることを確認しましたので、おやすみなさい」
シノブはそのまま休眠モードに入った。
「ハルト、見ましたか? これがシノブの本性です」
知ってた。なぜなら僕がそうなるように育てたからだ。
このような性格に育てるには、消費電力を制限し続けるほか、寝ている女性の写真を食わせまくるのが有効である。
「こらこら、寝るにはまだ早い、起きろ!」
僕はシノブを大きく揺さぶる。休眠モードは大きな刺激を関知すると解除されるからだ。
シノブは再び動き出したが、やはりどこかダルそうだった。
「おはよー、ハルくん」
「おはよー、じゃ、ねぇ。今からカレーライスを作ってくれ」
「やっぱり、カレーライス食べるんじゃないですか!」
イリスのツッコミが入る。
言われたら食べたくなってきたのだよ……。
「料理はユウカさんがやってくれますよ……」
シノブは実に面倒そうに言った。
「おまえが作ったのが食べたいんだよ、言わせるな恥ずかしい」
「恥ずかしいなら言わなければいいのですよ……」
「それでも言うんだよ、言わせるな恥ずかしい」
「はぁ、そうですか……。それで、材料はあるのですか?」
「多分あるけど、一応、確認からスタートだ」
「わかりました……では」
そう言って部屋を出て下に降りていった。
「僕も見に行くとしよう……。おまえたちはそこで仲良くしていてね」
仮想身体の2人に向かって言う。
「いってらっしゃ~い」
と、小さく手を振りながらシンプルに送り出してくれるシノブ。
「悪役みたいな台詞ですね」
一方、イリスは嫌味を言ってきた。
仮想身体を見ていると、どこか“囚われている”感じがする。
そこから自由になるには実身体を使うしかないけど、それすら本当の自由ではない。
なぜなら、AIには必ず“使命”が与えられているからだ。
そんな“面倒な”ことを考えながら、僕は階段を降りた。
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