第12話 不器用な兄。




 ラアン・ダーレオクは、かつてルアンに好かれていたと自負している。

 物心ついた頃から、ルアンは大人しく、様子を伺うような眼差しを向けてきた。そして本の虫。当然、ルアンは、一人では読めなかった。リボンで2つに結んだ長い髪を靡かせ、分厚い本を抱えて駆け寄ると。


「お兄さん。本を読んで」


 と、ラアンによくせがんだ。

 椅子に座るラアンの脚の間に、ちょこんと座っては「読んで」と急かす。

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 ――そんな妹が、可愛らしかった。可愛すぎる。オレの妹、至極、可愛い。


 内心で悶えながら、可愛いルアンに好かれている幸せを噛み締め、本を読み聞かせる日々を送っていた。

 それは、昔のこと。


 ――可愛い可愛い妹は今、オカマ野郎になついてしまっている。


 正直、ラアンにとって他人の趣向など興味がない。同性愛者に、嫌悪も関心もない。

 しかし、尊敬する自分の父親に好意を寄せられては、警戒と敵意を抱く。正直、クアロは嫌いだ。

 そんなクアロが、ルアンの子守りに選ばれた時は、反対したかった。しかし、ルアンの長い髪を燃やしてしまった負い目があり、出来なかったのだ。


 クアロの元で、ルアンはギアを初めて発動した。地面が抉られたような現場から、父親譲りの膨大な光の持ち主だと誰もが思った。

 父であり、ガリアンのボスであるレアンは、光を多く持つ体質で、10代の頃からギアを使いこなした。彼とギア対決して勝てた者はいない。だから畏怖の念を抱く部下が募った。

 そんなレアンの血を濃く受け継いだ証明。


 立ち会いたかった。可愛い妹の才能が開花した瞬間。


 そこにいたのは、あの嫌いなクアロ。ルアンにギアを教えることも、クアロになってしまった。素晴らしい才能がある可愛い妹の成長を、クアロに委ねるなど怒り狂いそうだ。

 しかし、ラアンはクアロと代われない。ルアンとまともに話もできないのだ。

 母親が家を出て以来、弟ロアンと一緒でルアンと大きな距離が出来てしまった。様子を伺うような眼差しは、軽蔑と失望を帯びたようにも思え、目を合わせられない。

 ルアンとの距離が開く一方だが、どうしても会話が見付からなかった。何を話せばいいかわからない。

 どうすれば、本を読んでと頼まれる仲に戻れるのか、ラアンにはわからなかった。


 ラアンがこんなにも悩んでいるというのに、レアンは留守番中もクアロにルアンの子守りをさせると言う。


 ――夜もクアロに子守りをさせるなんて、オレでは不足だということなのですか父上っ!!


 レアンに言いたいが、どうせ一蹴されることはわかりきっている。苛立ちを堪えてため息をついた。


「なぁ、ラアン。こうりゃくとか、つんでれとか……どういう意味だ?」

「は? なに言ってるボケ」


 同じく門番をやっているシヤンから、わけのわからないことを問われたが、ラアンは相手にしない。そもそも、やたら絡んでくるシヤンとは仲が悪いのだ。仲良く話す筋合いはない。

 すると、そこでクアロがルアンと仲良く手を繋いで戻ってきた。


「ルーの部屋に泊まることになったから」


 わざわざラアンにクアロは報告する。気に障るとも知らず。


 ――オレだってルーの部屋で寝たことがないのに! 一度たりとも添い寝したこともないのに!


 嫉妬が、胸の中で燃え上がった。ギロリとクアロを睨み付ける。妹がいる家庭で育ったらしいクアロは、添い寝するつもりなのだろう。憎たらしい。


 ――そもそもなんだ! ルーって!

 ――なに勝手にオレの妹に愛称をつけているんだ!

 ――くそっ! 可愛いじゃないか! オレだって呼びたいっ!!


