第120話 施しと対価

「それで、僕は、毎日この時間に施し物スポルトゥラをもらいに来るから、その時にココで会う事にしよう。いいね」



 この世界の貴族達には、己の権勢を世に知らしめる為、被護者クリエンテスと呼ばれる人々に対して、施しを行う習慣があった。


 この施し物スポルトゥラは、早朝、権力者が公務へと向かう前に、その屋敷へ表敬訪問に訪れた者達に対して行われるもので、主人自らが訪問者に対して食べ物などが入ったかごや、小銭等を手土産として配ってくれるのだ。


 その為、早朝から門の前には、大勢の被護者クリエンテスが列をなして並んでいると言う訳だ。


 特に、北街区と呼ばれるエレトリアの北西に位置する一角には、マロネイア家に所縁のある人達が多く暮らしており、この街区から最も近い北門(裏門)には、ここに住む比較的低所得者層の者達が集まってくる。


 もちろん、その家の主人と面会できると言う、非常に貴重な機会である。


 施し物スポルトゥラを受け取る為だけで無く、各種商談や、投資の依頼など、多種多様な陳情を受け付ける場ともなっており、大貴族であるマロネイア家への表敬訪問ともなれば、他の貴族や豪商なども、列をなしてやって来る。


 ただ、これら位の高い面々は、正門と呼ばれる南門の方へと訪れる事が多い。


 当然アゲロスも、これらの訪問者全員に面会する訳では無い。特に北門に集まる被護者クリエンテスに対しては、北門の守衛がその代行を行っているのが実情だ。


 そんな中、の一件以来、北門の守衛達と顔見知りになったルーカスは、比較的簡単に入れてもらえる様になったと言う訳だ。



「うん。そうしよっ! それじゃ、毎日ルーカスに会えるんだね」



 満面の笑みで喜びを表すミランダ。


 ルーカスの方も、自分に会えると言うだけで、こんなにも喜んでくれる彼女に、思わず顔面が緩みっぱなしだ。



「えへへ。うん。そう言う事になるねぇ。えへへ」



「でもルーカスゥ、もしこの時間に来れなかったら? どうすれば良い?」



 桜色に輝く彼女の頬に添えられた人差し指がとっても愛らしい。ルーカスは彼女のこのポーズが大のお気に入り。



「えへへ。うぅんと、そうだなぁ。……そうだ! このテーブルの下に、こうやって、小石を置いたり、少し砂を撒いてから、伝言を書いたりしておくよ。 あぁ、ミランダは文字は読める?」



 ルーカスは、『伝言を書く』と言う言葉を出した所で、ちょっと『しまった!』と言う表情。もしかしたら、また彼女の機嫌を損ねるのでは無いかと不安になったのだが、彼女の返事は意外なものだった。



