第四話〈壁外街のリビングデッド》

 あっという間に時間は回っていた。外は気づけば眠気を誘う暖かな夕焼けに染まっている。

 夕食は食べなかった。空腹の感覚もなければ味覚もないようで食という人生の楽しみの一つを異世界によって一つ奪われたことに絶望しながら、ミチカは階段を上ってゆく。いくら相対的に見てきれいと言えども、絶対的な古さ相応に一歩一歩軋む音が階段を登る足音を彩った。

 ぼーっと考えながら階段を登るうちにミチカは心の中の神近淳士が薄れ、段々と心が体に寄りなんだか幼くなっていることにふと気がつく。それはそれで若返りなんてミチカにとって得しか無いから、大した問題とは思えなかった。

 なんやかんやあってやっと一人落ち着いたはいいけど、


「俺これからどうなるんだ……」

 

 ミチカは生暖かいため息をもらしす。まず何の見通しも立っていないし、異世界生活と普通に人間なら割り切れるけど、今の人間から見たら魔物に見える石像ときた。とするとやるべきことはまず自分がこうなった経緯を探すことか、ミチカは言葉を口から出さず心の奥で唱える。

 階段を登りきり廊下を眺める。そこで彼は大きな問題に直面した。


「そんで、奥ってどっちの部屋だよ」


 ミチカは呆れ顔を浮かべる。奥の部屋を使っていいと言われ二階へ登ってきたのだが、二階には手前の部屋も奥の部屋も左右にそれぞれあったのだ。扉には名札も下げてなければどれも似たり寄ったりで、見分けるすべが見当たらない。

 住んでいるのはフォルナとルゼルとナナの三人なはず。片方が誰かの部屋の可能性もあれば、フォルナと赤毛が二人で一つの部屋を使用と考えるとどちらも空き部屋ということもあり得た。

 ここでじっくり状況を判断しても良いのだが、感というのはこういう時に使うものと安易な考えも唸ってしまうのだ。結果は後者が勝った。


「おはよう! 今日の寝床!」


 ミチカは右奥の扉を勢いよく開ける。あまりにすばやく動かしたから右腕にどっと疲れが来た。やはり扱いのよくわからない体だと思いながら、力を抜いたが腕は下がらないそのままに。

 立て付けが悪く、途中で扉は反対側に誰かがいるかのようにピタリと止まった。扉は耳障りな悲鳴を上げ頭がかき回されるような錯覚に陥る。

 その先にあったのは誰も使っていなさそうで、埃で薄鼠色に染め上げられた部屋。部屋の中から薄鼠色が巻き上げられ這い出てきて、ミチカの足元が少し染められた。ようは汚い。

 急な客なわけで部屋が用意がされているはずもなくここだと考えるのが妥当なのだろうとミチカは思った。だが入った途端に気分が悪くなりそうな嫌な匂いが漂ってくると、石の体がどういう反応を示すかはさておき居心地が良いとは思えなかった。

 こうも汚いとこの部屋はハズレでもう片方がアタリと考えたくなるのは至って当然。ミチカは自分を正当化し、気づけばもう既に反対の扉の前に立っていた。汚くても仕方がない。だが心の何処かにいるきれいな部屋で寝たいという願望がミチカを突き動かしている。

 恐る恐る手がドアノブに伸びてゆく。扉をゆっくりと開けていく。


 左の部屋は当然のように暗く、


「怖っ!」

 ――ミチカはすぐにバタンと扉を閉じた。部屋からは塵一つ舞わず、静寂たる様子。冷静な思考は奪われ眼の前の出来事に意識がのめり込んだ。

 部屋は真っ暗で、その奥に一人の幼女が弱々しく座り込み本を読んでいたのだ。

 また幼女、そしてまた読書。足し算のデジャブに若干苦笑い。

 幼女は扉を開けた時に差し込んだ光で人形のように青白く照らされ、光の灯っていない瞳を真っ直ぐに本へと向けていた。ホラー映画でも見ているかのような気分になった。

 とりあえずミチカはすぐに分かった。さっきの部屋はアタリの部屋だ。


「だれ?」


 部屋の中から小さく声が聞こえてくる。寂しげな声はいっそう不気味だった。しかし紹介がなかったのはおかしいが、もうひとりこの家に住む人がいるということもあり得る。そう考えると、急に扉を締めてしまったのはなんだか申し訳なくなってしまった。

 大きな声では言えないがRPG感覚でいうと新イベント発生という期待も脳裏には浮かんでいる。

 ミチカは怖いもの見たさで意を決しもう一度、扉を開けた。


「えーと、部屋間違えたかな……」

「……」


 彼女は床に座ったまま、冷たく平坦な声でなにかつぶやいてた。しかしはっきりとは聞き取れない。よく見直しても部屋には照明は愚か家具一つない人が住むには不自然すぎる部屋だった。


