第93話 大峡谷へのダイブ

「ささっ、皇子様っ。もう一っ献!」



 ダニエラさんがとてもうれしそうにほほ笑みながら、大人の色気全開で俺にお酒を勧めて来るんだ。


 自分でもかなり飲んでいる様子で、頬だけで無く、鎖骨から胸元まできれいな桜色だ。



 元々色白な人が飲むと、本当にキレイな桜色に染まるんだよなぁ。えへへへ。



 エレトリアはちょうど初夏を過ぎた頃。その気候に合わせて薄手のストラを身にまとったダニエラさんは、スレンダーなボディとは言え、それは身長180cmに比例してと言う意味で、実際となりに座ってみると、その肉感的な肢体はとても正視する事ができないぐらい超ハイスペックだ。



「あっあぁ、ありがと。ダニエラさん」



 今はダニエラさんに色々と食べさせてもらっているんだけど、ついさっきまでリーティアに沢山食べさせてもらっていたもんだから、そんなに沢山食べられる訳が無い。


 かと言って、ダニエラさんの勧めを断ると、ダニエラさんがもの凄く……そう、この世の終わりの様な悲しい顔をするので、とても断る事ができない。


 もうダニエラさんの言われるがままに、飲み食いする羽目に陥ってしまった俺。


 しっかし、他人に飲ませてもらう酒の回る事、回る事! やっべぇなぁ。酔いつぶれるとかじゃなくって、俺の『理性』の方が先に飛びそうだ。


 何しろあと数十センチ顔を下にさげるだけで、ダニエラさんの魅惑的な大峡谷ボディにダイブする事が出来るんだからね。


 残念ながら俺は人生で一度もバンジージャンプを経験した事が無い。


 しかし、このバンジージャンプであれば是非とも経験したい。


 ……いいや違うな。今回の場合、バンジージャンプの様にゴム紐付けて元の位置に戻って来てしまう様では、本来の目的を達成する事ができない。俺は飛ぶ事自体が目的ではないんだ。そう、あの峡谷の先にあるフワフワ・モフモフ・スベスベしたあの『ふっくらマシュマロ』に直接ダイブする事こそが俺の最大の目的なんだっ!


 と言う事は……こっこれはバンジーでは無い! ……と言う事かっ? そうなんだなっ!



 うーん。しばし記憶を紐解く俺。



 おぉっ! 思い出した。確かデンマークの遊園地にヒモ無しバンジージャンプがあったはずだ!


 そう、それだ!


 俺はただ自分の意思で、俺を繋ぎとめる理性と言うヒモを断ち切り、あとは重力に任せて自由落下すれば良い。g=9.8[m/s2]の重力加速度を加えられた俺の頭部は、わずか0.2秒後には彼女の偉大なる峡谷、そしてその本丸である『ふっくらマシュマロ』へとダイブする事ができるのだ。そう、それはもうバンジーでは無い。そう、あえて、あえてその行動に名前を付けるなら……。



「恋の自由落下っ!」



 もう俺を縛り付けるものは何も無い。さぁ、俺を縛る理性を断ち切るんだ。そうさ、お前は自由だ。もう誰に止める事も、止める権利もない。一度理性のヒモを断ち切れさえすれば、後は重力が。そうお前の意思とは関係ない『重力』が何とかしてくれるんだ。イッツ オートマチック!!


 俺は決めた。


 今が楽しければもうどうでも良い。とりあえずダイブしてみてからその後の事は考えよう。何しろ俺は皇子様だ。何とかなる。そう、俺なら何とでもして見せる!



 決心した後の俺の行動は早かった。


 おれは飲みすぎたていを装い、あたかも急激な眠気がさそって来たかの様にゆっくりと目を閉じて、そのまま体を左にゆっくりと倒れ込ませて行ったんだ。


 もちろん、着地地点は非常に重要だ。目を閉じた様に見せかけてはいるけれど、その実、外部からは判別しがたいレベルで薄っすらと開けた目は確実に彼女の大峡谷ターゲットをロックオン。


 某国産小惑星探査機もかくや、と言う微妙な方向修正を加えつつ、重力に身を任せてダイブを続けて行く。


 俺はその時、俺の周りから全ての音が消え去り、まるでスローモーションの様にあたりを俯瞰する事ができる様になったんだ。


 あぁ、これが噂の達人の域に達したもののみが感じられる、『タキサイキア現象』と言うやつか……。


 俺もついにこの分野での達人と化したと言う事なのだろう。ここは素直に喜ぶべきところだが、今はそれどころではない。



 コマ送りの様に見える俺の視界には、ダニエラさんの大峡谷がゆっくりと近づいて来る。


 更に近づけば近づくほど、彼女のその圧倒的な存在感が俺に迫って来るのだ。



 俺は本当にこのスピードでこの峡谷に突入して大丈夫なのか? いや、大丈夫。大丈夫だ。大丈夫に決まっている。あの双璧はきっと俺を優しく抱きしめてくれるだろう。そう。やさしく、やさしく……。



 ――ガッ!



「ええっ!」



 あと数センチでスーパー『ふわふわマシュマロ』に到着するその直前、俺の両肩を誰かがガッシリと捕まえる。しかし、俺の首から上だけは重量に逆らう事ができず、そのまま大峡谷へのダイブを継続。


 なっ何者かが俺の行動を阻止しやがったっ!


 しかし本体は止められても首から上はすぐには止まらない。このままミッションは続行だ。第一ロケットはもう使えないが、頭部の第二ロケットによる重力降下は継続。なんだったら首の筋肉の力を加えてでも、更に頭部を加速させるんだっ!



 ――パシッ!



「……くっつ!」



 ――パシッ!……パシッ! パシッ!



 あと一センチ! と言う所で俺の頭部に急ブレーキを掛けるべく、更に四本の手が差し伸べられる。



「皇子様、危のうございます。少し飲み過ぎられましたね」


「皇子様、見え見えですよ」


「皇子様、お水でもお持ちしましょうか?」



 くっつ、ダニエラ親衛隊の侍女達かっ!


 俺の計画は、あと一歩と言う所で、ダニエラさんの後ろに控える侍女達の手によって阻止されてしまった。



「皇子様……」



 侍女三人、合計六本の腕でがんじがらめの状態になった俺に、ダニエラさんが妖艶な微笑みを投げかけて来る。



「皇子様。ここは人目がございます。私はどこにも参りませんよっ。湯あみの後、先ほどお約束しました通り夜伽に参ります。それまでは何卒ご辛抱下さいませっ」



 そう話すダニエラさんは、俺に食べさせていた左手の指先をちょっと舐めると、その人差し指で俺の鼻の頭を『ちょん』と触る。



「はうはうはう!」



 もう辛抱たまらーん!


 侍女達の手にガッチリ支えられたまま、俺は力なく自分のソファーに崩れ落ちてしまったのさ。

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