「うん、ちょっぴりだけど、読めるよ」


「へぇぇ、凄いねえっ。どこで習ったの?」



 この世界の識字率は恐ろしく低い。ましてや、一般市民の子弟が文字を読めると言うのは、非常に珍しいと言わざるを得ない。



「えへへへ。そう? すごい? 実はねぇ、パパが色々物知りでね。お家に本とかいっぱいあってぇ、私はお姉ちゃんに文字を教わったの」


「へぇぇ。良いお姉ちゃんだね」


「うん、そうなんだよ。最高のお姉ちゃんなんだよっ!」



 自分が褒められた事以上に姉が褒められた事を喜ぶミランダ。ルーカスはそんな彼女の姿に、より一層心惹かれるものを感じてしまう。



「えぇっと、それからね、今日の施し物スポルトゥラで、黒パン貰ったんだ。きっと、メイドさんって、あんまり沢山ご飯食べられないんだろ?」



「えっ……うん」



 メイドはメイドでも、現時点では特別扱いを受けているミランダ姉妹。特に働く事もしなければ、食事も十分に与えられていた。


 ただ、ルーカスの話の流れから、彼は自分に対してこの黒パンをくれようとしている事になんとなく気付いたミランダは、思わず返答を濁らせてしまう。



「えへへ。それじゃ、この黒パン、半分こしよっか?」



「……」



 やはりそうだ。ルーカスの気持ちはとても嬉しい。彼女にしてみれば、十分に食べている自分が、この黒パンを貰ってしまうのは非常に気が引ける。


 しかもだ。確かルーカスは孤児院にいると言っていた。裕福な環境で無い事は、さすがの彼女でも想像ができる。


 自分が住んでいた南方大陸の港町でも、浮浪少年を何度も見かけた事がある。その時の彼らは黒パン一つを奪い合い、殴り合いの喧嘩までしていたのだ。


 いくらエレトリアの街全体が裕福であるとはいえ、大切な今日の糧となる食糧を他人に分け与えるなど、並大抵の事とは思えない。



「えっ? 半分こじゃ……あぁ、そうか。お姉ちゃんもいるもんね」


「……この黒パン、全部あげるよ。お姉ちゃんと半分こにしてあげて」



 急に黙り込むミランダ。その様子を見たルーカスは、彼女が姉の事を気に掛けたのだと勘違い。その黒パンを全部くれると言い出したのだ。流石にそれはダメだ。



「えっ、ううん。ルーカス。そうじゃないの」


「あぁ、大丈夫、ダイジョブ。僕、沢山食べて来たから」



 ルーカスは絶対に嘘をついている。


 ただ、彼のその優しさから来る『やせ我慢』を、彼のプライドを傷つけずに上手く断る術をミランダはまだ知らなかった。



「……」


「……ルーカスって、どうして私にこんなに優しいの?」



 俯いたままで、呟く様に語り掛けて来るミランダ。



「えぇっ、そりゃあ……どうしてって言われてもぉ。……うん。僕がそうしたいから。そう。ただそれだけだよ!」



 急に俯いてしまった彼女。


 そんな彼女を励まそうと元気よく答えてはみたものの、彼の言葉は俯く彼女を元気づける事なく素通りしてしまう。



「……でも、私、何にもお返し、してあげられないよ?」



「何言ってるんだよ。ミランダはそんな事気にしなくて良いんだよ」



 少年の方も、上手く自分の気持ちを説明できない。どうすれば彼女に納得してもらえるのだろう。



「でも、パパやママに言われたの。誰かから恩を受けたら、ちゃんとお返ししなさいって……」



「……良いパパとママだったんだね」



「……うん」



「……」



 ルーカスは彼女がまだ船にいた時、エレトリアへ連れて来られた経緯いきさつについておおよそ聞いてはいた。


 戦争孤児である自分にも両親はいない。ただ、彼女の場合は最愛の両親が目の前で斬殺されているのだ。自分とは根本的に違う。しかも、故郷から遠く離れたこの土地で、今まさに性奴隷として売られようとしているのだ。


 そんな不安で一杯の彼女が、たとえ大人だとは言え、何の力も無さそうな一介の若造の言葉をまともに信用しろと言う方が無理な話だ。


 少なくとも施しでは無く、何らかの対価をもって対等な関係を築きたい……との想いが彼女の中にあるのだろう。


 少年もおぼろげながらにそんな彼女の気持ちを感じながらも、本当の彼女の気持ちを慮るには、まだまだ若すぎた。



「えぇっ、ミランダッ! ちょっ、ちょっと待って、えっ! ダメだよ!」



 突然、彼女は自分のストラの裾を摘まむと、自分の顔を隠す様に持ち上げたのだ。


 テーブルの上に腰かけた彼女。胸元近くまで持ち上げられたストラの下からは、白磁を思わせる彼女の白い腹部が見えている。


 ただ、彼女の顔はストラを摘まんだ両手で覆い隠され、その表情を見る事はできなかった。

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