第272話 捨兵

「構えぇぇぇ、放てぇぇぇ!」



 ――ブブブンッ! ドドドドドッ



 抜ける様な青空に向けて、無数の矢が放たれて行く。


 弾けたつるが空気自体をふるわせ、それは、兵士達の鎖帷子くさりかたびらまでをもギシギシときしませる。


 始めてその音を聞いた兵士は、あまりの迫力に、思わず首をすくめてしまう事だろう。


 いくさの開始を告げるのは、いつも弓矢の応酬からだ。


 ただ、双方重装歩兵を全面に押し出す会戦の場合、残念ながらその殺傷効果は非常に薄いと言わざるを得ない。


 組織的に構成された兵士団は、相互に張り巡らした盾の中へと身を隠し、降り注ぐ幾多の矢の中を、何事も無かったかの様に突き進んで行くのだ。


 やがて、敵味方、双方の槍が触れ合う距離に到達すると、ようやく矢の雨が止む事に。


 ただ、それでも兵士達がぶつかり合うのは、もう少し先。


 次に繰り出されるのは、軽装歩兵による投槍ピルムだ。


 自軍の兵士達を飛び越え、敵陣目掛けて投げつけられる投槍ピルムは、三十メートル程の距離を飛び、敵側の盾に突き刺さる。


 当然、その貫通力、破壊力は弓矢とは比べ物にならないのは当然。


 ただ、それでも兵士達の持つ盾を完全に貫通し、敵兵を死に至らしめる事は至難の業である。


 では、なぜわざわざ投槍ピルムを行うのか?


 その真の目的は、敵の持つ盾を早期に無効化する事が目的なのである。


 投槍ピルムの重量は、およそ二キログラムから四キログラムと、かなり重い。


 しかも、その全長は二メートル前後もある代物である。


 それが、自分の盾に突き刺さった時の事を考えてみて欲しい。


 とてもそんな盾を持ったまま、戦闘を継続する事など出来ようはずも無い。


 その結果、投槍ピルムの突き刺さった盾は、早期に打ち捨てられる事になり、敵軍はこの後に発生する白兵戦において、防御の術無く戦う羽目になる訳だ。


 こうして敵軍の防御力を削ぎ落し、遂に白兵戦へと突入! となるのだが、帝国軍には更にその次がある。


 何と、重装歩兵集団の後方に位置するベテラン兵達は、腰に小型の鉄弓クロスボウを携えているのだ。


 敵兵が投槍ピルムの突き刺さった盾の重みに耐えかね、防御が甘くなった所を、自軍の兵士達の隙間から、狙いすました様に鉄で出来た短矢を打ち込んで行く。


 至近距離から発射された鉄弓クロスボウの威力は絶大だ。


 長弓の矢尻を跳ね返す鎖帷子くさりかたびらですら難なく貫通。確実に敵兵を死へと誘って行く。


 この時点で、敵前衛が総崩れになるのは必至。


 もう、ここまで来れば、帝国の必勝パターンである。


 最後は、帝国が誇る重装歩兵軍団による白兵戦が炸裂するのだ。


 この白兵戦。


 それは、兵士一人一人が戦う乱戦では無く、隊列を保ったままでの押し合いの様な形態を想像して欲しい。


 最前列の兵士達が頑強な盾を全面に押し立て、敵兵を力尽くで押し込むと、その後方、二列目、三列目に位置する兵士が、最前列の兵士達の間を縫う様にして槍を押し出し、敵兵を突き殺して行くのである。


