4月18日(日) 広島市中区三川町にあるギャラリーたむらで「高橋 禎彦 ガラス展」を観る。

広島市中区三川町にあるギャラリーたむらで「高橋 禎彦 ガラス展」を観る。


ガラス作品の展示があると聞いていたので、「ギャラリーたむら」さんの「高橋 禎彦 ガラス展」を観に行った。


いつの間にか陶磁器に関心を持つようになったが、ガラスに関しては無知に等しい。そんな自分が高橋禎彦さんの作品を観れば、陶磁器と同じように原初の地球を感じる物質だけでなく、宇宙にも同様の法則のあることが連想された。


それはとても単純な刺激で、氷塊のように透明な固体に気泡が内在していると、琥珀のような永続性をまざまざと感じ、純粋な球体は空気と重力の影響から逃れたような浮遊な惑星を感じた。


ガラスの堅さと柔らかさの変化は、どのような工芸作品にも見られる他の素材への憧れや反発を含んだ質感の化生があり、手にコップを持つと、色ガラスの見た目にも誤魔化されているのだろうか、柔らかい肌触りがガラスの冷ややかさを感じさせないようで、軽い量感はプラスチックのようにさえ思える。重くどっしりしていて割れやすい、そんな古風なイメージとは無縁の重力からの開放が備わっているようだ。


しかし展示されているガラス作品は存在感が異なる。実用から離れる表現としての在り方は、手仕事だからこその機械以上に正確で厳密なリズムがあり、パターンがあり、有機的な組み合わせとなっている。覗き込めば宝石らしく光を受けて様々に表情が変化して、うっとりする明度に釘付けにされる。固体でありながら液体を保持したような動的な曲線もあり、切子細工のような華美な装飾もある。それらを作る過程は自分に想像を許さず、画面としての空想はまるで浮かばない。ただ描かれるのは熱いガラスに空気を吹き込む姿で、それはこれらの作品とまるで関連づかない。


想像は及ばないが、作家の頭脳はここに具象化されている。作品を生み出す為のスケッチがあるらしく、高熱をもって癒着するタイミングの重ね合いがあり、時間制限の中でのインスピレーションの発露もあるのだろうが、まるで見分けはつかない。


今回の展示では手に届く作品もあったので、普段使いにガラスへの感性を磨いてもらう為にコップを買った。陶磁器同様酒を入れて飲み、割らないように気をつけなければ。

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