二月十四日の秘薬

仲咲香里

mission1 秘密のレシピ本を入手せよ!

 バレンタイン二日前、二月十二日午後十時三十八分二十五秒。

 あたしは一人、自宅キッチンで感動に打ち震えていた。


 ついに、ついに完成したんだもん。大好きな先輩の為に一ヶ月も前から暗中模索、試行錯誤、一心不乱に作り上げたこの……


 惚れ薬が!


「ふふっ。ふふふふふ……」


 思わず笑いが漏れちゃう。嬉し過ぎて泣きそう。これできっと先輩はあたしのことを好きになる!


「待ってて、千紘ちひろ先輩っ!」


「……ちょっと、何この匂い! 臭っ、いや、甘っ。って、ええっ、何この惨状っ? 今すぐ片付けなさい、一椛いちか!」


 できたてホヤホヤの惚れ薬をお気に入りの雑貨屋さんで買った一つ三百円もする小瓶に入れて頭上に掲げてたあたしに、お母さんの雷が落っこちてきた。


 そりゃ、キッチンは謎の粉末が飛び散って、ボールにザルに計量カップに、お鍋もハサミも包丁も、フラスコとスポイトと試験管なんかも散乱してるから無理もないかもしれないけど。


 そんなことより、ともう一度あたしは手の中の惚れ薬を見つめてみる。


 高さ五センチ程の可愛い植物柄の小瓶の中。容量にして十ミリリットル弱の濃い紫色の液体。

 これをたった数滴口にすれば、最初に見た相手を必ず好きになるってこの本に書いてあった。


「聞いてんの、一椛っ!」って、後ろで般若の顔して怒ってるお母さんに「うん、聞いてるー」って適当に返事をしつつ、あたしは感無量で惚れ薬に頬ずりした。



 **


「ニッシー、杏里あんり、聞いてっ! ついに完成したのっ!」


「おはよ、一椛ー」


 翌朝、大興奮で一年一組の教室に飛び込んだあたしにニッシーこと西嶋にしじま碧人あおとは眠そうにあくびをしながら、杏里こと野村のむら杏里あんりはニッシーの前の席でスマホから顔を上げて同時に挨拶してくれた。


 あたし久野くの一椛いちかと二人は中学二年生の時に同じクラスになって以来の大親友。高校生になった今年、入学式の日に三人一緒に名前が載るクラス表の前で撮った写真はグループラインのアイコンになってる。


「どうしようっ、どうしよう! 見る? 見たいっ? あーっ、でも、どうしよーっっ!」


「一椛、朝からうるせーよ。とりあえず席着けって」


 二人の傍で飛んだり跳ねたり、バタバタしてたらニッシーに怒られた。あたしの席は、いかにもスポーツやってますって感じの明るく元気いっぱいな見た目のニッシーの左隣。事実、サッカー部所属のニッシーのがっしりとした肩を掴んで、それを軸に背中側から回って急いで隣に行く。「おいっ」ってニッシーは何か慌ててるけどそれどころじゃない。


 通学用のリュックを背負ったまま自分の机をニッシーの机にガンっとくっ付けて席に着くと、一瞬ニッシーが目線を逸らせてあたしから腕を引いた。

 ブレザーでもジャージでも今みたいにカーディガン着ててもいつも腕まくりしてるニッシー。そんな避けなくてもいいのに、失礼なやつっ。


「完成したって、まさか例の惚れぐす……っ」


「ダメっ、杏里!」


 あたしたちの方へ体を向けて言い掛けた杏里の口をあたしは急いで両手で塞ぐ。杏里のトレードマークのおだんごが頭頂部でぴょこっと弾む。杏里は軽くクセのあるあたしの髪と違って柔らかいストレートだからなんかもったいない気もする。でも、くりくりっとした目に背の低い小柄な体型。全てのパーツが小さくできてる杏里はリスみたいに可愛いから許す。


