4月19日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「正宗白鳥の『口入宿』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「正宗白鳥の『口入宿』」を読む。


この作家も徳田秋声同様に、読んだような読んだことのないような、はっきりしない人だ。顔写真を見ても初めて目にするようで、ふと、現副総理の顔が浮かんでくる。政治には詳しくないのでわからないが、すぐに失言するイメージがあり、酒について“き○がい水”なんて言うから、政策や手腕は抜きにして、面白いおじさんだと思ってしまう。


いかにも古い作家らしく名刀らしい響きを持った名前だから、質実剛健であまり面白い小説を書く人ではないと決めつけていた節があり、人物紹介を読むと、東京専門学校在学中に受洗、とあってやはり真面目な人なのだと思うものの、自然主義作家として認められたあとは文学に専念するも、終生、人生に対しても文学に対しても批判的、懐疑的傾向が強く、とあり、描写中心の小説よりも戯曲や評論に重きを置くようになった、と書いてあるから、やはり真面目な人だったのかと思ってしまう。


約7ページのこの小説はほぼすべての漢字にルビが振ってあって、一見すると字面はごちゃごちゃしていて汚らしい。好みは分かれるが、自分で文章を書く際はルビを振ることは今となってはしなくなり、ある程度の漢字の読解力を前提として文章を書くので、読めない人は適当に言葉をはめて読んでくれればいい、それができなければ飛ばしてもらっていいと思っている。とはいえ雑誌や新聞で目にすることのない古い漢字については、やはり読者としてはルビがあると断然助かるので、適宜に振るのがもっとも良い形なのだが、この小説の文章は小学生でもわかるほどだからうるさいくらいだ。そんな字面であっても、つっかえることなくすらすらと読めるから不思議なもので、漢字に目が届かなくなってついつい手軽な平仮名を追う形となるも、なかなか悪くないのだ。


女同士の会話文の連続から始まり、言葉の端々で舞台が示唆されると、地の文で丁寧に人物像が説明される。それからは“桂庵婆”という言葉が示すように、芸者の周旋業者である主婦(かみさん)を柱に、今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」が映像の実相を貸してくれるような内容が生々しい会話文によって描かれている。


堅苦しい作家の名前通り、融通のきかない小説だろうと思っていたが、なんとも女性の性格が地に写されたようなうまい会話文の組み立てで構成されていて、小説という表現形式ではいくぶん親しみやすさと軽さのある、荘重な趣の少ない作品といえないこともないが、成瀬巳喜男監督が好みそうな女性の実相が表れていて、話し言葉そのものが全てでない裏側こそ見るべきだと、女性の内面の綾が描かれた、自分にとって好ましく思える内容だった。


小説には繰り返し冬の寒さが述べられていて、“長火鉢に寄かかつて”、“「寒い晩だ」”、“寒そうに”、“短い冬”、“凍つた土”、“寒さに怖ぢたのか”、“寒空に”、“「寒いぜ戸外は」”等など、四十五の独り身の女性の心細さが季節に繰り返し仮託されていた。


歌舞伎や落語、講談や浪曲などに近い気の利いた会話文に色っぽさや粋があり、“「──男に騙されてる間は、苦労しながらも面白いものらしいよ」”という前半の言葉には、すでにそれを知っていながら、それをよそよそしく語る女性の心があり、“「なあに、初心な者だつて、一年も立つと変つてしまうんだよ。あの女がこんなになつてと思ふやうに変つて来るよ」”という部分には、自分と他人の経験から変遷が必ず訪れる商売柄の運命が述べられていて、口ばかりの借金男の弁解のあとには“「私、何もお前さんに無理を云ふのぢやないよ。だけど、此頃些ともいい儲け口がないんだから」”と、一転して情けのこもった情愛をみせたりする。舞台で使われそうな会話文が多いのも、人物紹介にその理由がたしかに説明されていたと符合する。


気に留まった単語としては、嚔(くさめ)、得心、口早、混つ返す、気六ヶ敷(きむつかしい)、気骨を折つてゐた、などがあった。


地の文では、“沢井は立入つて訊かうとはしなかつたが、主婦はよかれ悪かれ、その男の話をもつとしたかつた。困らされた昔の事でも聞いて貰ひたかつた。で、屡々話を向けたが、相手が些とも乗つて来ないので、進んで何も云へなかつた。”が淀みない物語のなかで一息いれるような、無骨なほどに淡々としたものがあり、自然主義らしい描写がなにより顔を出したようだった。


それでもやはり面白かったのは、“「気の短い人だよ」と、主婦は店先に立つて、その男の急いで歩くのを見送りながら眉を蹙(しか)めてゐたが、やがて、満心の憎しみをお清に向けた。身体中掻きむしつて、喰ついてやりたい位に思つた。”や、“「今度来たら、うんと油を取つてやらなくちや」”や、“糞忌々しい、何処かへ遊びに行かうかと思つてゐる所へ仲のよい車坂のお徳が遊びに来た。”なんかで、それから飲んで、散々昔の惚気話をしては、“「お神さんは今夜どうかしてるよ」と、皆なが呆れた。”とオチをつけられるところなんかは、特に珍しくない、日頃強くあらねばならない女性の、ちょとしたヤケが憎めない形で表れている。


おそらく、やや卑俗な小説なのかもしれない。それでも女性の悲哀を基にした人情話が会話文を主に紡がれているから、なんだか可愛そうだなぁと心の揺れるちょっと女々しい物語となっていて、持っていた作家への人物像が豹変して好ましくなった。

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