一つの芸術


はじめに


「私は今までナオミと一緒に住んでいながら、彼女がどんな体つきをしているか、露骨に云えばその素裸な肉体の姿を知り得る機会がなかったのに、それが今度はほんとうによく分ったのです。」

谷崎潤一郎作の「痴人の愛」という作品の一節である。谷崎潤一郎というと文豪として有名だが、実際読んでみるとそれはそれは性的な内容になっている。他にも文豪でいえば森鴎外等は性的な表現を含ませた作品で有名だ。小説にとどまらず、絵画や彫刻にもそういった文化がある。このような性的描写を含む芸術作品を、「エロティカ」と呼ぶ。こういったエロティカは、その芸術性から高い評価を得ている。では、エロティカはどのように生まれ、どうなったのか。その起源を探ると、知られざる闘いの世界が広がっていた。


エロティカの始まり


そもそもエロティカの意味とは何か。これは、神話に関係している。皆さんはギリシャ神話を知っているだろうか。神々が人と同じような愛憎劇を繰り広げる、古代ギリシャの傑作である。その中に、愛の神としてエロースという神が登場する。彼は黄金の弓矢で人の恋心を操り楽しんでいたとされている。主に性愛の象徴とされていた彼の名前から、性愛の文化を「エロティシズム」、その芸術作品を「エロティカ」と呼ぶようになったのだ。

このエロティカの始まりは、ルネサンス以後のヨーロッパであるとされる。歴史の教科書の絵で見た人も多いのではないのだろうか。当時、ギリシャ神話等をイメージした裸婦像、ヌードデッサンなどが出てきた。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも、「レダと白鳥」という裸婦の絵を描いた。同時期、ミケランジェロも「レダと白鳥」を描いたという。題名が同じな割に結構違うので後で見ていただきたい。ここではレオナルドの方を紹介する。ここで一気にエロティカが栄えたのだ。

日本では、明治時代、その文化が入ってきている。19世紀後半、つまり300年あいたわけである。たしかに、鎖国等を考えればおかしくないのかもしれない。しかし、なぜここまで日本に入るのに時間がかかったのだろうか。


弾圧


なぜエロティシズムは日本に入るのに時間がかかったのだろうか。その答えは、皆さんもうわかった方もいるのではないのではないだろうか。

そう、厳しい弾圧である。ルネサンス当初のヨーロッパ人にも、やはり刺激が強かったのだろうか。ともかくエロティカは激しい弾圧ゆえ、多くが廃棄処分となった。レオナルド・ダ・ヴィンチの「レダと白鳥」も、破棄されたのだ。一部の王族貴族に芸術と道徳を切り離して考えられる人達がいたからよかったものの、エロティカは時代の表舞台からは姿を消したのだ。

しかし、根強く弾圧に耐えたエロティカは、19世紀、ついにヌード絵画や彫刻が、市民社会へと進出したのだ。これにより、人々は二つに分かれた。

一つは、弾圧派。宗教や道徳、社会改良の観点からエロティカを「猥褻物」と認識し、弾圧する側である。

もう一つは、肯定派。エロティカを受け入れる姿勢を示したものだ。この代表的な例として、イギリスが挙げられる。イギリスでは、エロティカに含まれる古代の歴史的価値に観点を置き、ギリシャ神話等への関心を持たせる教育的価値のあるものだとした。また、理性至上主義や懐疑主義により、考え方が虚無になっていた人々を更生するためにも使われ、広く市民に浸透した。この二組による論争は今も続いているが、エロティカに対する芸術性は認められるようになったのだ。

こうした長い年月をかけ、エロティカは一般的なものとなり、文明開化時に日本にわたってきたのだ。


日本の反応


さて、日本に入ってきたエロティカであったが、最初からすべて受け入れられてはおらず、初期は抵抗が大きかったという。あの黒田清輝も裸体画を描いたが、未成年閲覧禁止措置がとられた。しかし、ヨーロッパ程の弾圧はなく、だんだんと芸術の一つとして認められるようになった。

なぜ弾圧が少なく済んだのか。実は、性的描写のある絵が、日本には江戸時代からあったのだ。

皆さんも、浮世絵というものは知っているだろう。代表的なものの中に富嶽三十六景等が挙げられる。その中に、「春画」というものがある。これこそ、性行為をユーモアのある形で表した、おそらく日本最古のエロティカである。例で挙げた富嶽三十六景を描いた、葛飾北斎も春画を遺している。それが「蛸と海女」という作品である。これは、海女が2匹の蛸に襲われている様子を描いたもので、なんと今から約150年前に描かれたとされている。他にも、喜多川歌麿等、有名な浮世絵師が春画を手がけている。値段は高く、市民には出回らなかったものの、このような文化は西洋から入ってくる前に基盤があったのだ。

その後も、多少の問題は出たりもしたが、性愛文学を中心にエロティカは日本に順応した。代表的な人物であれば、冒頭でも挙げた谷崎潤一郎だろう。彼は多数の性愛文学を世に残しており、全て高い評価をうけている。


これからのエロティシズム


さて、これでエロティカとはどういうものかわかっていただけただろうか。エロティカとは、ルネサンス期のヨーロッパで始まり、様々な弾圧に耐え抜き発展した芸術であり、日本では江戸時代から始まって、明治時代に欧米の文化と融合してさらに大衆化した芸術作品である。これは、正しく「芸術の勝利」ともいうべき素晴らしいものである。

しかし現在、エロティカは評価が低下している傾向がある。性的描写は良くないとする、国家の押し付けにより、芸術作品までもが否定されている風潮が見られる。

しかし、こうした世間に負けず、エロティカを残そうとする人達もいる。柳美里がその一例だ。彼女は性愛文学の要素をホラー純文学に練り込み、高い評価を得ている。

たしかに、エロティカを芸術作品として受け入れるのは難しいかもしれない。しかし、「不埒だ」「卑猥だ」と否定する前に、まずは芸術として理解して欲しい。なぜなら、そこには数々の芸術家達の魂がこもっているのだから。




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