第110話 エルフの呪い(前編)

「いやいや、これは異な事を。この様な秘め事、女性の方から申し上げる事など、出来ようはずも御座いませぬ。さも当然な事に御座いますれば……」



 サクラ彼女からの氷の様に冷たい視線に晒されながらも、動揺する事無く言い返すアエティオス。



「ふんっ、いけしゃあしゃあとっ! よう舌の回る男よ。雄弁な男は好まれようが、おしゃべりな男は好まれぬぞ!」



 サクラ彼女は、そんな彼の行動を一喝。


 しかし、それに負けじとアエティオスの弁舌は尚も続いた。



「恐れながら申し上げます、サクラ様。私は好いた女がただ一人、私だけを見ていてくれさえすればそれで良いのでございます。何も大勢の女に好かれようなど露ほどにも思った事はございませぬ」


「私の真実の愛はただ一つ。テオドラにのみ注がれるものに御座います」


「それに、女神様とは意思の繋がったこの今の状態で、私が嘘など申し上げる事ができましょうや? いや、出来ませぬ。そんな私の真実の想いを是非、お汲み取り頂きたく存じます」



 『立て板に水』とはこの事か。次から次へと言い訳が湧き出して来るアエティオスに、少々押され気味の女神様。



「うぅぅむっ。そっ、そうか……。お前はそこまでテオドラの事を愛していると申すか?」



「はい。その通りにございます!」



 アエティオスの返答に迷いは無い。即答である。



「うぅぅむ……そうか……」



 まだ眉尻を上げたままのサクラ彼女だが、何となくアエティオスに押し切られる様な形で、その内容言い訳を受け入れてしまう。



「ご理解頂けて、恐悦至極に存じます」



 逆にアエティオスの方はと言うと、もちろん表情こそ動かぬものの、声のトーンには安堵した雰囲気が多分に含まれている様だ。



「……」



 その後、無言のまま再び上空へと舞い上がるサクラ彼女。ただ、彼女の瞳からは、氷の様な眼差しが消えた訳では無い。


 そしてもう一度、ゆっくりとアエティオスに向かって話し始めたのだ。



「うむ……分かった……」


「お前が大嘘つきであると言う事が、よぅぅぅ分かった」



「えっ?……今何と?」



 突然のサクラ彼女の言葉に驚きを隠せないアエティオス。



「先ほど、テオドラに確認した際、テオドラはお前がかなりの優男女たらしであると嘆いておったわ」



 サクラ彼女の声のトーンは低く、彼女の『怒り』がヒシヒシと伝わって来る。



「えぇっ! テオドラが……で御座いますか?」



 この後に及んでも白を切り通す。鋼のメンタルを持つアエティオス。



「私に嘘が通じるとでも思うたか!」


「もしや? とは思い、他数人の兵士にも確認したが、一様に、お前が優男女たらしであると申しておったわっ!」


「しかも、しかもじゃ。誰彼だれかれ構わず年頃の娘を口説き落としてみては、社交界や、花柳界に浮名を流しておると言う事では無いかっ!」



「えぇっ! いやっ、それは! 処々の事情が……」



 流石に一般の兵士にまで事情徴収するとは少々反則では?! との想いがよぎる。



「えぇぇい、この戯けめ! 女神を侮るで無いっ!」



 流石に我慢できなくなったサクラ彼女は、大声を上げてアエティオスを叱り飛ばす。



 ……はうはうはう!