「こんなところで何してるんだ?」


 ミチカは鍋つゆもびっくりなストレートで疑問をぶつける。


「本を読んでるの」


 明らかな怪しさを漂わせているものの、寂しげな声はミチカを放っておけないといった気持ちにさせる不思議な力があった。湿ったようで喉のあたりをぐっと苦しく感じさせるようなそんな切ない声。ミチカは無意識に彼女に歩み寄っていく。


「おねえちゃん? は何しに来たの?」


 おねえちゃんと言われたミチカは少々困惑した。鏡なんかは未だ見れていないから自分の容姿は確認できていなかったが、石ということをおいておけば少女に見えるのだろう。暗くて石ということはよく見えず言っているのかもしれない。ここでミチカの悪戯な心が、子供相手に踊りだす。


「おねえちゃん、と甘く見たな? でもでも中身はな~んとおじさんだぞ」

「じゃあおじねえちゃんさんは何しに来たの?」


 混ざった。予想の反応の斜め上をいっていた。ほんとに? などと疑ってくれて変な人だと思われてついには笑って本日二度目のきもーいを期待していたのだ。しかしこの相手、一筋縄ではいかないらしい。


「ちょっと探検かな?」


 言ったあとになって気づいたが不審者感が半端ない言い訳だった。ミチカは照れ隠しのように自分の頭を触ると、サラサラとした髪が柔らかな指の間をくぐり抜けていく。その当然のようで異常な感触にミチカ自分の手を疑った。何度も触ってみる。オマケに自分の体の感触も確かめた。しかしそれはいくら触ってもそれは人間のものであった。心拍が上がり耳鳴りがしだす。


「ふーん。ねえお話しない?」

 

 ふと喋りだした眼の前の子のため、ミチカは驚きをこらえ作り笑いをする。異様な気分の悪さをこらえ喉から言葉を絞り出した。


「いいぜ」

「この本ね、とっても面白いんだよ」

「どんな本だ?」


 ミチカは前かがみになり、優しく暖かな声で問いかけた。まるで何かに操られたかのように自然と口が開いて言葉が出てくる。体が妙に重くなる。自分の体を確かめる余地が心から奪われていた。

 本の表紙は金属で角を補強され高級さがにじみ出ている。幼女の服装もそこそこ値の張りそうなもの。明らかに貧民という身分は似合わない風貌。必死でなにか状況の説明となるものを探す。


「パパが昨日買ってくれた本。ミチカって昔の勇者様がガルモンドっていう悪い王様を倒すお話。ミチカは魔王を倒したあと、いっしょにいなくなっちゃうんだって」


 勇者ミチカの話はある種の伝説のような形で語り継がれていることを知った。そこはどうでも良かった。問題は”昨日”だ。父親がいてここまでしっかりとした身なりをしている子供が昨日、本を買ってもらい今日こんな場所にいるのはおかしいとしか言えなかった。

 我に返ったかのように今までの様子を振り返っても、やはり目の前の相手には拭えないほどの違和感を感じた。


「お前、どこから来た?」


 勝手に開く口と疑問と恐れが流れるはずもない冷や汗を出したような錯覚に陥らせる。まさかとは思うがフォルナの奴らが人さらいまでしたのだろうか。強盗で生計を立てているくらいだからおかしくはない。

 ミチカは何もかも疑いたくてならなくなった。


「来たってなあに? わたしはアリシタリアってところに住んでるんだよ。こんどはね、もっと昔の勇者フロイドがめるきですっていう竜を倒したお話買ってほしいんだ。でもパパはこうていっていうすごい人に使えるきしさまだから忙しいんだよ」


 アリシタリアその名前はさっきも聞いた。と。不思議な話だ。彼女は今三〇年前に滅びたらしい帝国にいると言っている。しかし今フォルナ達を疑うことは出来ても、商人が極めて自然に言っていたことからするにそんなはずはない。

 まるで彼女は今もアリシタリアに住んでいて、そこでまた別の勇者の話を読みたがっているかのようだった。彼女はいつかの記憶からずっと世界が進んでいない。そんな様子に思えた。


「石ころ、すまん言い忘れた。奥って右奥の部屋……」


 いつの間にか後にはフォルナが立っていた。寝るためにか先程よりも薄着に着替えていたが、相変わらず仮面を着けている。だが仮面の下に隠れた焦る様子は容易に見透かせた。


「こっちの部屋開けちまったか……」


 この世界に来てから何度も聞いた明るい声と違って重厚感のある響きだった。

 ミチカは直ぐ側の人形のような幼女の言っていることを理解しようと頭がいっぱいになりフォルナに説明を求めようとする。


「なあ、これ一体……」

「そいつは話しても無駄だ……」


 フォルナは小さな声で囁いた。


「なんで?」


「だって、そいつは――生きてねーから」

 フォルナの一言は耳に残響した。

 そしてミチカのの体はその時再び石に戻っていた。

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