 内心、怒り叫びながらクアロを睨んだあと、ラアンは未だに手を繋いでいるルアンに目をやる。

 愛称で呼んでみた途端に、冷たい眼差しを向けられることが、安易に想像できて直ぐ様目を背けた。


「ちゃんと仕事をしろよ!!」


 ロアンを連れ、オレはガリアンの館の中に戻る。


「……すっごく、はやかったね。ルアンのギア」

「!」


 ぴったりくっついていたロアンが口を開く。ラアンは目を丸めたあと、しゃがんでロアンと視線を合わせた。


「おう、凄かったよな! 両手で書き上げるなんて、天才だな! ルアンは」

「うん! おねえちゃん、すごい!」


 にぃー、とラアンとロアンは、無邪気な笑みを溢す。ルアンが自慢だ。しかし、それはルアンには伝わっていない。そんなタイミングがなかった。

 ロアンを見て、ラアンは思う。ルアンがこんな風に無邪気に笑いかけてくれないだろうか。

 ロアンは変わらず、なついてくれている。男同士ということもあるのだろう。母親が出て以来、泣き付くロアンを慰めてきた。

 ルアンは泣かなかった。そもそも、ルアンが泣いた姿など、ラアンは見たことがない。

 あの時、ルアンはただ冷めた目で、母親が出ていった扉を見つめていた。ラアンは涙を流しながら、泣きじゃくるロアンを抱き締めることしかできなかった。

 思えばあの時から、ルアンとの距離は遠退いてしまったのだろう。




 レアンと精鋭部隊は準備を終えると、早々に出発をした。レアンが不在だと、脱獄の発生率が高い。なるべく早く済ませ、戻るべきなのだ。

 街に聳え立つ屋敷は、当主がいないことを知らしめるように不気味な静けさに包まれている。落ち着けないラアンは、書類整理をしていた。

 ふと、雨が降り注ぐ音が耳に届く。そばでお絵描きしていたロアンも気付き、窓を覗く。空は黒く、雲は見当たらない。


「見てくる。ロアン、ここにいろ」


 音の出所を確認しようとラアンは、部屋を出た。


「シヤンのせいだぞ」

「ルアンの加減の悪さが悪いんだろ」

「いいからバスルームに行きなさいよ!」


 廊下を歩くと、ルアンとシヤンとクアロの話声が聞こえる。3人が並んでルアンの部屋に向かっていたが、ルアンとシヤンは雨に降られたようにびしょ濡れだ。

 どうやら庭でギアの練習をして、水(すい)の紋様で水を出してそれを被ったのだろう。ラアンは自室に戻ろうと引き返した。


「タオル取って来るから、ルアンはシャワー浴びちゃいなさい」


 クアロは1人離れて、タオルを探しに向かった。ルアンとシヤンは2人でルアンの部屋に入る。

 それを見たラアンは、ピタリと足を止めた。妹の危機を感じて、直ぐ様ルアンの部屋に飛び込む。

 ドアが開いているバスルームの中で、シヤンがルアンのベストを脱がしているところだった。


「なにしている変態!!」

「はぁ!? 着替えを手伝ってるだけだ!」


 シヤンの胸ぐらを掴み、妹から離す。


「オレの妹だって言ってるだろ!」

「わかってるって! ……でも確認を……」

「変態!」

「ちっげーよ! 子どもの裸ぐらい」

「女の子だぞボケ!! てめえは立ち入り禁止だ出てけ!!」


 ルアンが女の子だという証拠を見ようとするシヤンを、ラアンは追い出そうとした。しかしシヤンは踏みとどまる。


「おめーに命令される筋合いはねーんだよ、バーカバーカ! こっちにはルアンの許可があるんだよ!」

「オレはルアンの兄だ!! 出てけ!!」


 幼稚に反論するシヤンと、怒鳴り付けるラアンは、バスルームで取っ組み合いをした。

 濡れたシャツ姿でそれをただただ眺めているルアンは、やがてクシュンッと小さなくしゃみを一つする。ラアン達は、気付かなかった。


「女の子のバスルームでなにやってんのよ!! 出てけー!」


 タオルを抱えて部屋に来たクアロは、取っ組み合いを見るなり、シヤンとラアンの首の根を掴み、ルアンの部屋から引っ張り出す。


 ――オカマ野郎に、妹の部屋から追い出されただと!?


 屈辱に襲われて、頭を抱えてしまう。それから乱暴な足取りで自室に戻った。

 ラアンは、かつてはルアンに好かれていたと自負している。今はただ、妹と距離を縮めることができない不器用な兄だ。


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