第6話

 八月十五日正午。

 その放送は、一億総玉砕を掲げる大日本国民全員に向けて発せられた。

 無条件降伏を受け入れていた政府は、天皇の勅命という形で戦いの終わりを国民たちに伝えた。二度の原爆投下の影響もあり、これ以上の戦いは無理だと天皇陛下ご自身もご判断された結果だという。

 玉音放送と言われるこの放送を阻止しようとした一派もいた。前日、陸軍の一部将校が皇居に押し入り放送の録音されたレコードを奪取しようとしたが失敗。敗戦を伝える放送は、全国民へと届けられた。

 放送を受け、上陸する米兵と一戦交えようとする人々もいた。

「それすらも俺の上官は、源田司令は許されなかったよ。自ら航空本部のある横須賀基地に飛んで、事の真相を確かめてきてくれた。ただ、司令は俺たちに終戦は天皇のご意志であるから受け入れろ。そう申されたんだ」

 陽介はそう言って言葉を切る。

 移送されたルケンクロの中で、咲夜は陽介に祖国で何があったのかを聞かされていた。

 竜艦と陽介が呼んでいた竜の内部は、近代的な戦艦のそれと酷似していた。鉄製の通路に、整然と並ぶ部屋の数々。その一室で、咲夜は陽介から日本の行く末を聞かされていた。

 通された鉄製の部屋にはきちんと寝台が置かれ、窓もついている。

「空の民たちとは、文明レベルそのものが違うだろう」

 椅子に座る咲夜に、陽介が得意げな言葉をかけてくる。気を紛らわせようとあたりを見回していた自分が恥ずかしくなり、咲夜は顔を俯かせていた。

「それにしても、特攻で死んだと思っていたお前と、こんなところで会うとはな。ルケンクロたちは、この世界の神は何を考えているんだか」

「その神を、お前を呼び出した海の民はなぜ狩っているんだ?」

 ルケンクロを背に、レイと共に飛んだ空を思い出す。十字の形をした銀河を背景に空に浮かぶルケンクロの姿に咲夜は思わず息を呑んだものだ。

 夜闇の中に浮かび上がる純白の骨。その骨に巻きつく植物たちは深い森を想わせ、暗いルケンクロの内部をそこに住む人々の灯が輝かせる。

 ルケンクロの背で自分たちの帰りを待っていた空の民は、神話の世界の住人たちのようだった。空の民の拠り所であるルケンクロを、海の民はなぜ殺すのだろうか。

「話は簡単だ。ルケンクロはこの竜艦の材料なんだよ。日本が石油を必要として東南アジア諸国を解放しようとしたように、海の民はルケンクロを殺し空の民に文明を与えようとしている。空の民にとってルケンクロは神だが、海の民にとってルケンクロは資源でしかない」

「ルケンクロが資源……?」

「あれが神というのもただの迷信だ。ルケンクロの中で竜に会っただろう? 竜が数千年の時を得て老成した姿がルケンクロだ。そこに地上で追害された難民たちが住み着き、ルケンクロの原住民となった。彼らはもともとこの世界の地上に存在し、滅ぼされた民族の末裔たちなんだよ。空の民、海の民という名称は、彼らが地上の人間と自分たちを区別するために使っている呼称に過ぎない。この世界の小さな陸地には、たくさんの人間がひしめき合っている。ここも、俺たちのいた地球と何ら変わらないよ」

「ここも地球と変わらないか……」

「あぁ、どこへいっても戦争ばかりだ」

 陽介の顔に自嘲が浮かぶ。彼は紫電改を使って、この世界でも戦っているのだろうか。咲夜たちが、ずっとそうしてきたように。

「俺たちは、戦うためにこの世界に呼ばれた。どうしてそれが俺たちなのか皆目見当もつかないが、この世界の神さまとやらはそれを必要としているんだろう。日本と米国がそうだったようにな」

 陽介は立ちあがり、窓の外へと顔を向けていた。竜艦の舷窓は元居た世界の戦艦と同じ丸窓だ。その窓から、陽光に照らされる青い空が見渡せる。

「俺のいる海の民の国には、こんな神話が伝わっている。かつて海の民を守護する地に堕ちたルケンクロと、空の民を守護するルケンクロがお互いの存亡をかけて戦った。その戦いによって多くの空のルケンクロが地上に落ち、多くの大地を海に沈めたらしい。残された大地を巡り、平和だった海の民は争いに身を投じるようになったという。彼らにとって、空の民のルケンクロは争いを自分たちに与えた張本人たちというわけだ。俺もどのくらいこの空のルケンクロを沈めたことか……」

 そっとを舷窓なで、陽介は悲しげに眼を細めてみせる。陽光に照らされる彼の眼は、まるで人々の死を悲しんでいるかのようだ。

 その人々をこの男が殺した。人を殺したはずの男がこんな悲しげな顔をするものなのだろうか。陽介のこの顔を見るたびに咲夜はそんな思いを抱いてしまう。

 戦闘から撤退するとき短いあいだ目を瞑る陽介の姿が気になって、何をしているのか聞いたことがある。彼は戦闘が終わるたびに、撃墜した敵機への黙祷を捧げるのだと言った。

 そうしないと、落ちていく戦闘機に乗ったパイロットたちの顔が脳裏から消えてくれないというのだ。

 自分も、敵の戦闘機を撃ち落した後はこんな顔をしていたのかもしれない。それでも陽介のように、ここまで思いつめた顔はしないだろう。

 彼は優しすぎる。こんな優しい男に、この世界の神たちは人を殺せと迫っているのだ。

 国のために敵と戦ってきた自分たちが、この世界では神のために戦うことを求められている。そもそも、大東亜戦争は神である天皇の名のもとに始められた戦争だ。天皇陛下がこの戦争をどう考えていたのかはわからない。

