第203話 雪上での死闘

 ――ブオッ!



 のぼ雪煙ゆきけむり


 そこは一面の銀世界。


 大刀ロングソードは、てついた朝の冷気れいき無残むざんにも切りいて行く。


 昨夜はかなり吹雪ふぶいていたとは言え、積雪せきせつ自体はさほどでも無く、元々師弟の稽古けいこにより踏み固められていた庭先の足場は、見た目ほどは悪く無い。



 最初に仕掛けたのはアルテミシア。


 大きく踏み込みつつ、下段げだんかまえから切り上げられた渾身こんしんやいばは、師匠ヴァシリオスの眼前でむなしくも空を切る。


 ヴァシリオスは、その太刀筋たちすじ見極みきわめようとでも言うのだろうか? わずかな動きだけで、迫りくる斬撃ざんげきかわしつつ、攻撃の構えを崩す事も無い。


 元々下段げだんかまえは防御ぼうぎょの構えであり、あまり攻撃には向いていないと言われているのだが。



 まだ彼女が幼い頃。


 いくら教えても攻撃を主体とする上段じょうだんかまえを崩す事無く、常に一撃必殺を『了』とする彼女。


 そんな彼女が防御にてっした構えを取るとは、いったいどう言う心境の変化なのか?



 ――ブオッ! ブオッ!



 続けざまに二度。


 アルテミシア渾身の切り上げが、師匠ヴァシリオスの胸元へとおそい掛かる。


 最初の一撃で、ほぼ彼女の太刀筋たちすじを見切った師匠ヴァシリオス


 既にかわすまでもなく、赤龍の穂先で軽くなし始める。



「その様な大振り、ワシにはかすりも……うぉっ!」



 右下段から切り上げられた刃は、師匠ヴァシリオスの目線の高さ、視界ギリギリの所で急停止したかと思うと、あり得ない速度で反転。彼の首筋目掛けて殺到したのである。



 ――……フォンッ!



 恐ろしいまでの風切かざきり音が、師の喉元のどもと通過する。



「うくっ!」



 けた……と言うよりは、無意識にした……とでも言うのだろうか。


 咄嗟とっさあごを上げ、上体をそらす事で、コンマ数ミリ、その狂刃きょうじんかわしきった。


 ただ、高速で移動するつるぎにより派生した空気のやいばが、彼の首元へ一条いちじょう血痕けっこんを残す。



流石さすがはお師匠様。わたくし渾身こんしん一撃いちげき、おけになりますか」



 いまだ残心ざんしんを保つ彼女。


 大刀ロングソードは、両手剣りょうてけんと呼ばれる武器の一種で、諸刃もろはつるぎとして両辺にやいばが付いている。


 しかし、実際の戦闘場面において、チェーンメイルや甲冑を着こんだ兵士を一刀いっとうもと切断せつだんできるのか? と、問われれば、その答えは『いな』と言わざるを得ない。


 その為、大刀ロングソードは、相手を切る……と言うよりは、その質量しつりょう運動慣性うんどうかんせいモーメントを最大限に使い、相手を殴打おうだし、戦闘不能とする事に主眼が置かれた武器なのである。


 その重い大刀ロングソードを急停止させ、あまつさえ、逆方向へりにするなど、尋常じんじょう沙汰さたでは無い。


 強靭きょうじんな筋力と、たゆまない日々の鍛錬たんれん


 それらが合わさって、初めてわざと言えるだろう。



「ふんっ、言わせておこう」



 彼は額に薄っすらと脂汗が浮かび上がるのを感じつつ、改めて赤龍を構え直した。



 そして、自分自身に問いかける。


 今の太刀筋たちすじを自分は再現できるのか? と。


 しかし、その答えは見つからない。


 少なくとも今は無理だ。それでは、全盛期の自分であれば?


 それでも難しいかもしれない。


 最近はおとろえる筋力を補う様に、小技に走るきらいがある。


 久しぶりに見る、己の膂力りょりょくを最大限に活かした攻撃。


 そのいさぎよくもあでやかな剣舞けんぶに、胸のすく様な想いが込み上げて来る。


 今一度。


 今一度、己の膂力りょりょくに、そして、己の技能の全てを掛けた、全力の戦いがしてみたい。


 彼の中で、その想いが爆発的に膨れ上がって行くのを止める事ができない。



 ――ハラリ。



「くっ!」



 一種、余裕の表情を見せていた彼女アルテミシア


 しかし、静かに地面へと舞い落ちる切片せっぺんを視界に捉えると、その表情は一瞬にしててついた物に。


 それもそのはず。


 彼女の上腿じょうたいを覆っていたはずの前垂まえだれの一部が、本人も気付かないうちに切断されていたのである。


 恐らく、彼女の出足であしを狙っての一撃が、鎧をかすめたと言う事なのだろう。


 確かにもう半歩、彼女の踏み込みが深ければ、大刀ロングソードは師の喉笛のどぶえを掻っ切る事に成功したのかもしれない。


 しかし、その場合、彼女の出足自体、鎧ともども、両断されていてもおかしくは無かったのである。


 どちらが早かったのか?


 今となってはもう分からない。


 複雑な想いを胸に、一旦距離を取る二人。


 雪上での師弟間での死闘。


 それぞれの思惑おもわくを胸に、その戦いはまだ始まったばかりであった。

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