5月 広島市東区東蟹屋町にある東区民文化センターで「劇団Tempa第10回公演 素晴らしい秋日和でございます」を観た。

先週の日曜日に劇を観に行ってきた。


劇団Tempa第10回公演「素晴らしい秋日和でございます」


チラシだけでは興味があまり湧かず、体育会系の暑苦しい劇だと決めつけていたものの、暇があればやっぱり観に行けば、過疎化する村を舞台にした切実な現代の問題を取り上げた素晴らしい舞台だった。


冒頭は、東京オリンピックをテレビに観て熱狂する数人の男女から始まり、テレビ実況の「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような素晴らしい秋日和でございます。」という、このうえない爽やかな言葉に触発されて、若い男女が直立して向かい合い、男が「素晴らしい秋日和ですね、お散歩でもいかかですか?」(言葉が多少違うかもしれないが)と女に誘う。これが契機となり物語は展開していく。


この男女は平夫妻となり、旦那は認知症になって車椅子で押される生活で、村にはあらたな東京オリンピックの選手村誘致で沸き立ち、若い住人は雇用や介護の問題で悩み年老いた肉親を連れて不便な村を離れ、都会の生活に悩んでたまたまやってきた若者は浮草のように未来の見えない温かみのあるこの村にとどまり、他からやってきた介護施設員は少ない職員で必死に働き体を壊し、老人たちは行末を案じるも明るく楽しく村の生活を過ごしている。


わりと栄えたところで育ち、今は県庁所在地に住んでいる自分には過疎化の実態を肌で感じることはできないが、介護の問題はすこしだけわかる。亡くなった爺さんの世話をする両親を見ていたから、姥捨山の問題は平均寿命まで生きる人間には必ず直面する。それがどのような形で生活に肉薄するかは、まったくの運次第だ。うちの婆さんは、「爺さんは世話がかかるから、先には死ねないよ」と言いながらも、風呂場で突然亡くなり、子供の頃から肉親の介護をしてきたうちの母親は、「おばあちゃんには悪いけどぽっくり亡くなって良かったわ」と言っていた。寝たきりの母親の世話を小さい頃から数えて十数年してきて"暗黒の青春時代と”称するうちの母親の言葉は、あっけらかんとしているからこそ物凄いものがある。手のかかる父親の世話もしながら、偏屈な爺さんの世話もする母親を見て、こういう星の下に生まれたのだなと妙に納得してしまった。


この劇を観て。そんなことを思い出した。長生きするものに必ず訪れる代償だ。


熱心に練習したのだろう、熱のこもった演技は皆素晴らしく、たやすく感情移入させられた。とくに認知症の老人平敏夫役をこなした劇団Tempaの代表である久保幸路さんの演技は、呆けた老人をうまく現出していて感嘆した。


素晴らしい舞台だったけれど、描かれた問題はいずれ訪れるもので、考えさせられる時間だったなと複雑な気持ちで帰りの自転車に乗っていた。その日は天気がよく、秋晴れとはいえないけれど、午前中は雲がない青空に、大きな斜線を新鮮な飛行機雲で描く雄大さで、午後は、空一杯に網目に覆われたような巻積雲に広がっていた。


素晴らしい秋日和を見れる間は、曇り空でも秋日和を見る姿勢でいて、暗い闇に覆われる前は、希望を持って空を眺めよう。そんなこと思わせた劇団Tempaの舞台だ。

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