大垣発 東京行き夜行列車

 ゴールデンウィークの5月3日の憲法記念日の祝日に東京の日比谷野外音楽堂で開催される「東京ナイト・フレンド リスナー感謝祭」は旋にとっては何としても東京の会場まで行って参加してみたい大きなイベントだった。


 1年前の春 遠く東京のラジオ曲が流す深夜放送を受信し始めた時 番組の中で盛んに話題となっていたのがリスナー感謝祭でのいろいろな出来事の事だった。


 多くのリスナーが各地から集まり 月曜日から土曜日までの6人のパーソナリティーDJと直に触れ合うことの出来るイベントは特別な時間が共有されている様な気がしてならなかった。番組の中で伝えられたいろいろなプログラムやゲームを通じての交流や、サプライズゲストの登場などのミニライブも用意されて 昨年は注目の若手アーティストが登場して3時間ほどの催しは最高の時間だったと聞いていた。


 旋にとって 東京は決して近い場所ではない。 

高校生になって、名古屋へ電車通学するようになって 中学までの自転車での学校への通学と様変わりして自分自身が一歩成長したようにも感じてはいたが、東京へは中学校の修学旅行で行っただけで、あこがれの街というよりも、別世界にある日本の首都で、すべてが東京を中心に動いている場所というイメージの中で作られたどこか夢の中にある場所という感覚が強かった。


 東京に行くには 少なくないお金もかかる。新幹線を使って上京すれば、その金額は特急代金も含めると往復で1万円近い金額になってしまう。お年玉でもらったお金と 小遣いでためた2万円ほどの貯金のお金はあるが決して安い金額では無かった。


 高校の友人に相談して手に入れた 安く東京に行く方法は夜行電車を使うと言うもので、国鉄の普通電車を乗り継いでいけば名古屋から東京まで学生割引を使えば2000円ほどで行く事が出来る事が判った。大垣夜行と呼ばれる 国鉄の安城の駅を夜10時5分に出発して 東京に早朝の4時35分に到着する列車に乗れば 乗り換えをしなくても一本の列車で上京出来る事も解った。往復共にこの列車を利用すれば 東京に4000円ほどでいく事が出来る。


 4人掛けの垂直に立った椅子は決して楽なものでは無かったが、それは、1年前に中学の修学旅行で乗った修学旅行専用列車の「こまどり号」での旅を思い出させてくれるものだった。ゴールデンウィークの休みの中で、列車の座席はほぼ満席状態で 車内は暑苦しさを感じるような状況だったが、始めての一人旅は刺激的で、東京に行けると言うワクワク感と東京ナイト・フレンドのイベントが体験できると言う夢の様な想像が押し寄せ、深夜の列車旅行でありながらウトウトはしても熟睡することはできなかった。各駅停車の列車は浜松や静岡、熱海と言った主要駅では停車時間も長く、ホームに出て背伸びをすることで、4人掛けの椅子に固められている腰の痛くなった体を休めるには最適な時間だった。


 少し予定時間よりも遅れて 5時前に東京駅のホームに 夜行列車が滑り込んだ時には 太陽が昇り夜明けを迎えて すがすがしい大都会の朝は東京駅周辺のビルを輝かせるように浮かび上がらせていた。


 リスナーのファン感謝祭が開かれるのは午後2時からだったが、地図で調べた会場の日比谷野外音楽堂は東京駅から歩いてもそれほど遠く感じられるものではなく、旋は朝早い丸の内のビル街を抜けて日比谷公園まで歩いてみようと赤レンガの東京駅丸の内口から一歩を踏み出した。

 折角の東京だからと 皇居へと回り込み 1年前の中学校の修学旅行の時に目にした二重橋を見に広い皇居前広場へと歩を進めた、ほとんど人影のない皇居前の広場だったが、近くの住民だろうか朝の散歩の人たちとすれ違いざまに 「おはようございます。」と声をかけられた時には胸がどきどきして、これが都会の人のマナーなのかと感じ 旋自身もその後にすれ違った人達に自分から朝の挨拶をしながら日比谷公園へと向かった。 自分からの挨拶に返される「おはようございます。」という言葉のやり取りは何とも気持ちの良い物で、この5月3日が素晴らしい1日になるような気がしてならなかった。


 朝の6時近くになってたどり着いた日比谷の野外音楽堂の様子は 開場まで半日以上の時間があり 音楽堂の周辺には誰一人の姿も無く、10羽ほどいるハトの姿と どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声に 動き出しつつあった大都会東京の自動車の騒音がシンクロして街が鼓動を発し始めていることに心が躍った。

 リスナーファンの集いがどの様な物なのかは、ラジオの中で語られた状況での想像でしかないのだが、旋にとってはこれまでの15年の人生の中で一度も体験したことのなかった素晴らしい出会いと、感動のイベントが繰り広げられるであろうことが想像され期待に胸をときめかす時間だった。

 昼過ぎまでの予定も無く 公園の木々の間から見えた東京タワーに行ってみようとの思いが募り 東京タワーの見える方向に歩き出した。2キロほどの距離を30分ほどかけて芝公園にある東京タワーにたどり着いたのだが、タワーの開場は朝の9時からとの表示を見て タワーを見上げるベンチに腰かけた時にはいつの間にか熟睡モードに入ってしまった。さすがに疲れていたのか 頭の上から降り注ぐ初夏の太陽の陽に照らされて気が付いた時にはすでに東京タワーが開場し 次々と押し寄せる観光バスから吐き出される観光客で東京タワーのチケット売り場には長い列が出来上がっていた。中学の修学旅行の時には下から見上げただけの 地上250mのトップデッキに上がり見下ろす東京の街の大きさと多くの車や人々が米粒のように動き回る景色は言葉にも出せないない様な驚きでもあった。

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