12月5日(水) 広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学ザビエルホールで「クーベリック・トリオ広島公演」を聴いた。

広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学ザビエルホールで「クーベリック・トリオ広島公演」を聴いた。


ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番ハ短調

ブロッホ:3つのノクターン

ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調

アンコール

チャイコフスキー:「四季」より6月「舟歌」ピアノ三重奏編曲版


久しぶりに室内楽を聴いて、近くで楽器の音色を体験して、細かい音色や表現の違いを味わうのは楽しいとつくづく思った。広響は定期会員なので決まった席となり、生活水準に見合ったB席は2階の後方なので、舞台が遠く、音はまとまって聴こえるが、やはり遠さを実感する。それは俯瞰するようなマクロな視点で、最前列真ん中に座った今日のような室内楽の演奏会はミクロな視点で楽しめる。


ベートーヴェンは、眉間に皺が寄ったように聴こえる。有名な肖像画だけの印象ではなく、何かに反抗して立ち向かうような神経質で繊細な気概をこの曲から感じてしまう。熟練された演奏家により、渋いわけではないが、抑制の利いた、非常にどっしりした演奏で深みがあった。特に第2楽章の美しい音色に眼が細くなってしまった。


ブロッホは、ユダヤ人という印象だけで、ちょっとした曲の調子にもユダヤ人の出自を見出してしまう。おそらくそれは間違いだろうが、ヘブライ狂詩曲「シェロモ」と似た音色を読み取ろうとしてしまう。第1楽章のみずみずしく動くピアノの音色に、それを支える落ち着いた二つの弦の音色、第3楽章の、陽気な悪魔のような低く軽快な足取りに、フォルテのチェロの進行、ベートーヴェンとはまるで異なった楽器の音色は、どことなく奔放でありながら、危うさがあり、ヒステリックにも感じる伸びがありながら、楽しそうにも笑うようで、自虐的な民族の哀愁をやはり無理に感じとってしまう。


ドヴォルザークは、第1楽章からパッションが歌い、素晴らしく息の合った演奏は圧巻だった。どこまで高く歌を掛け合うのかと、喜びに溢れていた。第2楽章は、死んで、魂になり、仕方なく墓場に入ろうとする悲哀を感じるようで、ゆっくりとその悲しみが奏でられ、昔が思い出されるように明るい追憶が歌われるも、静かに閉塞してピアノが響かせる。第3楽章は、踊り、踊り、陽気に、楽しく、人生はこうあるべきと華々しく、熱狂して踊り続ける。スカートの裾が舞い、笑顔と視線が交わされて、高々と音色は舞い上がる。第4楽章は、残る力は少しでも使い尽くそう、それは何物も残さぬと必死に後片付けをする力の入れ具合が、熟練の腕前で抑制されて、いくら力のこもった演奏をしようとも、ずれたり、抜けたりすることなく、三人の有機的な調和で進み、その規模の大きさと楽想の深みは、交響曲と同じ空間の支配を現出させ、音楽の素晴らしさを心から感じられるものだった。


円熟とは、老いではなく、深まることで、若々しい情熱を失ったわけではない。溌剌とした情感溢れる演奏に心が若返った気がするのは、あまりに単純だろうか。素晴らしい演奏会の後はいつも的はずれな満足感でうつろになる。

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