3月9日(火) 広島県にあるとあるところで飲み食べ比べする。

広島県にあるとあるところで飲み食べ比べする。


すこし前に招待制のクラブハウスについて聞き、新しい物に対して頑迷固陋な自分は使うことがなさそうだと思っていると、スマホどころかiPhoneを持っていないと使えない事を知り、どうしてそんな制限を設けるのか考えた。昔はミクシーの招待に些細な優越感を持ったこともあったが、どうも今となってはそんなシステムは小癪で無駄のように思えてしまう。


しかし招待は信頼と責任が伴うらしい。仕事が飲食業ではなくても、家族が店を持っていると金魚の糞になれる。むしろ広島においての人付き合いのほとんどが動きにくっついて生まれたつながりとなっており、今日の夜も夫婦の絆よりも強いコネによって味比べを経験させてもらうことになった。


ナチュールワインに目の向いた最近の流れと異なり、正統といってよいのかわからないが、フランスらしいワインを飲み比べることになった。ブドウの品種は本を知識としてかじったことはあっても、実際に飲んで話を聞くとこうも体験として身に染みるのかと、目、耳、鼻、舌を同時に刺激する的確な情報の相互作用に頭に著しくインプットされるようだった。


始めにシャンパーニュを飲んで、ミックスされた品種と発酵過程に加糖する意味と位置づけを知る。次にリースリング2種類、ソーヴィニヨンブラン、シャルドネ、という4本の白ワインを飲み比べると、果実、柑橘、凝縮という言葉だけでは知った気になっても理解されない味が、これほど見分けられるのかと驚いた。ただブドウの品種と特徴を知るだけでなく、アルザス、ロワール、ブルゴーニュといった地域性を地図に広げるように伝えてもらったので、いかに土地がワイン作りに関係しているかを気候と風土との関連を含めて初めて納得するようだった。


次に5種類の赤ワインを飲み比べるが、さすがに酔いと花粉症が混ざって嗅覚は麻痺しており、白ワインほど鮮明に違いを知ることはできなかった。それでもカベルネ・フランの持つ品種の特徴が話されるのを聞いていると、いかに素人は本質を見分けることなく言葉を玩弄しているのか思い知らされる。サラミを含めた肉の食べ比べもあったので、食のプロとしてそれぞれ店を構えている人たちの感想を聞くと、おぼろげな印象に言葉を無理にはめ込むのではなく、的確に表現が使い分けられていることが知れる。


何かの公演のアフタートークなどで常に意識するのは、自分にはない高いレベルの観察眼への想像力で、食についての会話を聞きながら昨日の音楽会でも味わった感覚の違いを思い起こし、その時はわからなくても目標地点を知って感受性がそちらに手を伸ばすような気分になる。


この食についての経験を実際に料理で表現できる人達が集まっている。自分は部外者として何ができるかというと、食べて、感想を言うだけになるが、生活することそのものが一個性の表現となるので、誰かに喜んでもらえる食事を提供できなくても、食した経験が体や動作に表れるだけでなく、考え方にも作用して発現するだろう。


土地を土台にした環境の結果が嘘をつくことなく味になっている事を知ったくっつき虫の今夜は、基本の夫婦関係があってこそ自分といううまいのかまずいのか本人には知れない人間の味が作られているのだと、肉と卵にブドウを証拠にして、よりよい生活環境となるよう土壌と食べるものを自ら選び、絶やすことなく持続しようと思う飲み食べ比べ会だった。

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