第41話:アルフィの召喚

 それはなんの音だったろう。紙鉄砲のようではあったが、あまりに大きな音だった。

 ぼうっとする意識の中で、幻聴を聞いたのかもしれない。この岩場での日々で、身体は軋むように痛み、考えもうまくまとまらない。


「今日は、面白いところに居るのね」


 裂け目の奥から、女の声が聞こえた。兵士たちがざわめく。この奥は、行き止まりのはずだと。


「ようやく来たか……」


 簡易の椅子に腰掛けたまま、彫像のように待機していた伯爵。立ち上がって、配下たちに「警戒せよ」と指示する。


「ここはなに?」

「我々は大地の神殿と呼んでいる。女神アレトアの寝所だ」

「えぇ、ここが? 趣味が悪いわ」


 暗がりから、アルフィとディアは姿を見せる。たっぷりの布を使った赤いドレス。日除けの傘を頭上に、それを差すのは質素な黒い衣服を着た、長身の女性。


「飾りの布くらいはあるべきと、私も考える」

「そうよね。あなたとは、趣味が合いそう」


 このまま貴族同士のお茶会でも、始めるのかと。立ち話ではあったが、心安げな会話となった。

 しかし緊張は、張り詰める。一方的に、伯爵の側だけが。


「あら、あなた。そんなところに繋がれて、どうしたの?」

「すまんな、私が命じたのだ。おとなしくそこに居ろと、聞き入れられる話ではないと考えた。お気に入りのようだが、悪かったかね?」

「いいえ? おもちゃというのはね、遊んで、使わなければ、意味がないのよ」


 話しかけられたのは、カズヤだ。しかしそれも、伯爵が話を持っていってしまった。おもちゃ扱いされて、「それは良かった」などと。全く良くない。


「それで? きっとあなたは、私に用があったのだわ。その人を目の前に置いておけば、私がまた来ると考えたのよ」

「その通りだ。一つ、頼みごとがあるのだが、聞いてもらえるだろうか」


 目の前に居るだけでいいなら、そう言え。

 僅かに怒りが湧いたが、すぐに鎮火した。ぼんやりした頭のせいか、疲労のせいか、思考が持続しない。


「聞くだけは聞くわ。叶えるかは、別の話」

「そうか、まずは助かる」


 伯爵は、右手を自分の左肩に置いて、頭を下げた。貴族の作法だろうか、堂に入った所作だ。


「ああ、頼みを言う前に確認だが。君たちにとって、雷禍とはなんだ? 飼い慣らして、可愛がってでもいるのか」

「抜け目ないのね。頼みが二つになっているけれど、まあいいわ」


 アルフィはいつもと変わらず、笑っていながら笑っていない。赤いその瞳だけを見ていると、業火に焼かれている気分にさえなる。

 その彼女がディアをちらと見ると、忠実な従者は両腕を伸ばした。なにかとカズヤだけでなく、誰もがそこに目を向ける。


「たしかにあの子は可愛いわ。でも懐いてはくれないの。それでもどれくらい言うことを聞いてくれるのか、気になるでしょう?」

「その実験、ということか……」


 伯爵が声を詰まらせたのは、アルフィの発言にではない。ディアの両手から、次から次へ湧き出して来る物体にだ。

 薄暗い中でも真上からの光を散らして、それは輝く。大小無数に山を作る――縞玉。


「そうよ。あの子にも、棲みいい場所というのがあると思うの。寝心地のいいベッドとかね。そこからどれくらい離れても、来てくれるのかなって」

「そんなことを調べて、どうする」

「どうもしないわ。でもあの子に噛まれたら、きっと私でも少しは痛いと思うの。家畜がどんな生き物か、あなたたちだって調べるのではなくて?」


 つまり、直接の意味はない。今の発言だけでなく、この少女がどこまで本当のことを話しているのか、保証はない。

 だが少なくとも、ここに居る者たちを脅威とは感じていない。そんな彼女が、嘘を吐く必要はない。

 ただそれと同じく、糾弾を怖れる必要もない。だから全てが、からかっているだけかもしれない。


「私も一つ、聞きたくなったのだけど。あなたたちは、あの子を殺したいのでしょう?」

「そうだ」

「でも見ての通り、私はあの子でなくてもいいの。そして実際に、あの子以外に可愛いと思う子はたくさん居るの」


 いまここに居るのは、カズヤまで入れても二十名に足らない。それでどうやって雷禍を倒すつもりか知らないが、代わりはいくらでも居る。

 またそれをいつ、どこから連れてくるのか、アルフィの気分次第。

 そのように、彼女は明言した。

 雷禍を倒すことに、いったいどれほどの意味があるのかと。きっとそれが、聞きたいことだ。


「私はそれほど有能ではない。目の前の仕事を一つずつ、こなしていくのみだ」

「そうなの。それはあまり、私の好みではないわ。でも、頑張ってねくらいは、言ってあげられる」

「それはありがたい言葉だな」


 アルフィは、ディアから一つの縞玉を受け取った。美しい球に成形された、少女の手にちょうど載るほどの。


「じゃあ、呼んであげるわ。そうしてほしいのでしょ」


 くわ、と。

 少女の口が、裂ける。ぬらぬらとした体液の滴る、口腔。

 その奥。口唇からどれほど距離があるのか、遠い向こうに、穴があった。喉ではなく、果てのしれない、空間に空いた隙間のような。

 穴の手前には、なにかが蠢いていた。そこは広い闇の平原で、紫煙にも似た草が生い茂る。

 ――いや、それは腕だ。地の底から這い出そうと、その上にある何物をも道連れにしようと、動き続ける人間の腕だ。

 それらの一部が靄となって、縞玉に吸い込まれる。


「さ、これでいいわ」


 アルフィはそれを、下からぽんと投げて、伯爵に渡す。それで目を放した間に、彼女は元の美しい少女に戻っていた。


「面白そうだから、見ていてあげる」

「そうか。一度くらい、道化を演じるも一興かもしれんな」


 アルフィは声だけを揺らして、「ふふっ」と笑った。表情は、変わらない。

 貴族の少女風に、すうっと足を運んで、彼女はカズヤの隣へ腰を下ろす。それをディアは「チッ」と舌打ちしつつも、一瞥だけですませてくれた。


「楽しみね」

「ああ……」


 声が掠れて、カズヤは咳を払う。しかしそれでは足りずに、腰の水袋から蜜酒を口に含んだ。

 ……ロープが、外れている。

 けれどももう、なにをする猶予もない。ごろごろと、雷に特有の重い音が、すぐそこに聞こえた。

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