7月19日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで木下恵介監督の「大曽根家の朝」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで木下恵介監督の「大曽根家の朝」を観る。


1946年(昭和21年) 松竹(大船) 81分 白黒 35mm


監督:木下恵介

脚本:久板栄二郎

撮影:楠田浩之

美術:森幹男

録音:大野久男

出演:杉村春子、長尾敏之助、徳大寺伸、三浦光子、大坂志郎、小沢栄太郎、増田順二、東野英治郎


映画という表現媒体として現代に近い作品と比較しても意味がないだろう。約80年前に生み出されたこの作品の時代背景や意図こそが味わい深いところであり、ほぼ屋敷内で撮影されたシーンで構成され、外界と遮断された実感がこの家庭の悲哀を色濃く映しているかといえば、それほどではない。貴族らしい西洋文化をそのまま移植されたような家庭には、偽物だからこそ日本の上流階級と知れる形式があり、上の息子が政治犯としてとられ、真ん中が画家の半ばで戦死し、一番下の疑うことを知らない者は進んで志願して命を落とす。その描かれ方にはそれほど深刻さがなく、軍国主義の権化である叔父は大佐として気味の悪い笑いで横暴を描かれるが、高圧的というよりも神経の鈍さがそのまま禿げ上がった頭と顔に移されたように、なまくら坊主の戯画のような世俗感が表れていた。


浮世というよりも、むしろとぼけた常世のような家の中は貧困が体に迫ってくることはなく、ただ息子の死がやってきてから、終戦があっけなく訪れるくらいで、泥と叫びで人生をのたうち回る汚れはまったくない。あるのは、上流社会の持つ余裕の中での悲嘆ばかりで、後半の杉村春子さんの諦観や恨みの移ろう表情に劇的な味わいがあるくらいで、映画作品の題名通りに物語が閉じるのは、救いはあるが、まるでプロパガンダ映画の敬礼に感じる。とはいえ、この映画の制作された年こそが、この作品に込められた戦争への反対思想を全面に込めている。戦争がいかなるものか、そのメッセージ性だけは疑う余地なく存在している。

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