「これはトップシークレットだからっ。先輩にバレたら効果無くなるからっ。親友の二人だけに言うんだからねっ!」


「一椛、とりあえず杏里の鼻か口、解放してやれよっ。机タップしてんじゃんっ」


「ぎゃっ、ごめん、杏里!」


 あたしの両手が離れた途端、杏里が咳き込むように息をする。そ、そんなに強く塞いでたつもりはないんだけどっ。


「ていうか、そんなでかい声でトップシークレットも何もねーだろ。そもそもこのクラスで惚れ薬のこと知らないやつなんていないんじゃん?」


「それもそっかー」


 呆れながら言うニッシーの言葉に納得する。だって惚れ薬は、クラスのみんなのお陰で完成したんだから。


「さっきからみんな気にしてないふりして、耳はこっちに集中してるよね」


 呼吸の落ち着いた杏里の一言に、普段どおりそれぞれの時間を過ごしていたクラスメイトたちがギクリと体を揺らして固まった。


 そして最初にあたしたちの元へ来たのは、図書委員兼文芸部員のタナカさん。


「く、久野さん、完成した惚れ薬ってあの本から作ったの?」


「そうだよ。あの本を見つけられのはタナカさんのお陰だよ。本当にありがとう!」


 あたしがお礼を言うと、タナカさんがホッと胸を撫で下ろし笑顔になった。


「まっさか真面目そうなタナカさんが惚れ薬なんて信じて協力してたなんてなー」


「わ、私はただ、久野さんに惚れ薬の作り方が載ってる本なんて図書室にないよって言ったら、年間三百冊本読んでるタナカさんでも知らない本があるんだーって言われて本気になっちゃっただけで……」


 ニッシーに言われ、恥ずかしそうに顔を伏せるタナカさん。


 そう。

 一ヶ月前、バレンタインを機に千紘先輩とどうしても両想いになりたかったあたしはその方法をスマホで調べるうち、惚れ薬にたどり着いた。でも、色んなサイトにそれぞれ色んなことが書いてある。重複することも正反対のことも。そこから必要な情報だけっていうのが苦手なあたしは、もしかして学校の図書室にならって思ったのがきっかけだった。


 だってもうすぐ卒業しちゃう三年の真壁まかべ千紘ちひろ先輩はこの高校一モテるんだもん!


 教室でタナカさんに初めて話した時「惚れ薬なんて魔女が作るか、ふと迷い込んだ路地裏の見慣れない店で謎の人物から既製品をゲットするのが定石でしょうっ」って真面目な顔してファンタジックに諭された。つまり、タナカさんでも知らない本が存在するんだろうなぁって思ったんだった。


「そしたらタナカさん、そんな訳ないじゃない! って、あたしの手を引っ張って何店も本屋さん廻ってくれてね。十店目だったかな? 魔女みたいなおじいちゃんがいる路地裏の古書店の奥でこの本を見つけてくれたんだー」


 リュックからあたしが取り出したのは所々色褪せた黒いハードカバーの『これであのコもゾッコンラブ! 魔女考案ホレGUSURI ver.2』。五円。

 あの時のおじいちゃんの引き笑いとタナカさんのドヤ顔、今でも目に焼き付いてる。


「ゾッコンって何だよ。何回見ても胡散くせー」って呟きながら杏里と一緒に本を覗き込むニッシーをギロリと睨み付けるタナカさん。


「でも、完成したってことはこのヤモリの干物とかヒキガエルとか……一椛、材料として使ったんだよ、ね?」


 惚れ薬の材料一覧を見ていた杏里の確認にクラス中が一瞬で凍り付いた。どの顔も完全に引いてる。ドン引きだ。


「あー、そっか。杏里はあの時、他校の子と遊びに行ってたんだよね。それ、最初ニッシーに相談したんだけど……」


 誰かがゴクリと喉を鳴らす音がした。

 教室に走る緊迫感。


 あの日の衝撃を伝えるべく、あたしは思い出すように口を開いた。


 **


 本を手に入れた翌日の放課後、内容を見たニッシーに「俺に任せてついて来い」って上から言われて、あたしとニッシーは学校の裏山を流れる小川に向かった。

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