 それは白兵戦と呼べる様な代物しろものでは無く、既に『狩り』だ。


 いやいや。『狩り』と言うのもおこがましい。


 これは大虐殺ジェノサイドと表現した方が近いかもしれない。


 ただ、百戦錬磨の帝国兵ですら、肉弾戦にくだんせんには特別な恐怖が付き纏う。


 いくら指揮官が突撃を声高に命令し、兵士達のたましいをいかに鼓舞こぶしようとも、先鞭を付けるには、並外れた勇気が必要となるのだ。


 それであればこそ、一番槍は兵士のほまれであり、それをやり遂げた兵士には、後の論功行賞ろんこうこうしょうにおいて、多大な褒賞ほうしょう約束されているのである。



「突撃っ、突撃とつげーき、進めぇぇぇ!」



 声を限りに叫ぶ、帝国軍百人隊長。


 この段階に来れば帝国軍の勝利はほぼ確実、早い場合は白兵戦を待たずして、潰走を始める敵軍も多い。


 ただ、今回は少し様子が違う様だ。


 全面の敵兵を見ると、装備はバラバラ、士気すらも、そう高いとは思えない。


 ただ、その兵士達の目はなぜか病的と思えるほどに血走り、独特な不退転ふたいてんの決意が感じられるのだ。



「エルヴァインよ。お前達のいくさと言うのは、本当に退屈なものだなぁ」



 開戦からはや一時間。


 ようやく前衛の兵士達が、相互に槍を交わし始めた所である。


 この段階になり、ようやく馬上の人となったフレルバータル。


 彼は、隣で刻々と変化する戦況を見つめ、神経をすり減らしているエルヴァインに対し、随分気の抜けた言葉を投げ掛けたものである。



「なっ、何だとっ! これが会戦と言うものなのだ。そんな事より、フレルバータル。我が軍の劣勢は明らか。早く自慢の騎馬軍団で、敵の後方を攪乱してもらおうじゃないかっ」



 思わず声を荒げるエルヴァイン。


 何しろ、この中央突破による作戦を強行に主張したのは、フレルバータル本人なのである。


 しかも、それであれば、中央軍はベルガモンの精鋭を充てるべきだと主張するエルヴァインに対し、前衛には、リヴィディアの徴兵を充てると言って聞かなかったのである。


 終いには、自分の主張が通らないのであれば、このまま帰るとまで言い出す始末。


 もう、とんでもなく我儘わがままなガキである。


 ただ、そうは言っても、その案を採用し、戦術としてまとめたのは彼自身。


 ここで作戦を投げ出し、こんな緒戦の段階で中央部隊が倒れれば、全軍が崩壊するのは、火を見るよりも明らかである。


 今はとにかく、中央部隊のリヴィディア兵を支えねばならないのだ。



「何を言い出すのだエルヴァイン。所詮ヤツらは『捨兵すてへい』だ。精々時間稼ぎをしながら、敵方を焦らしてもらえればそれで良い」



「なっ、何っ、『捨兵すてへい』だとっ? それではどうやって中央突破を図るつもりだ?」



 急に血相を変えて詰め寄るエルヴァイン。



「おいおい、エルヴァイン。お前、本気で中央突破をやろうなんて思ってた訳じゃ無いよな? そんな事、リヴィディアの寄せ集めで、出来るはずが無かろう?」



 言うに事欠いて、とんでもない事を言い出すこの男。



「なっ、何を今更っ。最初に『中央突破する』と言い出したのはお前だろうっ! それに、中央軍は我らベルガモンが担うと言ったのを、最後まで反対したのもお前では無いかっ!」



