5月17日(金) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ大ホールで「広島交響楽団 ディスカバリー・シリーズ Hosokawa×BeethovenⅠ」を聴く。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ大ホールで「広島交響楽団 ディスカバリー・シリーズ ベートーヴェン生誕250周年交響曲シリーズ Hosokawa×BeethovenⅠ」を聴く。


音楽総監督:下野竜也

管弦楽:広島交響楽団

笙:宮田まゆみ

コンサートマスター:佐久間聡一


ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」序曲

細川俊夫×下野竜也:コンサート・トーク

細川俊夫:「雲と光」笙とオーケストラのための 〈空に漂う雲〉─〈影の予感〉─〈雲と光〉─〈暗雲と小さな嵐〉─〈光の予感〉─〈波と光〉─〈浄化〉

ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調

さくら(細川俊夫編曲)

ベートーヴェン:月光 1.mov(野本洋介編曲)


昨年までのディスカバリーシリーズはスッペの序曲、新ウィーン楽派、シューベルトの交響曲とあり、今年からの新シリーズもベートーヴェンの序曲、細川俊夫さん、ベートーヴェンの交響曲と、構成される曲の雰囲気は変わっていない。結局シューベルトの印象はつかめないまま昨年までのシリーズは終わってしまった。今年は嫌いでない思い出深いベートーヴェンに、現代音楽への道筋をつけてくれた細川俊夫さんとあり、正直とても楽しみにしている。


「フィデリオ」の序曲は、最近ウェーバーの「魔弾の射手」序曲を聴き、こんなに良い曲なのだと知ったので、ヴェルディの序曲集を聴いてみようと、形式と言うべきではないかも知れないが、オペラの始まりの曲そのものに関心を持っていた。久しぶりのアステールプラザ大ホール2階席で聴くと、仕事の影響もあり、集中して音楽を聴くことができない。音の響きにも入り込めないまま、後半部分の音量が大きすぎるように思えたまま終了する。一人で動くことがほとんどの最近だが、ディスカバリーシリーズは隣に嫁さんがいるので、自分よりもシューベルトを好み、知っていて、たびたび解説を聞いていたように、この演奏について訊ねてみようと思っていると、嬉しそうに拍手している。なるほど。


細川俊夫さんと下野竜也さんとの微笑ましいトークと解説のあと、細川俊夫さんの曲だ。雅楽で使われる笙という楽器を実際に聴くのは初めてで、ハーモニカのようなリード楽器の響きがありながら、高音域の和音でパイプオルガンのような響きも聴こえてくるも、この曲の冒頭からは、耳鳴りのように出どころのはっきりしないところから響いてきて、仕事の影響も残っていた頭に不安を募らせた。微分音と言っていいのだろうか、12音よりも細かい位置の音が弦楽器から響いては消え、舞台の後方左右の打楽器奏者から風鈴が鳴らされて、意識は夢路を彷徨うような心地にあるも、怖気を持った音調が一貫して漂い、細川俊夫さんの説明にあった3つの印象、阿弥陀来迎、朧月、煩悩の光が、どこがどうと定かではなく、それなりに浸りながら、子供の頃は、この日本の息づく音の調子が辛気臭く、抹香臭く、また時には輝かしくもあったのを思い出しながら目をつぶり、気づけば仕事についての想念は衰えていて、カリグラフィとは異なる、オペラ「松風」を彷彿するような風の中にいた。


アンコールの笙による「さくら」の編曲は、宮田まゆみさんが「和音の中にさくらの音があるので、探してみてください」という意味のことを言ったので、聴衆の多くが目を閉じ、この楽器の響きと共に瞑想にあるようだった。


ベートーヴェンの交響曲第1番は、悪くない曲という印象はあるも、他の交響曲に比べてそれほど知らず、今日の演奏でこんなに素晴らしい曲なのかと気づかされた。ベートーヴェンの持ち味がところどころにあるも、古典的な様式も残し、若く、希望と意欲に満ちた雰囲気は、他の作曲家の第1番、例えば悩みぬいて作られたブラームスや、器用さが目立つプロコフィエフ、大きさと完成度のマーラーなどと異なり、ショスタコーヴィチに通じる大きな才能の原石による青さが感じられた。昨シーズンまでのシューベルトと異なり、誰にでもたやすく判別できる巨大な塊が不器用とはいえないが、面の皮の厚いエネルギーを才能の証明である特別なオーケストレーションに光を漏らしていて、これは磨けばどのように輝くかを期待せずにはいられないものがあった。下野さんの指揮も、第1楽章から若い人間の躍動にみなぎり、自由に歌い上げる管楽器に、希望の高さを響かせる意気揚々とした弦楽器が目立ち、下野さんにしてはやや荒っぽく思われるほど芽吹きの爽快さを表していて、緊張感とは異なる前進するチームワークのような一体感は、好みが分かれるだろうとしても、この日の自分にはとても元気を与える好ましいものだった。


アンコールに何をするのか期待していたら、ベートーヴェンのピアノ曲をオーケストラ版に演奏された。ピアノと異なり、各楽器の音色がよりイメージを広げて、一つところで見る月光ではなく、月が地球のあらゆる場所で輝き、低音部の弦の響きは暗い大海原を照らしたり、他の楽器は、草原や、寂れた村や、谷間などを想起させた。良し悪しはあるも、このような表現効果をもたらす編曲だった。


残り7回、来年にかけてベートーヴェンを再確認しつつ、細川俊夫さんの曲への理解を深めていけるのが楽しみでならない今日の演奏会だった。

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