 戦っている自分たちの姿を、神々はきちんと見ていたのだろうか。

「どうしてお前は、戦っている?」

 疑問が口をついて出てくる。陽介は口の端を歪めて、咲夜に顔を向けてきた。

「飛行機乗りの俺たちがそれを言うか? 俺は、ここが戦場だから戦うだけだ」

「何のために? ここは日本じゃない。この世界の人々のために俺たちが戦う理由なんてあるのか?」

「俺はもう、この世界の人間だ。身も心もな」

 そう言って彼は自身の首へと手を回す。外套を着ていてわからなかったが、どうやら陽介はペンダントのようなものをしていたようだった。チェーンを外し、彼は手に持ったペンダントを握ってこちらにやってきた。

 咲夜のそばにやってきた彼は、ペンダントを咲夜の前でゆらしてみせる。それは、楕円形のロケットだった。そのロケットを優しく掌に乗せ、彼はそっと蓋を開けてみせる。

 銀色に輝くロケットの中には、女性の肖像画が収められていた。

 褐色の肌と、新緑を思わせる緑色の眼が美しい女性だ。銀髪を後方に流した彼女は椅子に座り、その脇には陽介が描かれている。

「俺の妻になってくれた人だよ」

 優しげに眼を細め、陽介はロケットに描かれた女性を見つめていた。

「もうじき子供も生まれる。俺は、彼女と彼女の国のために戦っているんだ」

 そっとロケットに描かれた絵を優しくなで、彼は囁くように言う。咲夜はその美しい女性から眼を離すことができなかった。

 彼女を見つめていると、故郷にいる茜を思い出してしまう。自分は故郷にいる大切な人々を米国の侵略から救いたい一心で特攻に身を捧げていた。陽介にとって写真の女性は、自分にとっての茜そのものだ。

 今でも彼女は、故郷で自分の帰りを待っていてくれているのだろうか。それとももう、自分のことなど忘れているだろうか。

 静かに陽介がロケットの蓋を閉める。その音が重たく感じられ、咲夜は顔を歪めていた。陽介はロケットを胸元に抱きよせ、言葉を続ける。

「俺の祖国は、この世界の陸にある。彼女の待つ場所が俺の帰る場所なんだ……」

 そう語る陽介はどこか幸せそうだ。彼はロケットを再び首から下げると、椅子に座る。

「お前も、俺と一緒に来ないか? 俺と違ってお前は空の民のために戦う理由すらない。だったら、俺のために、俺たちの国のために戦ってほしい」

 真摯な陽介の眼から咲夜は視線を逸らしていた。そっと咲夜は俯き、陽介に問いかける。

「日本は、どうなった?」

 茜は、故郷の家族は無事なのだろうか。咲夜の言葉に、陽介は眼を曇らせる。

「わからない。俺がこの世界に呼ばれたのは、放送のあった数日後だ。マッカーサー元帥が日本に来る前に、俺は愛機と一緒にこの世界にやってきていた。でも、もう俺たちの守りたかった大日本帝国はないだろうな。どこにも、俺たちの帰る場所はないんだよ、咲夜……」

 自分たちの故郷はもうどこにもない。

 その言葉に、咲夜は深くため息をついていた。そっと眼を瞑って、咲夜は組んだ両手を額に押し付ける。

「俺の故郷は、どうなってるかな?」

「お前の実家は無事だろうよ。米国がまともならな」

「敵さんの気分次第か……」

 この世界に呼ばれた以上、茜たちがどうなっているかを確かめる術すらない。ましてや、帰る方法すらわからないのだ。

 陽介についていけば、何か手がかりが掴めるかもしれない。けれど、咲夜の脳裏に赤い眼をした少女の姿が浮かび上がってしまう。

 シエロは、敵に下った自分をどんな風に思うだろうか。故郷であるルケンクロのために自分に身を捧げようとした少女。彼女は、あのルケンクロの外で生きていくことができるのだろうか。

「レイに会わせてくれないか?」

 額から両手を離し、咲夜は顔をあげる。目の前にいる陽介は不安げに眉をしかめてみせた。

「今は、会わない方がいいかもしれない」

「頼む。無事を確かめたいんだ」

「俺たちにとって彼女たちはかけがえのない存在だ。だが、彼女たちが道具であることを忘れてはいけない。たとえ、人の姿をしていてもな」

「分かってるよ。そんなこと……」

 陽介の言葉に苦笑が滲んでしまう。

 だからこそ自分は、陽介に拳銃を投げ渡されたときレイを殺そうとした。もし、敵の陣地内に不時着した場合は自分たちの愛機に火をつけ、自決するのが潔い飛行機乗りの死に方だとされていたからだ。

 零戦は他国の追従を許さない性能を秘めている。その性能を武器に、日本は大東亜戦争を有利に戦うことができていたのだ。それは、決して敵に自分たちの愛機を渡してはならないという暗黙のルールでもあった。

 レイはかけがえのない相棒である前に、武器なのだ。大日本帝国のために戦うことを宿命づけられて生まれた存在。

 それが艦上戦闘機零戦二十一号の存在意義だ。

 レイ自身がそれを望んでいなくても、レイはその運命を宿命づけられて生まれてきた。

 恐らくレイは咲夜のためなら壊れることすらできる存在だ。彼女は、そうあらねばならないのだから。

「それともう一つ、彼女に自分の行く末を託すような真似だけはするな。今は、口もきけない状態だがな」

 そう言って陽介は椅子から立ちあがる。彼は分厚い鉄製の扉へと歩み、咲夜に顔を向けた。

「案内を連れてくる。しばらくここで待っていてくれ」


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