「この様な大嘘つきには『呪い』を与えねばならんのぉ」



 先ほどの激高モードから一転、獲物を甚振る猛獣の様な目つきをする女神様。



 ――ゴクリ。



 そんな彼女に見据えられ、恐怖心と好奇心、そしてが綯交ぜになるアエティオス。この後に起こるであろう『何か』に期待して、思わず生唾を飲み込んでしまう。


 意外とこの男、マゾの気があるのかもしれない。



「お前の様な優男女たらしの所にテオドラを置いておくのは、本当に気が進まぬが……テオドラ本人も離れたく無いと申すでな」


「しかし……いったい、こんな間抜けの何処が良いのか? さっぱりわからぬ……」



 サクラ彼女は呆れた様に大きく首を左右に振ると、その細く長い人差し指を、身動きの取れないアエティオスへと指し向けたのだ。



 すると突然、アエティオスの体が淡く光り輝き出したではないか。



 ――パァァァッ。



「お前に二つの『呪い』を与えた」


「この『呪い』は、テオドラを幸せにするまでその身に宿り、災難となってお前に降りかかろうぞ」


「更にっ! さらにじゃ。もしテオドラを泣かせる様な事があれば、私が直々に手を下してくれる故、覚悟せよっ!」



 サクラ彼女の表情は険しく、全くの言い訳を受け付けぬ威厳を持ったものであった。しかし、それでもアエティオスは彼女に向かって呼びかける。



「……女神様っ!」



「えぇぇい。話しかけるなっ。虫唾が走る!」



 サクラ彼女はそう告げると、その姿は徐々に背後の闇へと吸い込まれる様に消えて行く。



「ゆめゆめ……、ゆめゆめ、私との約束、忘れるなよ……」



 ――キィィィン



 一瞬の金属音の後、全ての景色は、青白い月光に照らされた普段通りの世界へと舞い戻る事となる。



 ――ドサッ



 茫然とするアエティオスの隣で、テオドラは膝を折る様にしてその場にへたり込んでしまった。



「テオドラッ! 大丈夫か、テオドラッ!」



 そんなテオドラを気遣い、彼女の元へと駆け寄るアエティオス。


 彼はテオドラ彼女の横で片膝を付くと、その様子を覗き込む様にして確かめてみる。



「……あぁ、アエティオス様、よくぞご無事で……」



「うむ。魔道を少々使い過ぎたのであろう、このまま休むが良い」



 確かに意識はある様だ。


 テオドラの無事を確認し、ようやく肩の荷が下りた様な感覚に、思わず笑みがこぼれる。



「いっ、いえ、そう言う訳には……それよりも、魔獣は? 魔獣は如何あいなりました?」



 テオドラのその言葉を聞き、ようやく周囲を見渡してみるアエティオス。



「うむ。女神サクラ様は、約束を守って下さった様だな……」



 先ほどまで空中に浮かんでいたはずの黒い玉ヘルファイアは綺麗さっぱり消失し、更には魔獣が押し込められていたその場所には、大量の血痕の上に大小様々なが散乱していた。


 しかも、魔獣の雷撃を受け、瀕死の重傷を負って魔獣の脇に打ち捨てられていたはずの兵士達も、恐る恐る駆け寄って来た他の兵士達に順次助け起こされると、完全に消えてしまった自身の傷痕を訝し気に確かめている様だ。



「まぁ、少ないとは言えあれだけの骨が残っておれば、マロネイア様にも言い訳が立つと言うもの……まぁこれが『誰の何の骨』か? までは分からぬがな」


「よし、もう十分兵士達は魔獣のなれの果てを目撃した事だろう。後はテオドラお前の力で全て土に返してしまえ」



 魔獣のらしきものを取り囲み、槍の先でつつくなどしていた兵士達を遠目で眺めながら、アエティオスはテオドラへと指示を下した。



「……はい。かしこまりました」



 テオドラは、そう返事を返すが、いまだその場にへたり込んだままだ。



「うむ。立てるか?」



「あっ、ありがとうございます」



 そんなテオドラへ、そっと右手を差し出すアエティオス。


 そして、アエティオスから差し出された右手を掴もうと、自らの右手を差し出すテオドラ。


 しかし、その手はアエティオスの手を握る直前で静止する。



「……アエティオス様、それは……」



 テオドラの表情はフードの奥に隠れ、決して見る事は出来ない。


 しかし、その切迫した様子は、アエティオスにも十分に感じ取れるものであった。

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