音楽、映画、美術、舞台、食事、文学、観光についての体験感想文集

酒井小言

2017年10月15日 広島市中区本川町にある空鞘稲生神社で神楽を観る。

 昨日は結局ほとんど雨は降らず、降らないことを願いながら洗濯機を回さなかったので、雨は降るものだと自分では信じ込んでいたらしい。


 神楽を初めて観たのは(町田の神社でもあったのだろうが印象が残っていない)広島市民球場跡で行われていた何かのフェスティバルのステージで、その時の演目は「滝夜叉姫」だった。軽んじていたので、こんなに迫力のある演出をするのかと感心した。


 毎週水曜日の夜は広島県民文化センターで神楽を観ることができるので、今年は何度も足を運んで各作品に親しんできた。2公演でチケット代は1000円、小さくないステージで立派な神楽を観ることができるから、広島に来たゲストにはだいたいお勧めしている。


 ステージで観る神楽に慣れているから、神社の神楽殿で観た昨日は違った感興があって非常に楽しむことができた。ビールケースを等間隔に並べ、その上に長い板を敷いてそれを観客席とする。人々はほぼぴったり座り、鶏の唐揚げやポップコーンを食べながら神楽を鑑賞する。子供連れが多いので、親はだいたい子供の世話に気をとられ、うろうろする子供を探しに行ったり、戻ってきたり、食べ物で関心引いたりと忙しい。子供は同級生に会って集団を作り始め、そこらじゅうを歩き回り(当然地味な舞など我慢して観れるものじゃない)、近くの公園へ遊びに行ってしまう。初老の夫婦は静かに観劇していて、自分の両隣にいる一人者の中年男性は腕を組んでじっと観ている。自分も腕を組んで仏頂面をしているので一人者中年男性の組を成している。真後ろに立っている家族は、小さい子供を腕に抱えながら奥さんとそのお母さんらしき人は話しながら「鬼が出るかなぁ、狐が出るかなぁ、それとも大蛇かなぁ」と子供をあやしている。「もしかしたら猿が出るかもしれない」と、ついつい頭のなかで会話の続きを考えてしまう。


 かしこまった観客席と違い、地域との結ぶ付きを見る観客席だけで、神社での神楽こそ在るべき姿だと納得する。宵闇に浮かぶ神楽殿には、強い照明をあてられて怪しく反射する舞手さんの面に県民文化センターで観るのとは違ったおぞましさと存在感があり、少しずつ気温の下がって夜が深まるのを肌で感じつつ、空に突き抜ける大太鼓の音、速度と感情を増していく囃子を体感するのは、美しく思える季節の移り変わりに鋲を打つ祭事に自分本位で酔いしれる嬉しさがある。


 四方祓いが終わり、まず出てきたのは菅原道真公、演目は「天神」。次に須佐之男命の「鐘馗」、それから「悪狐伝」、「八岐大蛇」。「悪狐伝」と「八岐大蛇」は夕飯を食べるのに一時帰宅したのでほとんど観れなかったが、「天神」と「鐘馗」は存分に観ることができた。


 九月に安野神楽団で「鐘馗」を観たことがあり、須佐之男命と大疫神だけで舞うこの演目は、他の登場人物が派手に舞うようなのと違い、須佐之男の舞から始まり、少しずつ、ゆっくりと進み、神楽幕からぬっと大疫神が現れては、互いがおそるおそる近づいて、気づいては離れ、再び神楽幕の裏へ消え、囃子も調子を沈めては高め、再び現れて徐々に近づいたかと思うと、また消えるものの、確実にその距離は縮まっていく。その心地よくも緊張に張りつめた演出は、穏やかな波打ち際のような印象を(ここにマーラーのアダージェットに感じる感興を一瞬感じてしまう)抱いてしまう。これは子鬼の出てこない「塵輪」と似た神楽幕の使い方で、この静かに登場する演出は自分の趣味をとても満足させる。


 「鐘馗」は備後風土記の伝説を元にした演目らしく、うちの奥さんの御朱印集めに付き添って訪れた福山の素盞嗚神社と関係が深いのだろう。この神社は「茅の輪」伝承発祥の地らしく、「鐘馗」は須佐之男命が茅の輪で大疫神を捕らえて退治する演目だ。奥さんの実家の福山の話ということで、自分にとっても思い入れを持ちやすい演目だ。ちなみに前に観た「鐘馗」では、茅の輪に捕らえた大疫神を、須佐之男命が神楽幕の裏へ引きずり込んで退治する演出だった。それは大疫神が退治された姿を見せないことで、観る者に本当に退治されたかという疑問を残させて、病気は決してなくならないことを暗示するそうだ。

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