「はっはっは、本当に素直な男だなぁ、エルヴァイン。俺はそう言う、表裏おもてうらの無い男は好きだぞ。ただ……」



「ただ……? ただ、何だっ!」



「それでは、いくさには勝てんと言う事さ。はっはっはっは!」



 忌々いまいまし気ににらみ付けるエルヴァイン。


 そんな大将軍の事を尻目に、声高々に笑い飛ばすフレルバータル。


 恐らく彼には悪気など全く無く、本気でそう思っているに違いない。


 そう考えると、『表裏が無い』と言う意味では彼も全く負けてはいない。 



銀狼シルバーウルフ、ご報告します」



「うむ」



 背後から掛けられた声に、軽く頷き返すフレルバータル。



「準備が整いました。如何致しましょう」



「うむ。そろそろだな。移動を開始させよ」



「はっ。……それから、もう一点。からの連絡が途絶えました」



 ――ピクッ



 微かに体を震わせるフレルバータル。



「何騎やられた? 場所は?」



「三騎、全滅と思われます。最後に確認したのは、ここから凡そ二十キロ先の地点です」



「そうか。それであれば、そろそろ到着してもおかしくは無いなぁ……。よし、を増やせ、五キロ圏内をくまなくだ。」



「はっ」



 指示を受けた男は馬首を返し、自軍の待機場所へと急ぎ戻って行く。


 やがて、自軍の中から十騎程の騎馬兵が、四方八方へと駆け出して行くのを確認するフレルバータル。



「エルヴァイン、少々予定が狂った。お遊びはここまでだ」



「おっ、おぉ。当然だ、フレルバータル。俺は最初から遊んでなどおらんぞ」



 突然、神妙な面持ちで話始めたフレルバータルに対し、微かな戸惑いを覚えつつも、ようやく本気になってくれた事を素直に喜ぶエルヴァイン。



「そうだな、エルヴァイン。お前はいつも本気だな。そんなお前に、一つ頼みたい事がある」



「そっ、そうか? 任せておけ。何をすれば良い?」



 いつも文句か我儘わがまましか言わないフレルバータル。そんな彼が、珍しく頼み事があると言うではないか。たったそれだけで、少し気分テンションが上がってしまうエルヴァイン。既に一国の大将軍としての威厳の欠片も見当たらない。まぁ、そう言う所が彼の良い点であり、悪い点でもあるのだが。



「まず、先鋒となっているリヴィディア兵だが、ヤツらは俺の言う事を聞かなかった豪族の兵達だ。元々ヤツらは見せしめと時間稼ぎの為に、あの場で全滅してもらうつもりだったのだが……そろそろ限界だろう」



 確かに先鋒として戦っている兵三百。既に三分の一程が打ち取られ、全滅するのも時間の問題と思われる。



「ヤツらには、ここで一歩でも引けば一族郎党皆殺しにすると伝えてある。既に死兵の域に入っているからな。敵の方も手こずっているのだろう。まぁ、バカな指揮官であれば、ヤツらを包囲しようとして隊列を崩すものなのだが……敵の指揮官も一端いっぱしの男と言う事なのだろう。愚直に前進して来るとはな」


「ただ、もう時間が無い。そこでだ、お前達の軍と同列の、第二防衛ラインまで後退させてくれ。死兵となっている部隊を後退させるのは難しいぞ。絶対に潰走させるな。ゆっくり、ゆっくりと後退させるんだ」



「あぁ、分かった。騎馬兵の扱いはお前の方が上手いかもしれんが、歩兵の扱いは絶対に俺の方が上だ。任せておけ」



 自信満々のエルヴァイン。


 そんな彼にフレルバータルは爽やかな笑顔で応じる。


 考えて見れば、まだ若干十八歳の少年である。騎馬兵を指揮する威風堂々たる側面を持ちつつも、こうやって時々、あどけない表情を見せる事もあるのだ。



「そこからが、更にお前の腕の見せ所だ。お前の兵で、帝国軍をいなしつつ、他のリヴィディア兵が待つ、第三防衛ラインまで後退を続けてくれ。まぁ、お前には不本意かも知れんが、帝国軍に押されている感じを出してもらえれば、余計に良いな」



「そっ、そうか。押されている感じを醸し出しつつ……だなっ」



 その後も、何度か小さな声で「醸しつつ……、醸しつつ……」と独り言の様に呟くエルヴァイン。



「あぁ、スマン。正直者のお前にそんな面倒な事を言った俺が悪かった。お前は普通に戦って、普通に押されてくれればそれで良い」



「あっ、あぁ、普通で良いのだな。普通に……、普通に……」



 その様子を見て、半ばあきれ顔のフレルバータル。



「まぁ、そこまで来ても敵が隊列を崩さなければ、今日の所は一旦撤退しよう。お前の言う通り、俺達の軍は混成軍寄せ集めだ。あんな堅い戦い方をされては、手の施し様も無い」



「なっ、何と、逃げるのか?」



「逃げる? 当然だろう。勝てないいくさは、いくさとは言わん。その時は、残りのリヴィディア兵を両翼から突っ込ませ、その隙に国境付近まで撤退しよう。殿しんがりは俺が受け持ってやる。安心して退けばよい。とは言ったものの、まぁ安心しろ。十中八九、このいくさは俺達の勝ちだ。無理に帝国軍と戦おうとはせぬ事だな」



 さも当然とばかりに、そう断言するフレルバータル。



「……あぁ、そうそう」



 何か言い忘れていた事があったのか。


 フレルバータルは、わざわざ馬首を寄せ、伸びあがる様にしてエルヴァインへ顔を寄せると、小声で何かを伝えた様だ。



「なっ、それはまことか?」



 耳打ちされた内容に、驚きの色を隠せないエルヴァイン。



「それでは頼んだぞっ! 俺は自軍を率いて出撃する。ではっ!」



 フレルバータルはそれだけを言い残し、自身が率いる騎馬軍団の方へと風の様に駆け出して行った。

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