第32話:領都にて

 領都への道のりは、短くなかった。最初に聞いたところでは「十日くらいかかるかな」と言っていたのに、それが経過しても着く気配がない。

 集落があれば足を止め、その晩の屋根を借りた。ジュネは人懐こくて、パンの一つ、スープの一杯くらいは必ずもらえた。雨が降れば、大樹の下で寝て過ごした。

 そんなゆっくりとした旅路だったから、予定も遅れているのだろう。しかし全く気にならない。

 これからどうするのか、なにも決まっていないのに。訪れる時間を、景色を、ただ受け入れて過ごしているだけなのに。

 カズヤはとても、楽しいと思う。


「ジュネ。どうして一緒に居てくれるんだ?」

「言ったじゃないか。お前が俺を助けてくれたからだ」

「俺がねぇ……悪いんだけど、なんのことか覚えがないんだ」

「ええと、それはな。あれ……なんだっけ。いいんだよ、俺はお前に、なにかしてやりたいんだ」


 一つ気になるのは、ジュネが時々、来た道を振り返って見ていることだ。やはり思い残したことがあるのか。そう思っても、なんと言えば良いやら思いつかない。

 結局そのまま「大丈夫か?」と聞いて、「なんでもない」と答えがある。それがなんだか、申しわけないと思う。


「通門証をもらわないといけないからさ。俺に任せてくれよ」

「ああ、頼む」


 門が間近になったのは、ある日の昼を随分過ぎたころだ。領都の名は、ミュールズというらしい。石造りの壁に囲われて、中が見えない。ちらほら高い屋根は覗いているが、それだけで様子など分かりはしない。


「俺の市民証はこれ。こっちはカズヤっていうんだけど、どこから来たのか、分からないみたいなんだ」

「うん? 事故にでも遭ったのか」

「山賊に襲われて、倒れているのを助けられたんだよ」

「そうか、それは難儀なことだったな」


 門を警備しているのは、交代制の住民などでなく、専門の兵士のようだ。身長と同じくらいの槍を持って、通る者の相手をするのが二人。離れて見ているのが二人。なかなか厳重な雰囲気だ。

 しかしジュネは、特に慌てた様子もなく、それらしいことを並べ立てた。嘘ではないが、肝心なことも言わない。

 これがグランであっても、同じように上手く話を通したように思う。それが普通なのか、サンプルが少なくて判断はつかない。


「通門証だ。しばらく居る気なら、十日間ここへ通って来い。そうすれば、定住証を出してやる」

「定住証? 市民証とは違うのか?」

「定住証をもらってから、一年なにもなければ市民証をもらえるよ。それがここのルールだ」


 カズヤの口の利きかたに、兵士は少し、むっとする。そこをジュネは慌てず騒がず、補足を加えて、「ね?」と兵士に促した。


「そういうことだ」


 表情を戻した兵士は、重々しく頷いて、平手をカズヤに差し出す。なにかを寄越せ、ということだろうか。となると金銭だろうが、カズヤは持っていない。


「あ、俺が払うよ。いくらかな」

「銀貨十枚だ」


 この世界の貨幣を見るのは、おそらく初めてだ。外国のコインや記念硬貨みたいな物を想像したが、それよりずっとくすんだ色で、なんだか不格好に曲がっている。


「カネまで使わせて、悪いな」

「いいんだよ。このくらい、獲物を捕まえればすぐに稼げる」

「そうか……」


 必ず返そう。と思ったが、銀貨がいったい、どれくらいの価値があるものなのか。宝石に興味がないから、金銀の価値も知らない。元の世界と同じとも限らないが、類推も出来なかった。


