第43話:フレミトゥの約束
しばらく。いや、かなりの時間。巻き起こった砂煙は、視界を塞ぎ続けた。
ようやく薄れて、積み重なった巨岩の全貌が見える。頂上がどうなっているのか、見上げたのでは分からない。
ピラミッドなど写真でしか見たことがないが、きっとこのような大きさなのだろう。
その端のほうは、落下した柱が、多くそのまま地面に突き立っている。足元も岩盤かと思っていたが、表面だけのようだ。カズヤの周りにも、大小の破片が散乱している。よくも当たらなかったものだ。
先ほど水分を摂ったおかげか、大音響のためか、意識がはっきりとしてきた。逆にそのせいで、今になって肝を冷やす羽目になったとも言えるが。
「マクナス――?」
突き立った柱。岩の林のようになった中に、マクナスが立っている。それはたぶん、柱が崩される前と同じ位置。命知らずもいいところだ。
彼はじっと、一点を見ていた。誰かと話しているようでもある。
「ソーラ?」
その言葉が、一際大きく発せられた。
名前だろうか、誰かの。もしかすると、マクナスの前に倒れている巨鳥の、本当の名だろうか。
雷禍の身体は、ほとんどが岩に埋められている。頭と首が僅かに、岩の下敷きにならなかったようだ。その目は閉じて、動く気配はない。マクナスはそれを悼むように、頭を撫でていた。
【お兄ちゃん。私ね、空を飛んだの。とても速くて、とても自由だった。お兄ちゃんよりも速かったのよ】
誰だ。
この場に居ない、女性の声が聞こえた。正確には、少女なのだろう。声が幼い。空耳ではないと思う。伯爵や騎士たちも、耳を疑って辺りを見回している。
【町の近くに行くとね、みんなが楽しそうにしているの。だから私も、遊びに行ったわ。いくつも、いくつも。たくさんの町や村に行ったわ。だって私は、飛べるんだもの】
これはまさか、雷禍の記憶なのか。この場にいる中で飛べるのは、雷禍とアルフィたちだけだ。だがアルフィの内心がこんなものとは、どうしても思えない。
【でもね、一緒に遊んではもらえなかったの。町に行くと、いつも眠くなってしまうんだもの。それでもね、また目が覚めたら飛んでいるのよ。フレミトゥは、私に自由をくれたの!】
シヴァンたちも伯爵と合流して、この声はなにかと話している。伯爵や騎士たち、兵士たちも。それらの視線が、次第に一つの方向へと向く。
雷禍と話しているようにしか見えない、マクナスへと。
「おい――おい! 貴様、なにをしている!」
マクナスの背に、槍が向けられた。
口元を震わせて、嬉しそうに話すマクナスは、それに気付かない。
【黙って家を出て、ごめんなさい。フレミトゥがね、そうしろって言ったの。私はフレミトゥと約束したの】
「そうか。その約束は、守ってもらえたのか?」
優しい兄の顔だ。グランがマシェに向けるのと同じ、無条件に愛せる者への、慈しみの目。
カズヤのこれまでには、見たことのないもの。
【守ってくれたわ。私の残りの命をあげるから、世界を見せてって。フレミトゥは約束してくれたの】
「そうか――俺は、ソーラを守ろうとするだけだったな。草原にも、山の上にも、連れて行ってやれなかったな……」
「おい! 答えろ! 雷禍は、生きているのか⁉」
騎士たちが代わる代わる放つ問いは、聞こえているのだろうか。マクナスの立つ場所は夢の中で、どこかでこちらの現実とは切り離されているのでは。そんな風にさえ思える。
【お兄ちゃんのこと、大好きよ。でもね、私はもっと見たいの。色々な物を、風景を。フレミトゥもね、まだまだ見られるって】
「フレミトゥが? 今、そう言ってるのか?」
フレミトゥとは。それが本当の、雷禍の名なのだろう。それがまだ、飛べると言っている。それはまだ、戦えるということだ。
「全員、戦闘準備!」
シヴァンの怒声が飛ぶ。剣を収めていた者はまた抜いて構え、槍を持ったままのシヴァンたちは穂先を雷禍に向けた。
「閣下をお守りせよ! 第二分隊、私に続けぇっ!」
走るのをやめれば、そのまま前に転がりそうな、極端な前傾姿勢。あれでよく走れるなと、奇怪にも思う。
全体重を乗せるための、訓練の成果に違いない。いわばシヴァンの、必殺技だ。
「ああああああああああぁぁぁ!」
雄叫びが、攻撃力ゲージでも上げるのだろうか。もちろんカズヤとて、剣道を齧った身だ。剣撃に対する発声の意味くらいは知っている。
円滑な、筋肉の躍動と収縮。タイミングを合わせた一撃が、雷禍の首すじに突き立てられ――なかった。
代わりにあったのは、槍の柄が切り飛ばされる、乾いた切断音。切られたのは、シヴァンの槍。切ったのは、マクナスの大剣。
「悪いが、あんたとの契約はなしだ。俺は、妹を守る」
腰を落とし、大剣を左の肩に担ぎ直したマクナスは、雷禍に背を向けた。
その表情に憎しみはない。カズヤが多く見た、人を小馬鹿にした態度でもない。油断なく戦いに臨む男とは、こういうものなのだろう。
そう思わせる顔だった。
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