「俺は、この世界のカネの使い方も知らないんだな」

「使い方? 相場ってことか」

「うん。あ、でも。銀貨以外に、どんなのがあるのかも知らないな」


 この質問にジュネはまた、「うーん」と悩む。きっとそれほど悩んではいないのだろうと、そろそろカズヤにも察しがついている。

 たぶん結論は出ていて、それを口に出す前に、もう一度考えているのだ。なんのためにかは知らないが。


「じゃあ、カネの使い方を見せてやるよ。メシでも食べに行こう」

「そういえば、腹減ったな」


 ここまでの食事は、全てジュネが用意してくれた。多くは付近で獲った獣で、弓の一つも持たない彼が、どうやって狩りをしているのか謎だった。


「おっちゃん。銀貨一枚しかないんだ。二人、食べられる?」

「はあん? 大して出せねえぞ」

「頼むよ。門番にあれこれ言われて、財布ごと持っていかれたんだ」

「あっはっは! そりゃあ災難だったな! それじゃあまあ、適当に出してやるよ」


 ジュネの選んだ店は、おせじにも清潔そうではなかった。だが店内に客は多く、勝手にテーブルをくっつけあって、談笑している。

 さほど待たずに出されたのは、硬そうだが大きなパン。パスタのような物の入った、煮込み料理。小さいながらも焼いた肉。

 ランチとしてなら、まあまあ満足出来る。


「これぐらいが相場なのか?」

「言っただろ? 使を見せるって」


 なるほど、普通はもっと少ないのか。

 銀貨一枚で、ランチが二人分には少し足りない。なんとなく、分かった気がした。

 ――食事を終えて、今日の夜を過ごす、宿を探した。ここまで野宿だったのだから、必要ないのでは、と思う。

 しかしジュネは、「なんでも知っておかなきゃな」と言う。

 どんどん借りが増えていく。だが買い物のしかたも知らない人間が、借りを返そうなんて、難しい話だ。

 今はそれに、甘んじておくことにした。


「広い部屋だな」

「十人泊まれる部屋だからな」

「十人⁉」


 どうしてそんな贅沢を、と驚いた。

 だが聞いてみると、違うらしい。個室があるのは高い料金を取る宿屋だけで、普通は相部屋に押し込むのだと。

 それをその人数分払うことで、貸し切ったようだ。


「それでもこっちのほうが、安いからな」

「じゃあ相部屋で良かったんじゃ……」

「俺も寝るからな。俺が寝てる間に、カズヤになにかあったら、どうするんだ?」

「あー……」


 ジュネはどこまでいい奴なんだ。

 そんな相手にかけるべき言葉。見せるべき態度。意識して作るのでなく、それが自然と、滲み出る。


「ジュネ、ありがとう。俺はお前と会えて良かった」

「な、なんだよ! 急にそんなこと言うなよ、びっくりするだろ」


 窓の鎧戸を開けて、外を見ていたジュネが振り返る。困った顔をしつつも、笑っている。

 ずっとこんな時間が、ジュネと仲良く出来る時間が続けばいいと思った。


「結構硬いな」

「そうか?」


 試しにベッドへ寝転ぶと、板の上に毛布一枚を敷いたくらいの感触だ。落ち葉のある地面のほうが、数倍柔らかくて気持ちがいい。こんなところで眠れるだろうか。

 そう考えたのも束の間。布に包まれて横になるのは久しぶりで、カズヤはそのまま眠ってしまう。


「――ん。寝てたのか俺」


 目覚めると、部屋の中は真っ暗だった。だが暗さに目が慣れているので、なんとなくは様子が分かる。ジュネは隣のベッドで眠っているらしい。

 何時ころだろう。夕食を食べていないので、腹が減った。夜の町は、耳をすましても、なんの音もしない。ジュネの寝息くらいのものだ。軽く、きんと耳が鳴る。その中を、僅かな音がカズヤに届いた。

 みし、と。

 木の板の軋む音。家鳴りかと思って、最初は気にしなかった。しかし規則的すぎる。おおよそ十を数える度に一度、みし、と鳴った。忍んで、通路を歩いている。誰かが。

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